兄に声を荒げられたのなんて、生まれてこのかた一度もなく、駆け寄ろうとした脚がびくっとすくんで動かなくなる。

兄は健吾くんのシャツを掴んで立たせると、躊躇なく殴った。

健吾くんは抵抗もせず、うつむいている。

二発目が入る瞬間、ぎゅっと目を閉じたのが見えて、胸が刺されたみたいに痛くなった。

兄が、突き飛ばすように健吾くんから手を離す。



「もう郁実に近づかないでもらいたい」

「…それは」



口元を痛めたんだろう、つらそうに手で押さえて、健吾くんが視線をさまよわせる。



「約束しろ、おい」

「お兄ちゃん、やめて!」



たまらず飛びついた。

兄の右腕にすがりついて、必死に訴える。



「違うんだって、健吾くんはほんとになにも悪くないの」

「お前に手を出したってだけで十分悪い」

「悪くないんだよ! 私が一方的に好きになっただけなの!」



一瞬、沈黙が走った。

兄と向かい合う健吾くんと、目が合う。

言葉を失ったような、そんな表情で私を見る、健吾くん。

口元を拭う、その手のひらに、血がついている。


…あれ、私、なにを言った?

兄が腕をふりほどき、健吾くんをにらみつけたまま、私を背中側に押しやった。



「妹の気持ちにつけ込んで、楽しかったか」

「俺は真剣です」

「高校生相手に、なにが真剣だ!」

「俺は!」



大声を出したことを後悔するように、すぐにはっと口をつぐみ、それでも兄を見据えて、健吾くんははっきりと言った。



「"高校生"とつきあっていたつもりは、ありません」



今度は、兄がはっとする番だった。



「…お兄さんに顔向けできないようなことも、していません」



健吾くんは、口の端に赤い血をにじませて、歯を食いしばり。



「こんな時間まで引き留めて、本当に申し訳ありませんでした」



そう言って、深々と頭を下げた。