「林ちゃん、こっちから入んな」
「猪上(いのうえ)さん、ごめんの、遅くに」
村議員のひとりである、猪上のおじさんが、勝手口を開けて待っていてくれた。
「ふたりとも、おあがんなさい」
奥さんがにっこり笑って、綺麗な薄黄色をした梅のジュースを、グラスに注いでくれる。
「問い合わせてみたんだがな、駅には行ってねえって」
「ほやったら、山のほうかの」
「あっちゃん、お母さんの向かいそうな場所、心当たりねえのか?」
お勝手口に腰をかけて、首を振った。
情けないことに、まったくない。
猪上のおじさんは、力強い手で私の肩を叩く。
「心配すんな、どこかで何かあったんなら、必ず俺の耳に入る。てことは、まだ何も起こってねえってことだ」
「うん」
「林ちゃんの機転に感謝だな、駐在所に連絡したが最後、大騒ぎだ、よりちゃんも帰ってきづらいだろ」
よりちゃんというのは、母のことだ。
近隣の町で育った母は、私を産む時にこの村に越してきた、いわばよそ者だけれど、温かく迎え入れられた。
当時まだ18歳だった母は、猪上さんたちの世代からは、娘みたいなもので。
けど今思えば。
村長の右腕である猪上さんは、もしかしたら、母のおなかの子の父親が誰なのか、最初から知っていたのかもしれない。