勝手にチャンネル替えんなよ。





醤油ない

100パーセント

あいつのせい


 1.醤油使ったら元に戻せよ。





目玉焼きにはケチャップと決まっている。

つやつやな真っ白の上に下品な黒をどばどばぶっかけるなんて、目玉焼きに失礼だ。

だから、そんな邪道をしているのが血を分けた弟だと思うだけで、鳥肌が立つ。どんだけかけんだよ。もう白いとこ残ってねーよ。おい。


「……あんた、胃に虫湧くよ」

「あ?」


ぼそりとこぼすと、黒縁めがねの向こうの瞳が、不機嫌そうにあたしを睨んだ。


「日本人は黙って醤油って決まってんの。ケチャップなんつーアメリカンな調味料が目玉焼きに合うわけねえだろ」

「いや、それもう目玉焼きっていうか醤油じゃん。味覚障害かよ」

「目玉焼きにケチャップかけてるおまえのほうが味覚障害だよ」


ひとつ下の燿(ひかる)は、小さなころからどうしてもトマトだけがダメらしい。だからケチャップもダメ。人間の食いもんじゃねえとすら言っていた。

だからうちのオムライスはバターライスで出てくる。もちろんお母さんのオムライスはとても美味しいけれど、そんなわけで、あたしは昔からケチャップライスに憧れている。


「しゃべってないで早く準備しなさいよ。燿は朝練あるんでしょう」

「へいへーい」


洗濯物を干しているお母さんに声を掛けられると、燿はかったるそうに返事をして、真っ黒な目玉焼きを口のなかに滑り込ませた。


「晶(あきら)は? きょう早えの?」

「んーん。きょうはゆっくり」

「あ、そ。んじゃ先出てるわ」


おまえの口はバキュームカーか。しゃべりながらよくそんなにも食べられるな。

用意された朝食を、たったそれだけの会話のあいだに平らげて、燿は食卓を立った。

だらしなくお尻まで下がったグレーのスウェットを直しもせず、寝癖のついた髪をわしゃわしゃと掻く。

ちゃんとキッチンに食器を下げるのはお母さんの躾の賜物だとしても、なんだかなあ。あたしの弟の後ろ姿があんなだなんて、ちょっと、いやとても、不本意だ。

着替えるために自分の部屋へ向かった燿の背中を眺めながら、わざとらしくため息をついた。


「あきらー」

「なにー」


食後のココアを飲んでいると、ふいに洗面所から呼ばれた。燿だ。


「おまえ俺のコンタクトケースどこやったんだよ」

「どこにもやってねーよ」

「無えんだけど」

「知らんわ。どうせあんたがテキトーなとこに置いたんでしょうが」


本当にだらしないやつ。これだからO型は。いつもなにかモノを失くすと真っ先にあたしのせいにして、結局は自分の管理不足ってオチなんだ。

今回だってきっとそう。


「晶、ちゃんと見に行ってあげて。燿はもう出なきゃいけないんだから」


お母さんは燿に甘い。差別されているわけではないんだろうけど、どうしても母親にとって息子ってのはかわいいらしい。

かわいいかねえ。そりゃ昔は天使みたいにかわいかったかもしれないけど、いまではちょっとイキがった高校生でしかない。コンタクトケースが無いならそのダサい黒縁めがねで行けっての。

ココアの入ったマグカップを持ったまま洗面所に行くと、燿はあたしを見下ろして口をへの字に曲げた。


「あーわり、あったわ」

「は?」

「違うとこに置いてたから分かんなかった」

「なにそれ……。あたしの10歩を返せ」

「デブにはちょうどいい運動になったろ」

「マジで殺す」


鏡越しに呪怨の念を送ってやる。ついでに呪詛も唱えてやる。黒魔術も覚えてやる。最初の犠牲者はおまえだ。

それなのに燿はちょっと声を殺して笑って、「悪かったよ」なんて言うんだ。


「そんなだからあんたはチビのまんまなんだよ」

「うるせえな。おまえよりでけえだろ。つーかチビじゃねえし。172だし」

「はっ、あんたみたいのがバスケ部のエースなんて、うちのバスケ部も大したことないねえ」

「ばーか、俺の実力だっつの」


言いながら、寝起きのもさい弟が、鏡のなかでどんどんイケメン風な男子高生に変わっていくのを見て、感心した。あくまでイケメン風、だけど。

猫っ毛な黒髪をちょっとふわふわさせるとか、制服を少し着崩すとか、どこで覚えてくるんだろう。

「……なに見てんの」

「べっつにー。色気づいちゃって嫌だなあと思っただけー」

「色気づいてんのはどっちだよ」


だいたい予想はついていたけれど、「太い脚なんか出しやがって」と続いたので、間髪入れずにお尻に蹴りを入れてやった。


「いってえな!」

「うるせーな。さっさと学校行けこのクソガキ」

「おまえマジでその口の悪さと脚癖の悪さ直せコラ」


口が悪いのも、脚癖が悪いのも、残念だけど燿にだけは言われたくない。まあ、こいつのはあたしに似ちゃったんだろうけどさ。

でも、そもそもあたしがこんなふうになってしまったのは、ブリブリ趣味なお母さんのせいだ。

幼いころからリボンやレースを着せられてきた。すっごく嫌だった。男勝りというか、ガサツというか、それはきっと、お母さんへの無言の反発なんだろう。

そして、そんなあたしを見て育ってきた燿も、だいたい同じような感じに出来上がった。男の子だから心配いらない気がするけど、たぶん潜在的な防衛本能なんだろうな。

ちなみに、いまだにお母さんはあたしにフリッフリな服を着せたがる。もうホント勘弁してください。


「うわやっべ、もうこんな時間じゃん! 俺行くわ!」

「へいへい、いってらっしゃい」


教科書なんかほぼ入っていないスクールバッグと、大切にしているバッシュを急いで掴んで、燿は光の速さで玄関を出た。部活のことになると真剣になる弟は、きっと本当にバスケが好きなんだろう。

・・・

だからといって、弁当を忘れるってのはどういう馬鹿だ。


「なんっであたしが昼休み削って弁当届けなきゃなんないんだよ……」

「いいじゃん。かわいいかわいい燿くんのためなんだからさー」

「なんにもかわいくないわ、あんなもん」


中学から一緒にいる日和(ひより)は、どうしてか燿のことをとてもかわいがっている。だから燿も、とても彼女になついている。


「でもなんだかんだでずっと仲良いよねー」

「はあ? 喧嘩しかしてないよ」

「えーほんとに仲悪かったら口もきかないって」


黙っていたら頭がおかしくなりそうなくらい腹が立つという場合もあります。

きょうだってそう。弁当忘れてることをわざわざLINEしてあげたら、昼休みに届けに来いなんて言いやがった。何様だよ。あんたが取りに来い。

ただ、日和が一緒に行きたいと言ったので、仕方なく届けることにした。面倒くさいことこの上ない。


「少なくとも燿くんは晶のこと大好きだと思うけど」

「気持ち悪い」

「なんでよー。わざわざ晶と同じ高校に進学してくるあたりめちゃくちゃかわいいじゃん。燿くんホントかわいいよ。あんな弟がいて羨ましいなー」


だったらいっそあいつの姉ちゃん代わってくれ。

げらげら笑う日和を横目に、小さくため息をついた。神がかって鬱陶しいあいつを知らないから、日和はそんなことが言えるんだ。