最初に言っておくなら、この記録は僕の妻のために残す。

ここに書いておくことは、幾分物語的で、まるで僕の処女小説みたいなものなので、本当はとても恥ずかしいのだけれど、僕は書ききらなければならないと思っている。

だから、この手記を見つけたのが妻以外――――そうだなぁ、亘や亨、つむぎだった場合、これ以上先を読まずにお母さんにそっと渡してほしい。
お父さん、あまり格好良くないんだ、この中では。

そして僕の大事な奥さん、きみが見つけてくれたなら、どうかじっくり読んでほしい。
ここにはきみが知らない、いや、忘れてしまったことがたくさん書かれている。

気乗りしないかもしれないね。
僕もお義母さんも、きみにあれこれ話をするのは慎んできたから。

でも、どうか怖がらずに、不安がらずに読んでほしい。脚色や美化はしてないつもりだ。


さて、僕はこの二十数年、本当に幸福に生きてこられた。
家族と海と山に囲まれた静かな暮らし。獣医院を開業した頃はとにかく忙しいしお金はないしで大変だったけれど、今はこの町に馴染み、スタッフ五人を抱え、それなりにうまくやっているね。
奥さんであるきみは、出会って随分経つというのにいまだ清らかで美しい。本当にそう思っているよ。
長男の亘は来年成人だ。

こんな順風満帆な僕の暮らしの中、わざわざ記録を残す理由は、みんな知っていること。僕の胃に見つかった癌が原因だ。
たぶん、取ってしまえば問題なく永らえられるだろう。ステージは二だけれど、進行性とは言われていないし、きっとこの手記を書いたことを恥ずかしくなるくらいあっさり日常に戻れると思う。

でも、万が一ということがある。

僕の胸にはひとつ、誰も立ち入ったことのない場所がある。
その場所には小さな箱が置いてあり、中には残像のようにかすかだけれど、鮮やかな色の断片を持つ世界が眠っている。
僕はもう何年もこの箱を開けていない。
そして誰一人として中身を見せることはないだろうと思っていた。墓場まで持っていくってやつだ。

しかしここにきて、僕の考えは変化しつつある。この思い出が僕の内側で泡のように消えていくのはあまりに悲しい。
あるいは“彼”はそれを望むかもしれない。
だけど命について考え直している僕は、それをこの世に残しておきたいと考えるようになった。
大袈裟ではあるけれど、それが僕の責務のように感じられるんだ。

四半世紀前のことをうまく文章にできるかはわからない。でも必ず書ききろう。

ちょうど同じ歳にさしかかった亘と亨とつむぎのため。
そして他ならぬきみのために。







「あ、あいつまた来てる」

僕は口の中だけで呟いた。
日差しが大きな窓から降り注ぐ図書館の受付カウンターを過ぎ、数歩進むとの窓際の席に見かける顔がいた。

同じくらいの年頃の男だ。薄茶色の髪、高い鼻と伏せられた瞳が、彫刻みたいだ。手にしているのは厚い本で近代文学の全集に見える。

一方的に顔だけ知っているという間柄で、むこうは僕のことなど知りもしない。

僕は雑誌コーナーで読みたいものを物色しながら、ちらりと男を見る。
きっと、もう少しすると席を移動するはずだ。あの席は太陽光がきついんだ。……ほら、腰を上げた。
予想が当たってほくそえむと、僕はいつも使う書架に近い四人掛けについた。彼と同じ方向を見る格好になるので、その後の動静はわからない。

図書室は森の奥のように静か。冷房が強めに稼働する音、誰かがページを繰る音。
年寄りの多い平日午前の図書館で、若いヤツは僕とそいつだけ。そんなことが続くうち、なんとくなく僕は彼に仲間意識を持った。

話しかける気もなかったけれどね。








二十世紀が終わり、新しい百年が始まった。
二〇〇一年、僕は大学生になった。今から二十五年前のことだ。。

故郷の富山から単身上京し、獣医学部のある千葉の大学に通い始めたあの頃。一人息子の僕は悠々自適な暮らしをしていた。
バイトもせず、クラスの仲間と遊び歩き、ちょっと感じのいい女の先輩と友達になったり。何かと用を作っては、街をうろうろとぶらついて、ファミレスやコーヒーショップをめぐり、書店やCDショップをひやかしてまわる。そんな些細なことが楽しかった。

大学はまだ教養科目を学んでいた。簡単なことばかりで、出席さえやりくりすれば単位がもらえることはすぐに理解したので、あとはサークルやクラスの友人と空いた時間を有効活用する。
代返、自主休講は当たり前。なにしろ誰も咎めない。
朝まで仲間と笑いあい、深夜の学校に忍び込んだこともあった。
今思えば、大学デビューの遅れてきた悪ガキだ。

僕ははじめての自由に夢中になった。
千葉県のその街は、田舎育ちの僕には充分すぎる都会でちっとも退屈しない。
山しかなかった実家と違い、僕が欲しいと思うものはなんでもある。
若者らしく都会の水に首までつかり、いわゆる楽園の日々の只中にあった。すっかり一人前の大人気分だった。
それでも僕は他の学生より幾分かは真面目だったように思う。
遊んでばかりいたが、教授の覚えは良かったし、講義中寝ていたってレジュメもレポートもできた。仲間うちではその簡単な教養科目すらわからないという人間が何人もいた。

「白井は頭イイもんな」その小さな世界で頭が良くて何になるとは思うものの、僕は得意だった。周囲のささやかな賞賛が嬉しかった。

僕の一番の気に入りは市立図書館だった。
そこは大きな市の持ち物にしては建物は古く、蔵書が少なくいつも閑古鳥が鳴いている。
フロアに人がいない時間もあり、喫煙所にリタイア世代の男性が何人も談笑している寄り合い所みたいなところだ。

それでも僕が読みたい最新の雑誌はあらかたそろっていたし、何より本当に静かなのでよく時間を過ごした。

僕は理系の人間だけれど、文学を愛していて、そんな自分をちょっとカッコイイと思っていた。
明治や大正の文学青年に憧れていた。時代が時代なら、書生をするのに。そして帝国大学に通うのだ。「こころ」の先生のように。

恥ずかしいので口にはしないけど、そんなことを夢想していた。
ほこりくさい、古びたレンガの建物の内側で、斜めに差し込む木漏れ日を眺め、少しだけ文学青年の気分を味わう。
件の青年、遠坂渡(トオサカワタリ)とはそこで会った。

僕が気になったのは、彼がとても若く見えたこと。
そして、彼の姿形がとても図書館にそぐわなかったというのもある。脱色したのか色を入れたのか、彼は薄茶色の髪の毛をしていた。
意図してか、前髪を長くしているので、彼の表情はわかりづらかったけれど、髪の束の間から見えた瞳の色が薄かったので、その肌の白さもあいまって僕は彼を外国人とのハーフかと思った。羨ましいな、あの容姿ならモテるだろうな。純日本人の僕は少し彼を羨んだ。

そして思った。なんで、あんな今時の若者がこんなところにいるんだ?

今日も彼は日当たりのいい席からひとつ奥まったところで太宰の全集を読んでいる。
いつも見かける彼は本を読んでいる。図書館といえば、勉強目的でレポートをひろげる学生もいるけれど、そうしたところは見たことがない。学生じゃないのかな。Tシャツにジーンズの格好は学生らしくも見える。

なんにせよ、雰囲気あるなぁ。
横目で見ていたら、ふと彼は立ち上がる。
荷物を持ってカウンターに向かうところを見ると、今日はその本を借りて帰るらしい。太宰の全集の続きは家で読むのかな。