たとえ声にならなくても、君への想いを叫ぶ。

 


「……朝から、こんな話したくないけど、聞いてくれる?」



弾けるように顔を上げれば、眉を下げ、憂いを帯びた表情で私を見つめる先輩。


儚さを纏った先輩のその空気に、今の今まで落ち込んでいた気持ちが焦りへと色を変える。


そんな私の瞳を真っ直ぐに見つめる先輩に恐る恐る頷けば、先輩は小さく「ありがとう」と言葉を零すと、ゆっくりと話を始めた。



「……前に少し話した通り、俺は女の子とはかなり曖昧な関係を持って、それすら自分で正当化しているような、最低な奴だった」



それは、先輩から初めて心の傷を打ち明けられたあの日。


先輩が自棄になって吐き出した、あのことを言っているのだろう。


 
 


“女の子のこと簡単に押し倒せるし、今のだって相手が栞じゃなきゃなんの躊躇もなくしてた”


“俺、こういうことに慣れてない相手とは……絶対に、しないから”



「あの幼馴染みくんの思っている通りで、女の子と遊んでたのも全部本当のこと。だから、何もかもを否定もできない俺は、酷く穢れていて(けがれていて)、純粋な栞には不釣り合いな人間だ」



─── 純粋な、私とは。



「栞に軽蔑されても仕方ないと思ってる。だから、栞が俺のことを少しでも迷惑だと思うなら……俺は大丈夫だから、正直に言ってほしい」



先輩。先輩は……何も、わかってない。



「今更、過去の行いを後悔したって遅いけど。でも全部事実で自業自得だと思ってるし、言い訳をしようとも思ってない。だから─── 」


「(……私は、)」


「え?」


「(私は、先輩が思っているような人間じゃありません)」



 
 


重ねられた手を握り返すように、先輩の綺麗な指を掴んだ。


私の突然のその行動に驚いたのか、先輩が動きを止めて私を見つめる。


それに曖昧な笑みを返すと、今度は携帯を取り出して、自分の気持ちを言葉にした。



「(本当のことを言えば、すごくショックでしたし、今も……ショックです。蓮司から初めてその話を聞いた時、絶対嘘だって言って、喧嘩して。私は先輩を、心の底から信じてましたから)」


「……栞」


「(ハッキリ言って、最低だとも思います。先輩の言う曖昧な関係……とか、私には理解出来ないし、理解したいとも思いません)」


「……うん、」


「(でも、先輩は後悔してるんですよね?もう絶対そういうことはしない、って。決めたんですよね?)」



私の問いに、酷く真剣な表情で一度だけ頷いた樹生先輩。


それを見て私は表情を緩めると、再び携帯に指を乗せた。


 
 


「(それなら、もういいです。私は、もう何も言いません)」


「……でも、」


「(だって、先輩はもう反省してるみたいだし。そもそも、それを聞いたところで今更先輩のことを軽蔑なんて出来ません。……出来そうもありません)」


「……っ、」


「(でも、約束してください)」


「約束?」


「(はい。もう、絶対にそういうことはしない、って。だって……いつか、先輩に本気で想う好きな人や、彼女が出来た時に絶対にまた後悔するから、もう二度と繰り返したらダメです)」


「……そうだね」



先輩の、その言葉を合図に私は静かに携帯をしまった。


そして、再び視線を上げた先。


視線の先の先輩は、私を見つめて何故か切なげに眉を下げたままで、思わず首を傾げてしまう。


すると、そんな私を見て今度は小さく笑みを零した先輩が、「ありがとう」と、再びそう声にしたと同時。


電車はまたもタイミング良く、私達の学校のある駅へと滑り込んだ。



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 『Cosmos(コスモス)』

 乙女の真心・調和

  
 





─── その些細な違和感を、辛辣に受け止めなかったことを後悔する日が来るなんて、この時は思いもしなかった。






「……栞?」



瞬く間に過ぎ去ろうとしていた9月。


今日も駅のホームに、お決まりの車両が止まる場所で2人肩を並べていれば、どこかぼんやりと遠くを見つめる栞に小さな違和感を感じた。


俺の言葉にハッと我に返ったように顔を上げた栞。


目元には小さな隈が出来ていて、どうしたのかと尋ねたら「テスト勉強で夜更しをして……」なんて、苦笑いを零した。


かという俺も、受験勉強が大詰めを迎えていた。


推薦を貰っての受験には小論文の練習も必要で、朝早くに登校したらまずは資料室に用意されている新聞を広げる。


そして、自分で決めた時間とテーマで小論文を書き上げたら、担当の教師にアドバイスをもらいにいった。


学校側からお墨付きはもらってはいるものの、難関校なだけに最後まで気を抜くわけにはいかない。


 
 


「じゃあ、また明日」



駅に着き、お決まりの言葉で栞と別れると、俺はいつも通り学校へと向かった。


2学期が始まってからというもの、栞と会うのも朝の電車の時間だけ。


流石に一番の踏ん張り時の今、アルバイトや図書館でのマイペースな勉強に時間を費やすわけにもいかず、出来る限り集中出来るようにと放課後は真っ直ぐ家に帰って勉強していた。



(……無事に受験が終わったら、また図書館で勉強はできるし)



栞と図書館で勉強する時間は、心穏やかでいられる、とても大切なひとときだ。


まさか、栞と出逢ったばかりの頃は、こんな風に思う自分が現れるなんて少しも考えていなかったけれど。


自分にも案外、同い年の奴等と同じような“普通さ”があることを、なんとなく嬉しく思った。


 
 


駅から学校までは、歩いてもそう遠くはない。


朝も早いこの時間、同じ方向へと向かうのは部活動で朝練のある下級生や、俺と同じように大学進学を目指す受験生のみ。


同じように門を潜り、それぞれが目的の場所へと散っていく様子が、毎朝繰り返される。


と。

昇降口でこちらを見ている、見慣れた姿を見つけた俺は、その相手の視線に答えるように軽く手を挙げた。



「樹生っ!おはよう!」


「アキ、おはよ。今日は早いじゃん」



朝が良く似合う、爽やかな笑顔を見せながら手を挙げるアキに、小さく笑みを返す。


すると、アキの隣にいた見慣れない先客は、アキと一言二言言葉を交わすと、俺とは特に会話をすることもなく校庭の方へと歩いて行った。


 
 


「今日は課題のレポートを担任に見てもらう為に、ちょっと早めに来たんだ」


「そっか。っていうか、今の奴は?いいの?」


「ああ、アイツ、就職希望で受験とか関係ないからって、サッカー部引退したのに朝練だけ参加してるんだよ。さっき、たまたま駅で会ったから、ここまで一緒に来たんだ」


「……へぇ。引退してるのに朝早く来て朝練だけ参加するなんて、後輩からすると迷惑……っていうか、物好きだな」


「ハハッ、まぁ、アイツ、サッカー好きだし。部活引退してから、サッカー出来ない環境がだいぶ辛いみたいよ」


「ああ、ね」



自分で聞きながらも、ほとんど興味の削がれた話に適当な返事を返しつつ校舎に入ると、アキとは職員室の前で別れた。


その足で資料室へと向かい、まだ誰もいないその場所で静かに息を吐く。


そしてお決まりの場所へと腰を下ろすと、目の前に乱雑に置かれたいくつかの新聞の内の一つを手に取った。


 
 


(……今日は、何をテーマにしようか)



今朝の新聞は、まだここには届いていないらしい。


毎日新聞を持ってくる進路指導の先生が、まだ出勤してきていないせいだろう。


仕方ないな、なんて思いながらも、練習の為であれば何でもいいかと何年か前の新聞であるそれに、ザッと目を通していく。


選挙の話題や政治家の汚職、当時の日本の経済状況、環境問題。


……と。

とある小さな記事が目について、俺は滑らせていた指をその上で止めた。



「……この近くでバス事故、なんてあったんだ」



なんてことはない、毎日、日本中のどこかで当たり前のように起きる交通事故の記事。


けれど、そんなことが今日もどこかで自分の知らぬ間に起こっているのかと思うと、今こうして当たり前のように生きていることも、決して当たり前ではないのだと思わざるを得ない。


もしかしたら、明日は我が身、なんてこともある。


1分1秒を大切に生きなければいけないな……なんて、栞と出逢う前の自分だったら、こんなこと、考えもしなかっただろうな。