「何?」

「いや、別に」

「……ありがとう。もう大丈夫。わたし持てるから」

教室まであと少しだった。わたしはふたりでいるところをえれなに見られるのがいやでそう言ったのに、紺野颯太はどんどん行ってしまう。

「ちょっと…、紺野くん!」

すると、紺野颯太は振り向いて、少しふてくされたような顔をした。

「颯太でいいって言ってるじゃん」

「……」

心の中では紺野颯太ってフルネームで呼んでるけど、名前だけを呼び捨てにして口に出すのは勇気がいる。

何も言えずずに立ち尽くすわたしを見た紺野颯太は、さらに行ってしまおうとした。

「ちょ……、そ…、颯太くん!」

すると紺野颯太は振り向いて、してやったりという顔で笑った。そのくしゃっとした笑顔が可愛くて、不覚にもどきっとしてしまう。

「いいね、それ。颯太くん」

そしてわたしに紙袋を渡しながら、わざと子供っぽい言い方をした。

「はい、理緒ちゃん」

わたしはかーっと顔が赤くなった。理緒と呼び捨てにされるより、なんだか恥ずかしかった。

「……呼び捨てでいいから」

そんなわたしにクックックッと笑うと、紺野颯太はひとりで教室に入って行った。わたしは思わずはーっと深いため息をついた。いままでに感じたことのない高揚が心を満たしていた。もう、数人の友達と楽しげに笑い合ってる紺野颯太だけが、くっきりとした輪郭を持って見える。

「……颯太くん……」

 口の中だけで、そっと呟いてみた。まだなじんでいなくて、少しはずかしい。紺野颯太って、いい子だとは思うけど、あんまり近づくと振り回されそうだなって思った。