それは、困る。また心がかき乱されてしまうから。
そう、困るはずなのに。なぜか、頬がゆるんできてしまう。

あわてて表情を引き締めて、再び歩き始めようとしたとき。

ふと、平井先生の車がまだ停まっていることに気づいた。

きれいにお化粧した顔が、窓からまっすぐこちらを見ていた。


「それって」


先生が言った。その視線の先は、わたしが着ているコートだ。


「あっ、えっとこれは、わたしが上着を着てくるの忘れちゃって、瀬戸先生に無理言って貸してもらったんです」


しどろもどろに微妙な言い訳をするわたし。

すると、平井先生の視線が、コートからわたしの顔に上昇した。


「あなた、宮原葉月さん、だよね?」

「え‥‥はい」


なんで、わたしの名前を覚えてるんだろう。

別に不思議というわけじゃないけど、平井先生とはそこまで接していないはず。たった2週間しかいない学校の生徒を、すみずみまで覚えるものだろうか。


「あの‥‥‥」


たずねようとしたわたしを無視する形で、先生は冷たく視線をはずした。

そしてそのまま、車を発車させて行ってしまった。