彼方くんはぱちぱちと瞬きをしてから、おかしそうにふっと吹き出した。

「いやいや、お礼って。ただ拾っただけなのに、礼なんかしてもらうわけにいかないよ。気にしないで」

自分の言ったことが、下心丸出しだと知られてしまったような気がして、一気に顔が熱くなった。それを知ってか知らずか、彼は笑顔のまま続ける。

「それでも気になるなら、ほら、前に俺が落とした消しゴム拾ってくれたことあっただろ? 確か、英語の授業のとき」

えっ、と声を上げてしまった。まさか彼方くんが覚えているなんて、と驚きに包まれる。

あれは一学期の頃の話だ。英語の能力別クラスで、彼方くんと同じ教室で授業を受けることになったわたしは、これを機になんとか彼方くんと近づこう、と必死になっていた。そして、彼が机の下に落とした消しゴムを拾って、声をかけるきっかけにしたのだ。

わたしにとっては忘れられない出来事だったけれど、彼にとってはただの日常のひとこまにすぎないだろう、と思っていたのに。まさか覚えていてくれたなんて。

「だから、今日のはあのときの恩返しってことで。お互い様だから、気にしなくていいよ」

彼方くんはさっぱりと笑って、「じゃあ」と立ち去っていった。

やっぱり好きだな、と染みるように思う。スポーツしている姿はかっこいいし、気さくで優しいし、あんなの好きにならないわけない。

しかも、ずっと前のちょっとしたやりとりを覚えていてくれるなんて、もしかして少しはわたしのことを気にしてくれてるんじゃないか、と思ってしまう。

熱に浮かされたような気持ちで彼の後ろ姿を見送っていたそのとき、ふと思った。もしも遠子と別れたら、わたしと付き合ってくれる可能性も、少しはあるんじゃないか。

でも、次の瞬間には、そんなことを考えていた自分に激しく嫌気が差す。友達の不幸を願うなんて、最低だ。

わたしはこんなに嫌な人間だったんだろうか。この恋をするまで、全く知らなかった。