そうやってでもその場にいることが自然で、すっかりなじんでいるように思われたかったのだ。

でも、自分らしくない自分でいることは、やっぱりひどく疲れることだった。

ひとりになって、深く重いため息をもらすたびに、本当はあの場所から抜け出したいと思っていた。無理な演技をしてまで、そこにいなくちゃいけないの? と何度も自分に問いかけた。自分らしくいられないなら、えれなの友達のなかの暗黙のルールみたいなものがいやなら、ここを出ていくしかない。

でも、わたしは自分の力で自分の居場所を作ることができないことも思い知っていた。なにをするにもひとりで過ごす自分を想像すると、それはさすがにみじめだと思った。

だとしたら、ここにいるしかない。 

一度、抜け出してしまったら、もう戻ることはできないだろう。

演技をしてえれなたちといること。

自分らしくいて、ひとりになること。


そのふたつを天秤にかけて、わたしはえれなたちといることを選んだのだ。
えれなたちみんなといる時には、楽しそうに見えるだろうから(もちろん、楽しくないわけじゃないんだけど)、誰もわたしのそんな悶々とした気持ちには気づかなかっただろう。

そのままうまくやっていくために、このちょっと屈折した思いを吐き出す場所が必要だったのだと思う。