―――ずるい、と思った。


リヒトは、ずるい。



そんな話を聞かされたら―――私はもう、駄々なんてこねられなくなる。

我が儘なんか言えなくなる。


捨てないで………なんて、愚かなことは言えなくなる。



だって私は、リヒトの音楽を、それを生み出す才能を愛しているから。


もしかしたら、リヒトという人間を愛する以上に、その音楽を愛しているから。



だから、私の存在がリヒトの音楽にとって邪魔になるのなら………私は諦めるしかなくなる。


リヒトの音楽を聴けなくなることが、私にとってはこの世で最も耐えられないことだから。



私が聴きたいのは、リヒトが私だけのために囁く愛の言葉なんかじゃなくて、リヒトが誰かのために奏でる愛の歌だから。




「………分かった。もう、やめる」



ほとんど無意識に、私はそう呟いていた。


リヒトの胸に手を当て、その鼓動を感じて、

それから押しのけた。



「私がリヒトにとって不要で、リヒトの音楽にとって邪魔になるなら、私はもうリヒトを諦める」



リヒトが目を細める。



「―――さよなら、リヒト」



それだけを告げて、私は踵を返し、玄関に向かった。



リヒトに背を向けた瞬間に、もう振り向きたくなった。


愛しい姿を目に灼きつけたくなった。



でも、私は決して振り向かなかった。


最後くらい、リヒトを煩わせずに去りたい。