「お父さん!」

つむぎが僕に破顔し、ぱたぱたとスニーカーを鳴らし駆け寄ってくる。

僕の前で、見上げてきたつむぎの瞳は、もういつもと同じ色味をしていた。深空によく似たブラウンの瞳だ。

たった今の光景は夕日が見せた一瞬の幻影だったのだ。
僕はあらためて理解し、落胆とも納得ともつかない気持ちで娘を見下ろした。

「おかえりなさい。なんでスーツなの」

「ただいま。今日は大学まで行ってきたんだよ」

つむぎは普段見ない僕のスーツ姿を上から下までじろじろと眺め渡す。そして、いたずらっぽく微笑んだ。

「いいね。似合う」

その笑顔は、なんだか大人びて見えた。

「それはどうも。ところできみは帰り道?逆方向じゃない?」

「学校に忘れ物したの。取ってくる」

僕は彼女の髪に指をすき入れ、くしゃりと混ぜる。

「一緒に行ってあげようか」

「結構ですー」

彼女はそう言って、僕の横をするりと抜けた。
僕が目で追うと、潮風にセーラー服をはためかせ、日に融ける薄茶の髪をなびかせる娘がいた。

その後ろ姿は、渡によく似ていた。
きっと、彼女の瞳は今も鳶色にきらめいているのだろう。


ああ、やはり落胆なんてする必要はない。

夕焼けとつむぎ。
本当に一瞬の奇跡で、僕は渡と束の間の再会を果たせたのだ。

「あとでねぇ」

つむぎは中学校の方向へ駆けて行き、曲がり角を曲がる時に大声が聞こえた。
取り残され、僕は一人路上に立ち尽くす。
キンモクセイの作る長い影の中、呆然と。

胸の内で厳かな感動が湧きあがっていた。