12月も半ばになり、夜の街は凍えそうなほどに寒い。


でも、ライブハウスの中は熱気に包まれていた。



整理番号順に並ぶ人たち。

スタッフの案内に従って、私は列の中に入っていく。


リヒトにもらったチケットの番号はかなり早いほうで、列の先頭が見えるくらい前に私は並んだ。



今日のライブは、インディーズで人気のあるバンドが4つ、対バンを組んでいる。


浮かれた様子で順番待ちをしている客たちは、自分たちの推しているバンドのTシャツを着ていた。



「今日さ、フリッカーズがキャンセルになったんだよね」


「らしいねー。あたしけっこう楽しみにしてたのに。ギターのトキヤが怪我したんでしょ?」


「そうそう。でね、代わりに出るバンド、知ってる?」



真後ろで話している若い女の子二人の会話を何気なく聞いていた私は、代わりのバンド、と聞いてどきりとした。



「え、知らない」


「ツイッターで情報まわってたんだけど、Dizzinessってバンドだって」


「えー、聞いたことなーい」



仕方ないな、と思う。


Dizzinessの実力は確かに本物だけど、リヒトの作る楽曲は決して一般受けするものではない。

古いロックやブルースをベースにしているから、最近の若い子たちが好きな、耳触りがよくてポップで分かりやすい曲ではないから。





「でもさ、気になったから検索してみたの、Dizziness」


「へえ、どうだった?」


「めっちゃかっこよかった! メンバーみんな超イケメンだよ」


「マジで? じゃあ絶対見よ」


「特にさあ、ボーカルの人、やばいよ! 見たことないくらいキレイなの!」


「え? 女の人なの?」


「違う違う、男の人だけどー、そんなの関係ないくらいキレイでかっこいいの。だからさー、あたしめっちゃ楽しみでー」



そう。

こういうふうに、見た目の評価が優先されるのも仕方がない。



でも―――ライブを見たら、きっと………。



「あ、入場はじまったよ」


「よし、気合い入れて最前列行くよ!」


「がんばろう!」



たくさんの観客たちが、チケットを見せて、ドリンク券を買って、なだれ込むように入り口に殺到する。


私もその波に乗った。



前に行きすぎると音のバランスが悪くなるから、私はスピーカーの位置を確かめて、一番いい場所に陣取る。


ここなら人波に揉まれることもないし、ステージ全体が見える。

客たちの反応も見られる。




一つ目のバンドは、最近よく名前を聞くようになったポップロックバンドだ。

雑誌やラジオに取り上げられることも多くなってきたので、観客たちの盛り上がりもなかなかだった。


二つ目のバンドもかなり人を集めている。



でも、やっぱり、最近の若いバンドという印象を拭えない。


彼らはきっと、バンドブームに乗っかって多少は売れるかもしれないけれど、

多分、すぐに忘れられてしまう。


だって、新しさがないから。

ノリのいい曲ではあるけど、どれも、いつかどこかで聴いたことがあるようなメロディばかり。


それではだめだ。


本当の意味で売れて、たくさんの人に長く聴かれていく音楽は、こういう二番煎じではだめなんだ。



本物っていうのは―――



ステージが暗転して、二つ目のバンドが片付けを始めた。


観客たちの輪が綻びて、疲れた顔で後ろへと下がっていく。

バーへドリンクを買いに行く人も多い。


Dizzinessは、今日の対バンの中ではたぶん一番知名度が低いから、この反応は仕方がない。




ノリのいい明るい音楽が流れていたBGMが、突然雰囲気を変えた。



日本ではあまり知られていないけれど、海外では今でもかなり人気のある、アメリカの古いパンクバンドの曲。

リヒトの選曲だと、すぐに分かった。


何人かの客たちはそれに気がついたのか、会話をやめて顔をあげ、視線をステージに向ける。



次に流れたのは、20年ほど前のイギリスのグラムロックバンドの曲だった。

三枚目のアルバムに入っている、マイナーだけど、コアなファンには人気のある名曲。



きっと、ここにいる観客たちのほとんどが知らない曲ばかり。


でも、一部の人には伝わったらしい。

少しずつ、前のほうに人が集まりはじめる。


その顔には、好奇心がありありと浮かんでいる。


こんな曲をSEで流すバンドは、いったいどんな演奏をするんだろう、と。


一番前の列には、Dizzinessのライブで見たことのある客が何人も集まっていた。


彼らが興奮した様子でDizzinessの魅力について語り合っていて、それを聞いた他の客たちも興味を引かれたようにステージをちらちら見ている。

早く出てこないか、というふうに。


私は自分のことのように嬉しくなる。


そうだ。

今日はDizzinessにとって大きなチャンスだ。


まだこのバンドを知らない人たちにライブを見てもらい、その魅力を知らしめるための。




BGMがフェイドアウトしていく。


照明が消えて、真っ暗になる。


観客たちの視線がステージに集まる。



どく、どく、と鼓動が高鳴る。



次の瞬間、前方の人垣から歓声があがった。


メンバーが出てきたのだ。



最初は、スティックを持ったドラムのトーマ。


次に、ベースを抱えたハマさん。


そして、赤いストラトを肩からかけたギターのキイチくん。



「わあああっ!!」


「ディジネース!!」


「キイチー! ハマー!」


「トーマ!!」



Dizzinessのファンたちが手をあげて叫んでいる。


周りにいた他バンドのファンたちも、つられたように盛り上がる。



それから、Dizzinessの本格的なインディーズデビュー前からライブに通ってくれていた若い男の子のファンが、ひときわ大きな声で叫んだ。




「リヒトーーッ!!」



あとに続くように、リヒトの名前が連呼される。


その喝采を聞きながら、私は口許が緩むのを止められなかった。



Dizzinessのファンが、リヒトのファンが、こんなにもたくさんいる。


急遽代理で出演することになったライブに、わざわざ駆けつけてくれたファンが、こんなにもたくさんいる。




――――ワアァァッ!!



突然、歓声が爆発した。


私の目は、一点に釘付けになる。


ステージの端から、ゆったりとした足どりで出てくる、背の高い細身の男。


長い髪をゆらゆらと揺らしながら猫背ぎみに歩き、右手にはギターのネックを鷲掴みにしている。



「うおおっ!!」


「きゃああっ!!」



拍手と喝采に全身を包まれた男が、ステージの中央に立った。



と同時に、強烈なスポットライトがその姿を照らし出す。



暗闇を貫く、鮮やかな白い閃光。


そのなかに浮かび上がる、ほっそりとしたシルエット。



光沢のある白の大きめのシャツを三番目のボタンまで外して、黒い細身のジーンズをはいている。

たったそれだけのシンプルな服なのに、信じられないほどの輝きを放っていた。




「リヒトーーーッ!!」




泣きたいくらいの震えがくる。


千人近くの視線と歓声を一身に受けるリヒトの姿。



数年前には考えられなかった。


でも、リヒトはとうとう、ここまで来たんだ。



リヒトは掴んでいた黒いギターのストラップを肩にかけ、シールドを差し込んでアンプにつなぐ。


スイッチを入れてボリュームを上げると、激情が迸るような、それなのにどこか切ない音がスピーカーから飛び出してくる。



リヒトの音だ。


リヒトの音が、何百人もの観客たちの耳を貫いている。



リヒトはアンプから離れ、前を向く。


その瞬間、さらに歓声が大きくなった。




リヒトの顔が、真昼の光ように明るい、真っ白なライトに照らされる。



ゆるく波うつ長い髪に隠されて、表情は見えない。


それでも、その美しさは際立っていた。

歓声がやまない。



他のメンバーたちも所定の位置につき、確かめるように音を出す。


本当に、全員がステージ映えする容姿をしている。


長身のリヒトとハマさん、そしてキイチくんが並んで立つと、ステージがひどく狭く見えた。


ドラムのトーマも大柄なので、奥行きまで小さく感じられる。



後ろのほうでおしゃべりに興じていた若い女の子たちが、歓声につられたように前を見て、悲鳴のような声があがった。


彼女たちは手を取り合って前のほうに突進していく。



見た目で騒がれるのはいつものことだ。


でも、今はその外見に惹かれている彼女たちも、Dizzinessの演奏を聴けばきっと、彼らの音楽にも心を奪われるはずだ。



リヒトは何もしゃべらずに、軽く俯いて足下のエフェクターを足でいじっている。



ベースのハマさんがマイクに顔を近づけた。


バンドの中では唯一社交性のあるハマさんが、リヒトの代わりにいつもMCをするのだ。



「―――どうも、Dizzinessです」



小さく微笑みながら低い声でハマさんが言うと、割れんばかりの歓声が応えた。





「よろしく」



ただそれだけを呟くように言って、ハマさんはすっと振り向いてトーマを見た。


この客に媚びないクールなスタイルも、Dizzinessの魅力だ。


MCで客の機嫌なんかをとらなくてもいい。

自分たちの音楽を心から愛してくれるファンだけが聴いてくれればいい。


そういう、傲慢なほどの自信。


かっこいい。



トーマが頷いて、勢いよくハイハットを叩きはじめた。


次にスネアとバスドラ、そしてハマさんのベースが加わり、うねるようなグルーヴのリズムが生まれる。


安定したリズム隊の音に、リヒトとキイチくんのギターが叫ぶような音色を重ねると、メロディが生まれる。



音楽が生まれる瞬間の恍惚。



リヒトがギターから顔をあげた。


そして、マイクに噛みつくようにして歌いはじめる。



低く甘い声が、激情を放つ。


高音ですこし掠れると、ぞくぞくするほどに魅惑的だ。



こめかみを伝った汗が、髪を濡らす汗が、顎先から髪の先から、透明な雫となって飛び散る。


それすらも、照明の光を拡散させてステージを華やかにする、宝石飾りのようだ。



―――リヒトは、歌うために生まれてきたんだ。


歌うために生きているんだ。


そしてきっと、生きている限りは歌い続けるんだ。



そう思わされずにはいられない、それほどに美しくて強い歌。



Dizzinessを知らない客たちは、圧倒されたように、表情を無くしてステージをぽかんと見つめていた。


それでも、彼らの音楽は、有無を言わさずに客の心を鷲掴みにして、ぐいぐいと引っ張っていく。



そのうちに、ほとんどの客がステージに夢中になりはじめた。


その光景に、私はぞくぞくする。



リヒトがサビでシャウトすると、客の間から歓声があがる。


リヒトがバラードをしっとりと歌い上げると、客たちは目を閉じて聴き惚れる。


リヒトがギターソロを弾くと、数え切れないほどの手がリヒトに向かって差し出される。


まるで、神を崇拝する敬虔な信者たちのように。



とてつもない引力をもったリヒトの声。


そして、それを支える楽器たちの鮮やかで強烈な音色。



美しい音楽の洪水に、客たちが陶酔の表情を浮かべていた。



Dizziness―――眩暈。


やっぱりこのバンド名は彼らにぴったりだ。



私はライブハウスの真ん中で、眩暈を覚えながらリヒトを見つめ続けていた。