間もなく梅雨という五月のこと。
この日、僕は図書館で少し課題をし、一時間ほど読書をしてから席を立った。

図書館を出た時点で、経済学のノートを忘れたことに気づいた。まあ、いいや。経済学の講義は来週までなく、週末にはまた図書館に顔を出すだろう。今、敢えて取りに行かなくてもいい。

市役所の前を通って、駅まで歩く。
僕は図書館のほど近くにアパートを借りていたのだけれど、大学に行って所属しているスポーツサークルにでも顔を出そうかと思っていた。大学行のバスは駅のロータリーから出る。

「あの、……ちょっと」

駅前通りに出る直前で、背後から声をかけられた。

振り向くとそこに居たのは遠坂渡だった。

なんで?なんで図書館の同志がこんなところに?
僕は少し焦って、それと同時に妙にわくわくした。彼の手に僕の経済学のノートがあることに気づく。

「あ、もしかしてそれ」

「あんたのでしょ」

遠坂渡はぐいと僕の手にそのノートを押し付ける。
行動は親切だけど、無表情で何を考えているのかわからない。低い声は不機嫌そうだ。

「ありがとう、置いてきちゃったかなとは思ったんだ」

言いながら、ふと思う。図書館からここまでは徒歩5分程度。遠坂渡はその間、僕に声をかけるタイミングを計りながらついてきていたのかな。それはちょっと面白い構図だぞ。

思わずふふっと笑いそうになると、遠坂が怪訝そうな顔になる。
なにこいつ、って言いたそうだ。

「じゃ、渡したんで」

遠坂渡は踵を返すとさっさと立ち去ってしまう。僕はその背中を見つめ、何を言えば正解だったのか一生懸命考えた。

ひとまず、今日見た感じだと取っつきづらそうな男だ。
次に図書館で会ったら、思い切って話しかけてみよう。