かたん、と音がして、そちらへ目を向けると、天音が椅子から立ち上がっていた。

もう帰るのかな、と思って見ていると、彼は荷物も持たずにテーブルを離れて、すたすたと奥の方へ歩いていく。

そしてピアノの前で足を止めた。

「あらっ、もしかして天音くんもピアノ弾けるの?」

あかりさんがそう言って彼の後を追う。

すると天音は、ゆっくりと彼女のほうを振り向いて、どこか切なげな笑みを浮かべた。

それから今度はわたしのほうを見て、こくりと頷く。安心させるように。

もしかして、わたしがピアノを弾きたくないのを感じ取って、代わりに弾いてあげようと思ったんだろうか。なんとなくだけれど、そんな気がした。

わたしは席に座ったまま、じっと天音の姿を見つめる。

天音はゆっくりとピアノの前の椅子を引き、そっと腰かけた。

ピアノカバーをどこか恭しい仕草で外して、丁寧にたたんで脇に置く。

それから、一度両手を下ろして膝に置き、ふっと息を吐いてから、何かを決意したように腕を上げて一気に蓋を開いた。

規則正しく並んだ白と黒の鍵盤が蓋のかげから現れて、照明の光を浴びてつやつやと煌めく。

彼は愛おしげに目を細めてから、鍵盤を撫でるようにすうっと指を滑らせた。

きっとピアノが大好きなんだろう、とわたしは思った。

鍵盤に手を当てながら、天音がそっと目を閉じる。

何度か静かに深呼吸をしてから、すっと瞼を上げて、どこか厳しい目つきでピアノを見つめる。

それからゆっくりと鍵盤に指を落とした。