きみと渡る虹は、未来につながっている。


なんと言ったらいいのかわからず黙っていると「なんか、俺の話ばっかりだね」と言われて焦る。


「ごめんなさい。朝陽が先輩はライバルだと言っていたので気になって……」


嘘をつくというのは、苦しいものだ。
先輩の顔を見ることができなくて、遠くの景色に視線を移した。


山の木々はいっそう葉を落としている。
確実に時間が過ぎている。急がなければ。


「ライバル、か。朝陽はそんなふうに思ってないと思うよ。俺、ホントはK大なんて全然届きそうになくて、推薦もらえなければ多分落ちる。でも朝陽は違う。アイツは実力で届きそうだ」


でも、その朝陽をあなたが殺すの。
朝陽の未来を、あなたが壊すの。


激しい怒りの感情が込み上げてきて泣きそうになる。
でも、まだ起こってもいないことを責めることはできない。

「そっか。離れ離れになるから、不安なんだ」


先輩は私の悩みがわかったというような顔をして微笑んだ。
でも……。


「生きていれば、いつでも会えます」

「ん?」


思わず発してしまった言葉に、先輩は首をかしげる。


「なんでもありません。でも、生きていればできることはたくさんあります。失敗してもやり直すことだってできます」


どうしたら、朝陽に手をかけることを、思いとどまらせることができるのだろう。


「君はわかってないよ」

「えっ?」


突然吐き捨てるようにそう言った先輩に驚き、思わず声が出た。


「なんにもわかってない。親父は失敗なんて許さない。許すはずがない」


今までの笑顔はなんだったのかと思うほど目を尖らせた先輩は、給水槽をドンと叩いた。

「ごめん。気分が悪いから帰るわ」


裕一先輩はそう言い残して去っていく。
結局、先輩を怒らせただけでなにもできなかった。



「つぐ、なにかあったのか?」


その日の帰り、朝陽はボーッとしている私に気がついた。


「えっ? なにも……」


彼のためになにかしたいと思ったのに、もしかしたら逆効果だったかもしれない。
裕一先輩に余計な不安を植え付けてしまった気もする。


「それならいいけど」


このまま幸せな日が続けばいいのに。

その週の日曜日、早紀の母親から電話があった。


『つぐみちゃん、早紀の日記が見つかったの』

「なにが書いてあったんですか?」


私に宛てた手紙には、【ありがとう】としか書いていなかった早紀。
彼女が日記には本心を書いているのではないかと思うと、鼓動が速まる。

なんの証拠もなくいじめを証明できなくて泣き寝入りになっているけど、もしかして、と思ったのだ。


『よかったら、読みに来ない?』

「行きます」


私は家を飛び出した。



「おばさん、ご無沙汰しています」


朝陽と放課後の時間を共にするようになってから、早紀の家に来たのは初めてだった。


「こんにちは。やっぱりつぐみちゃんの言っている通りだった。早紀は……」


おばさんはそこまで言うと、もうすでに真っ赤に染まっていた目を固く閉じてうつむいてしまう。
やはりいじめについて書いてあるんだ。

「おばさん……」

「学校なんて行かせるんじゃなかった。私が早紀を殺しちゃったの」

「そんなことないです。絶対にそんなこと……」


必死に首を振ったけど、おばさんは苦しげな顔をして唇を噛みしめる。


「ありがとう、つぐみちゃん。早紀ね、つぐみちゃんがいてくれて幸せだったと思う。これに、つぐみちゃんのことがいっぱい書いてあるのよ」


こらえきれなくなったのだろう。
涙をこぼし始めたおばさんは、私に日記帳を差し出した。

その淡いピンクのノートは、あの封筒と同じように、かわいらしかった早紀のイメージにぴったりだった。


「ここで読んでいく? それとも、持って帰る?」


そう聞かれて、私は持って帰ることにした。
なんとなくひとりで読みたかった。

早紀のノートを抱え、家まで走った。

今日も朝陽と神社で待ち合わせをしている。
でも、約束の時間までまだ二時間くらいある。

ベッドに座りノートを手にすると、緊張で手が震えてきてしまった。


「早紀、読むね」


意を決して表紙を開くと、【入学式】という文字が目に飛び込んできた。
どうやら高校生活を始めてから書いていたものらしい。


【四月七日

今日は入学式。
知らない人ばかりで戸惑ったけど、つぐみが声をかけてくれた。
すごくうれしくて、すぐにラインを交換した】


そのときのことをよく覚えている。

私も緊張していて……偶然隣の席だった早紀に思い切って声をかけると『私も緊張してた』から話が弾み、ライン交換までした。


その日記には、長い文章は見当たらない。
その日起こったことを忘れずに書いておこうとしたもののようだ。

【四月十五日

高校生活はなかなか順調。
ただ苦手な数学が難しくて焦ったけど、つぐみもできてなくてなんとなくホッとした】


「早紀ったら、こんなことまで……」


早紀の言う通り、順調な滑り出しだった。
それなのに……。



【四月十九日

つぐみは料理がうまくて、お弁当を自分で作っている。
私は彼女のおかずを少し分けてもらうのが楽しみ。一番好きなのはチーズ入りの卵焼き】


【四月二十五日

つぐみがいてくれて、本当に楽しい。
友達を作るのが苦手な私を、いろんな子と係わらせてくれる】


早紀はちょっと内弁慶だった。
だから私が積極的に他の子とのパイプ役をした。

でも、もしかしてそれがよくなかったのではないかと思っていたけど、早紀が楽しいと思ってくれていたことを知り、安堵した。

【五月四日

ゴールデンウィーク中は宿題だらけでつまらない。

でも、街中に買い物に出かけたら、見ちゃった。
黙っておいてと念を押されたけど、言うつもりはない。
噂話は好きじゃないから】


「これ……」

先生と二年の先輩のデートを目撃してしまった日のことだ。
早紀はやっぱり、言いふらしてなんかない。



【五月十日

どうしてだろう。私は言ってない】


その日の日記はたったひと言。
その文字の下の紙は少しふやけている。
おそらく涙の跡だ。



【五月十二日

私は言ってない。
先生はもちろん知ってたけど、相手がなんという名前の先輩なのかも知らなかった。
先生が焦って口止めするから、相手は生徒なんだろうって思っただけ】

そっか……。

退学になった生徒は、二年生の先輩だったけど、休みなら制服も着ていなかっただろう。
私も会ってもわからない。

早紀の苦しい叫びが、胸にズドンと突き刺さる。
でも、その日の日記には続きがあった。


【つぐみが周りから無視され始めた私を盛んに心配してくれる。
私に話しかけたりしたら、つぐみも無視されるかもしれないのに】


「早紀……」


私のことなんて気にしなくてもよかったのに。
私はなにもできなかったのに。

じわじわと涙が滲んできて、文字がかすむ。


【五月十三日

ふたりが学校を去った。私は地獄だ】


「早紀……」


ふたりの退職と退学が決まった日から、早紀への風当たりは強くなった。
それは、自分の株を上げるためにふたりを犠牲にしたと誰かが言い出したからだ。