「(敵意に敵意で対抗しても、何も変わらないから)」
「……っ、」
「(私には、私の言葉を信じてくれる人がいたら、それでいい。だから、私が今伝えたことを信じるも信じないも、あなたに任せる。ただ……これ以上、私のお父さんが悪く言われるのは、とても悲しいけれど)」
そこまで伝えると、彼女は申し訳なさそうに俯いたまま一度だけ小さく頭を下げると、私達のやり取りを後ろで見ていた仲間たちを連れて逃げるように去っていった。
「栞……?」
ぽつり、心配そうに私の名前を呼んだアユちゃんと蓮司へと向き直ると、二人へ向けて笑顔を見せる。
「(私は、大丈夫)」
「でも、こんな……」
「(人の噂も七十五日、っていうでしょ?だからね、またみんな噂に飽きたら忘れると思う。5年前に、そうだったみたいに……)」
「……っ、」
「(だから、私は大丈夫。教室に戻ろ?)」
言葉と同時、再び笑顔を見せれば2人はもう、それ以上は何も言わなかった。
“ 大丈夫 ”
そんな私の強がりに、2人はきっと気付いてた。
それでも私は“大丈夫”と、笑顔を見せる。
……笑顔を見せなきゃいけない。
大切なものを守るため。
大切な人との思い出を、守るため。
大切な家族を守るために、私はどんな苦しみにも耐えてみせると誓ったから。
私だけは絶対にお父さんの心に寄り添うのだと─── 5年前、あの冷たい雨の降る日に決めたのだから。
*
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『Tatarian aster(シオン)』
追憶・君を忘れない
遠くにいる人を思う
どこまでも清く
─── あれから瞬く間に時間は流れ、9月は長月という別名とは裏腹に、通り雨の如く過ぎ去った。
色を失い始めた木の葉を見ながら、私はもうスッカリと癖になってしまった溜め息を吐いて空を仰ぐ。
後輩の彼女からTwitterの件を聞かされて以降、蓮司やアユちゃんが犯人を特定するために色々と試行錯誤を繰り返してくれたようだけど、結局未だに犯人はわかっていない。
それでも犯人は今も私の噂を定期的にツイートしているようで、学校にいればそれを知った生徒たちから痛い程感じる視線と陰口。
心では気にしてはいけないとわかっていても、その暗闇に迫る足音に、どうしても耳を澄ませずにはいられなかった。
「栞、今日も寝不足?」
「っ、」
朝、ぼんやりと意識を浮遊させていた私に、樹生先輩の柔らかな声が落ちてくる。
慌てて焦点を合わせれば、眉根を寄せながら私を見ている先輩がいて、焦り混じりに頷けば寝不足のせいでほんの少し頭が痛くなった。
「(あ、あの……最近、ハマってしまった小説があって。それで、夜も夢中になって読んでたら、つい時間を忘れてしまって……)」
我ながら、苦しい言い訳だと思う。
けれど、今はテスト期間でもないし、こうでも言わないと先輩が納得してくれるとは思えない。
「……へぇ。そんなに面白い本なんだ?それなら、俺が受験終わったら、その本のタイトル教えてもらおうかな。……でも、それがどんなに面白い小説でも、たまには早く寝ないとダメだよ?」
私の顔を覗き込みながら目を細め、試すような視線を寄越す先輩に、コクコクと何度も頷いた。
……本当は、先輩に全てを話してしまいたいと何度も思った。
眠れぬ夜を過ごすたび、何度心の中で先輩のことを想ったかわからない。
だけど今のこの時期、受験生である樹生先輩に心配をかけるわけにはいかない。
先輩を、余計なことで悩ませるわけにはいかないから。
「……あぁ、そういえば。今日は雨が降るみたいだよ」
私は口を噤んで、見えない敵とただただ無言で戦い続けるしかないのだ。
* * *
その日は予報通り、午後から冷たい雨が降ってきた。
「あ、ねぇねぇ、あの子だよ。例のあの、Twitterの……」
この一ヶ月で私の噂は学校中に広まり、今では後輩だけでなく同学年の子たちや先輩までもが私を見ては口々に何かを囁いた。
ヒソヒソと話されるそれの全てが聞こえるわけではない。
けれど、聞こえないからこそ余計に気になって、気にしてしまうからこそ余計な声まで聞こえてしまうのが噂というものだ。
それが、自分の事なら尚更。
……悪循環。悪循環以外の、何者でもない。
「……栞?大丈夫?」
「っ、」
「やっぱり……Twitterで、犯人に反論してみようか?」
俯きながら廊下を歩く私にそう提案してくれたのはアユちゃんで、慌てて顔を上げれば心配そうに私を見つめる綺麗な瞳と目が合った。
「(だ、大丈夫!!本当に、大丈夫だから!)」
「でも……このままだと、栞が……」
「(私は別に気にしてないし……って、本当は少しは気にしてるけど、でも変に反論なんてしたら犯人は余計に面白がるだけだろうし、そんなの相手にするだけ無駄だと思う。何より反論なんてしたらアユちゃんまで標的にされるかもしれないし、本当に大丈夫!)」
「私は、別に……。でも、本当、犯人誰なんだろう。アカウント名も【飯クッチッティーニ】とか変なのだし、栞も今更噂を流されるようなこと、身に覚えがないんだよね?」
「(……うん)」
小さく頷けば、アユちゃんは「だよね……」と零して溜め息を吐いた。
(ごめんね、アユちゃん。本当にごめんなさい)
大好きなアユちゃんにも、これ以上心配をかけてはいけないということも重々わかってる。
けれどどうすることも出来ない私は、ただ心の中で謝り続けるしかない。
「……蓮司?」
「…………あ、ああ」
「何よ、うちらのこと待ってたの?」
「……まぁ、うん」
雨の日の体育館での体育の授業が終わり、教室に戻る途中で蓮司を見つけたアユちゃんが、いつものように声をかけた。
ここ最近、蓮司もまた私と同じように話していても何処か上の空のところがあって、何かを考え込むような時間も多くなった。
……せっかく、蓮司とも仲直りできたのに。
アユちゃんだってせっかく元気になったのに、こんな風に2人を悲しませて心配までかけている自分に段々と腹が立ってくる。
やっぱり、なんとかしなくちゃいけない。
少なくとも私が表情や態度に出さなければ済むことで、私はアユちゃんと蓮司という大切な友達さえ側にいてくれたなら、それでいいと本気で思ってる。
だから、私がもっとしっかりしないと。
私がもっと、強くならないと。
拳を握り、決意を胸に顔を上げた。
「(アユちゃん、蓮司。あのね、私は本当に大丈夫だし、もうこれからは気にしないようにするから、だから─── )」
「あっ!平塚さん、いたいた!なんか今、体育の授業でうちらがいない間に、誰かが教室に入ったみたいで、黒板に平塚さんのことが─── 」
けれど、忍び寄る足音は私の気づかぬ間に、確実に直ぐ近くへと迫っていたのだ。
【人殺しの娘は、この学校から出て行け】
【平塚 栞がいると、安心して学校生活も送れない】
「っ、」
「……何よ、これ」
敵意に染まる声は耳を澄ます人間の欲求をそそり、その中の一部の人間の興味を悪意に変える。
そして、いつの間にか一つでは無くなっていた足音は、脳天気な私の足場を確実に崩していった。
* * *
何が、どうしてこんなことになってしまったのか。
気がついた時には手遅れで、気がついた時には怒りで自分がどうにかなりそうだった。
「なぁなぁ、この噂、知ってるか?これ、駅向こうの学校の子の話しで、マジみたいだぜ」
「あ、これ、俺も知ってる!俺の友達が昨日の帰りにこの子見かけたから駅で声かけたら、本当に喋んなかったって」
「マジで!つーか、マジ怖くね?自分の近くに殺人犯の子供がいたとか」
「それな!昔の話でみんな知らなかったとはいえ、同じ学校の奴とか災難すぎるだろ」
「つーかさ、ヤバくね!見掛けたら110番とか、モザイク掛かってたけど本人の写真アップされてるし!」
「いやーでも、殺人犯の子供が紛れ込んでたら普通怖いっしょ!だから、こうなるのもしょうがないんじゃね?」