ものすごく指が速く動くとか、音量がとてつもなく大きいとか、そういうことではない。

むしろ、音は囁きのように小さく控えめだし、たまに指が詰まったように引っかかることもある。

でも、そんなことはどうでもよくなるくらい綺麗な、まるで天から降り注ぐ春の光のようにきらきらと輝く音楽なのだ。

優しく、穏やかで、美しい音。この世のものとは思えないような、綺麗な音楽。

天音の演奏が終わるまで、わたしは唖然としてその後ろ姿を見つめ続けていた。それくらい、彼のピアノは衝撃的だった。

弾き終えた天音は、ゆっくりと鍵盤から下ろした両腕をだらりと垂らして、どこか魂の抜けたような表情でしばらくぼんやりしていた。

呆けたように見ていた店内の客から、じわじわと拍手が沸き上がってきて、いつの間にか大きな渦になる。

でも、みんなから喝采を受けている当の本人は、そんな拍手など耳に入らないような様子で、ふわふわと歩いて席に戻ってきた。

「天音、ありがとう」

代わってくれてありがとう、という思いと、素晴らしいピアノを聞かせてくれてありがとう、という思いの二つを込めて言うと、彼は夢の中にいるみたいなうつろな目でこちらを見た。

「……天音?」

曇ったガラスのような瞳は、わたしを通り越してずっと向こうを見ているみたいだ。

「大丈夫?」

反応は返ってこない。

わたしは手を伸ばして彼の肩をつかみ、軽く揺さぶる。

どこか遠くへ行ってしまって、もう二度とここへは戻ってきてくれないような、そんな変な錯覚に襲われたのだ。

なんとか引き戻したくて、何度も名前を呼びながら肩を揺する。

すると、彼の目に徐々に光が戻ってきた。

「天音」

わたしの呼びかけに、天音はじわりと微笑んだ。

それからゆっくりと下を向いて、手帳に文字を書き込む。

『ごめん、ぼーっとしてた』

「……大丈夫なの?」

『うん。久しぶりに弾いたから、ちょっと疲れたのかも』