見上げた顔が、優しく微笑んでいる。

笑い返すのが、ちょっとだけ難しかった。


お兄ちゃんこそ。

私がいるから、真由さんと暮らすのも先送りにしているくせに。

ほかにもいっぱい、私のために我慢してきたこと、あるくせに。



「お父さんの銀行、入れるかなあ」

「ちゃんと就活すれば、あるいはな」

「お母さん、結婚するまでは同じ職場だったんでしょ?」

「らしいな」



味見用に、小皿に少量取って渡すと、まだ上着で着ぶくれている兄が受け取る。

香りを確かめてから慎重にすすり、「うまい」とうなずいた。



「ねえ、職場恋愛ってどんな感じ」



兄が小皿に残った分を、ブッと勢いよく吹いた。

真っ赤になって、小皿を突っ返してくる。



「手洗ってくる」

「ねえっ、教えてよ」

「仕事中はそんなの関係ねえよ、普通に働いてるよ」

「だからこそ、なれそめ的なものを聞きたいんじゃん」

「妹に話すことじゃないの」

「じゃあ靖人に話してよ、靖人から聞くから」

「アホか!」

「今日はデートですか?」

「夕方からお互い仕事だよ、こんな日に休めるわけないだろ!」



出ていってしまった。

まあいいや、いつか真由さんから聞こう。


二人分の豚汁をお椀によそいながら、思考をめぐらせる。

始まりの形とか、好きになる理由とか、そんなものはきっと、人の数だけある。

どれが正しいとか、どこからが非常識とか、そんなものはなくて、ただ、理解されづらかったり、誰かを傷つけてしまったりすることがあるだけ。


せっかくなら、自分も含めて誰もがハッピーになる恋愛をしたいものだと思うけれど、残念ながらそううまくはいかなくて。

ならせめて、自分だけでも幸せだって、胸を張れるようにならなきゃねって。

そんなことを考えるようになった。





「うう、おなか痛い…」

「しっかりしろよ、なんで試験終わったとたんにそれなんだよ」

「もう自分の努力でどうにかなる部分が終わってしまったと思うと、不安で…」

「強いのか弱いのかわからんメンタルだな」