しかし、声は僕の耳鳴りを吹き飛ばしてくれた。
僕は締められながらも覚醒する。

生存への本能のままに、僕は渡の腕をつかむのをやめ、机に残っていた炭酸飲料のペットボトルをつかみ床に叩き付けた。
ペットボトルの底がフローリングにぶつかりへしゃげる。次にぷしゅうと音が響き、飛沫が噴き出し舞い散った。
渡が一瞬手の力を緩めた。

その隙に渾身の力で渡を突き飛ばした。
がたがたとけたたましい音をたて、僕と渡はテーブルのむこうとこっちとに転がった。

ようやく空気が体内に入ってくる。四つん這いの体で喘ぐと、酸素がすごい勢いで脳や身体の末端を満たしていく感覚がした。

のろのろと渡が立ち上がるのが視界の隅に見える。
僕はあんまりのことに混乱していたけれど、自分に殺意を向けた友人をそれでも真っ直ぐに見上げた。

恐怖や怒りより先に、信じられなかった。
渡が……ではなく、今この空間が異次元のように思われた。テレビではまだバラエティ番組が続いている。タレントの笑い声がぞっとするほど仰々しく響く。

渡は信じられないという面持ちで僕を見下ろしていた。
表情に乏しい渡が、僕の顔を怖いものでも見るかのように凝視している。
殺意を向けたのはおまえなのに、なんでそんな顔をするんだ。

しかし、そんなのは一瞬。
渡は顔をそらすと、大きな足音を立ててアパートを飛び出していった。

曲がった鉄砲玉のように。宮沢賢治の詩が浮かぶ。永訣の朝、だ。

僕の頭は混乱の只中でそんなことを考えた。
耳に残った女性の声は、以前星空の元で聞いた声に似ていた気もしたが、心はとてもそこまで考える余裕を持っていなかった。