「あれ?」
「彼なら村長の部屋だ」
母の病室に戻ると、林太郎がいなかった。
伸二さんの言葉に、納得する。
来たついでに、様子を見てくることにしたんだろう。
「ちょうどいいや、テン、いる?」
「いるぜ」
真っ黒な上下に身を包んだ姿が、ベッドの向こうにじわりと現れた。
伸二さんが、どことなく嫌な顔をした。
「お母さんにお酒をあげた?」
「欲しい、欲しいって言ってんのが聞こえたからよ」
意識する間もなく、そこにあった電気スタンドをつかんで投げた。
それはコードを引きちぎって飛び、テンの身体を直撃した。
「悪魔」
「ほんと人間てのは、オレらを好きに呼ぶよな」
物理的な攻撃には案外不慣れなのか、痛そうにおなかをさすりながら、電気スタンドがガシャンと床に落ちるに任せる。
その悪びれなさから、一瞬、厚意でお酒を与えたのかと信じかけたけれど、違うとわかった。
私の怒りに対して、明らかに、にいと愉快そうな笑みを浮かべたからだ。
「あんた、何がしたいの」
「オレは人助けしたんだぜ、酒瓶見た途端、飛びついたんだからな、どれだけ我慢してたのかって話だ」
ああでも、と嫌らしくその笑い顔が歪んだ。
「そういや、あーちゃんごめん、あーちゃんごめんって泣きながら飲んでたわ」
突然、その黒い身体が吹き飛び、横の壁に叩きつけられて、ぺちゃんこになった。
私が、怒りの叫びを発する間もなかった。
壁についた汚れみたいに、どろっとした黒い染みと化したテンが、しゅうしゅうと煙をあげながら、元の形を取り戻す。
べりべりと音を立てて、壁から自分を引きはがすようにして、牙を見せて笑った。