嘘だ。

健吾くんが、私がねだったのでもないのに公共の場でキスするなんて、よほどのことがない限りあり得ない。



「治療代請求したら、なんて言うの。郁実さんをください?」

「それはさすがに引くだろ?」



まあねえ。

兄が引くというより、私が引く。

ゆったりと座席に腰かけて、窓の外を眺めながら、健吾くんが考え込んで、「でもまあ」とぽつりと言った。



「いずれ郁をもらいにきますって、そのくらいは言おうと思うよ」



考えていることが、知らずに口から出てしまったような感じの、すごく自然なつぶやきだったので、私はかえって不意を突かれて。

なにも言えなくなってしまい、そんな私に健吾くんが気づいた。



「半端かな?」

「ううん…」

「殴られるかな」

「それは、うん、どうだろうね…」



そうかー、と健吾くんは、まだ考えている。


ねえ、ありがとう、ほんと。

私、ゆっくりなんだけど、一応進んでるから。

そのうち追いついて、並んで歩くから。


もう少し、振り返りながら手を引いてね。



「健吾くん、大好き」



誰もいないのをいいことに、小さな子供みたいに後ろ向きに座って、窓枠に両手を載せて、そんなことを伝えてみる。

健吾くんはふいに思考の淵から上がらされたせいか、ちょっときょとんとしてから、なんでか目をあちこちさせて。


そのうち、そんな自分にあきれたみたいに、ふっと吹き出して。


たっぷりの初春の光の中で。

照れくさそうに、嬉しそうに笑った。








Fin.

──Thank you!