私は腕にとまった蚊をしばらく眺めてから、ぱちんと叩いた。

虫よけスプレーを持ってくるべきだった。

一泊二日のクラス合宿の夜、定番中の定番、肝試しが始まろうとしているところだ。


合宿は学校の敷地内にある合宿施設で行われる。

泊まる部屋も共同浴場もキッチンもあり、一年に一度、各クラスが宿泊予約を入れることができる。

たいてい夏休みがターゲットになるため、お盆の前後は争奪戦だったりするらしい。

親交を目的とした合宿なので、内容はお遊びだ。

去年はサッカーのW杯と時期が重なり、合宿所のロビーの大きなテレビの前に集まって観戦したりした。


控えめな月明かりの夜。

校舎を囲むうっそうと茂った木々の間からは、リーリーという虫の声や、小さな動物が草を揺らす音が聞こえてくる。

休みなので校舎のライトもついていない。

懐中電灯を頼りに、肝試しの待機場所である職員駐車場に集まった私たちは、すでにけっこう盛り上がる気配を感じていた。



「ね、郁実ちゃん、番号交換してもらえない?」

「え? いいけど、なんで?」



小声で話しかけてきたのは、なっちゃんだった。

くじは男女のペアを作るためのもので、私は8番という番号を引いたものの、相手が誰だかは知らない。



「あのね、小瀧くんが8番なんだって」

「え、なにその情報」



ふと見れば、女の子たちが集まって、なにやら情報交換している。

どうやら男子の中に情報屋がいて、向こうの番号を流してくれているらしい。

それくじの意味ないじゃん! と突っ込みつつ、とりあえずそれよりも気になることがある。



「え、なっちゃんて、そうなの?」

「えー…うん、ふふ」



暗がりでもわかるくらい頬を染めて、なっちゃんが笑う。

ひえー、そうだったのか。

じゃあもしかして、野球オタクじゃなく、靖人オタク?



「あっ、野球はもとから好きなんだよ、小瀧くんをいいなって思ったのも、クレバーなプレイに惹かれたのが始まりだから」

「そんなところまでオタク…」

「交換してもらっていい?」

「いいよいいよ、もちろん」



うわあ、靖人、男見せてこいよー。

青春の一幕に貢献できた気分で興奮しながら、意気揚々と紙切れを取り換えっこし、6番という数字を手にした。



「ありがと、がんばってくるね」

「末広がりだし、きっとうまくいくよ」

「どうかなあ」

「大丈夫、靖人、なっちゃんのこと、よく試合の流れ見てるなって感心してた!」

「ほんと? 嬉しいな」