「行ってきまーす」
少しずつ変わった世界の中でも、変わらないものはある。
相変わらず世界はヒビ割れたままだし、玄関の前には高広の姿がある。
「おはよ、高広」
そう声をかけると、高広は私を見て、ニコッと微笑んだのだ。
……あれ?
何か違う。
いつもなら、照れたように「おう」とか言うのに、そんな素振りも見せない。
「ど、どうしたの? いつもとちょっと感じが違うけど……」
「そうか? 俺はいつもこんな感じだろ。早く行こうぜ」
確かに話し方は同じなんだけどなあ……。
朝の、「カラダ探し」を忘れさせてくれるこの時間だけが、私の憩いの時だ。
それなのに、照れた顔じゃなくて笑顔なんて……久しぶりに見た気がするけど、調子が狂うな。
学校に向かって歩きだした私達。
ふたりで話していても、武司の事が気になって、高広の話は上の空。
「……でよ、翔太のやつは美雪がいなくなって……って、おい! 聞いてるか!?」
私の目の前でブンブンと手が振られて、そこでやっと気づくくらいに。
ダメだ……武司が気になって学校どころじゃない。
「あのさ……私、また『カラダ探し』をさせられてるんだけど……」
唐突に言った私のその言葉に、高広はピタリと立ち止まって驚いたような表情を浮かべた。
武司があんな状態で、「赤い人」に殺されてしまうのは仕方がないと思う。
だけど、中島君に殺されていたと言うなら話は別だ。
何とかして立ち直らせたいけど、どうすればいいかがわからないのだ。
「そうか……何かあれだな。明日香が頼まれたのに、俺は頼まれてないのがムカつくな」
悔しそうにしているところは変わらないな。
「でさ、武司が学校に来てないじゃない? あれさ、あゆみちゃんが死んじゃってて、落ち込んでるんだけど……武司も『カラダ探し』のメンバーなんだ」
高広はさらに驚いたような表情を浮かべて。
何度も口を開いたり閉じたり、言葉を探しているような感じで……。
自分が頼まれなかったのに、武司が頼まれたという事が悔しいのだろう。
探して探して出した言葉に、その感情が込められていた。
「役に立ってるのかよ……武司だろ? また暴れてるんじゃないのか? 何か不安だぜ」
その不安、的中してると思う。
暴れているわけじゃないけど。
「それがさ、全然動かないの。毎晩、一歩も動かないで殺されちゃうんだ。一緒にやってるメンバーが、武司に恨みがあるみたいでね、その人に2回殺されたんだよ」
「何? 武司の野郎、殺されても何もしねぇのかよ。そいつ、明日香には何もしてねぇだろうな?」
「え? ああ……頬っぺたをぶたれたかな。先に手を出したのは私なんだけどね」
思い出しながら高広を見ると……眉間にシワをよせて、怒っているのがわかる。
もしも、中島君の名前を出していたら、怒りに任せて殴りに行っていたかもしれない。
「誰だそいつは? 明日香に手を出したバカは、俺がシメてやる」
それじゃあ意味がないと思う。
「言わない。だってさ、高広がその人を殴ったとするでしょ? でもその恨みは、私や武司に向くかもしれないでしょ? だから……武司が立ち直ってくれないとさ」
「カラダ探し」で武司が動いてさえくれたら……。
中島君の横暴を止められる人は、今回のメンバーの中にはいないから。
「……わかった。武司を何とかすればいいんだな?」
そう言って高広は、今歩いてきた道を引き返したのだ。
「えっ!? ちょっと、高広! どこに……」
って、武司の家に決まってる!
学校に行く前に、まずは武司の家に乗り込むつもりなのだろう。
殴るだけでは武司は何も反応しない。
慌てて高広を追いかけるように、私は駆けだした。
止めたところで高広が、武司の家に行くのは止まらない。
毎日そうなっているのだから、もう止めようとも思わないんだけど。
足早に歩く高広に、ついていく事で精一杯。
10分ほど、小走りを続けて……武司の家に到着した。
何も言わずに家の玄関のドアを開けて、勝手に家に上がり込む。
「た、高広! お、お邪魔します」
玄関で靴を脱いで、急いで武司の部屋がある二階へと駆け上がると、すでに高広は部屋に入っているらしくて……。
私が部屋の中をのぞくと、高広は壁にもたれる武司の前にいた。
何をするつもりなのか……高広はその場で正座になったのだ。
殴る……わけではなさそうだけど、だったら何をするのだろう。
そんな疑問を感じながら入った武司の部屋。
相変わらず武司はぐったりとしていて、夜の校舎で見る姿と同じ。
「ね、こんな具合で全然動いてくれないんだよ。『昨日』までの高広が何をしてもダメだったんだ」
私がそう言った直後、高広が動いた。
勢いよく頭が下がり、それが床に当たってゴンッと音を立てる。
何が起こったのか……私の目の前で、あの高広が、武司に頭を下げたのだ。
その光景は、私には信じ難いものだった。
高広と武司、事あるごとにぶつかるくらい仲が悪いのに……。
その武司に、高広が土下座をしている姿なんて初めて見た。
「頼む! 俺じゃあ何もできねぇんだ! 一緒に『カラダ探し』をしてるお前にしか頼れねぇ! 頼むから……明日香を守ってくれよ!」
もしかして、ここに来た理由はそれを言うため?
武司が動かない事に腹を立てたわけじゃなくて、私を助けてって言うために。
普通なら、好きな人のこんな姿は情けなくて見たくもないだろうけど……私は違った。
動かない武司を殴りもせずに、私を守ってほしいと、プライドを捨ててまで頼んだ高広の姿は……決して情けなくなんてない。
「カラダ探し」とは関係がなくても、高広に守られているかと思うと、すごくうれしい。
「明日香を助けるためにあゆみは死んだかもしれねぇ。だからって、お前は腐るなよ! そんな姿、俺は見たくねぇんだよ! 気がすむまで俺を殴ってもいい! だけどよ、明日香だけは……頼む! 守ってくれ!!」
絶叫にも似たような声で、頭を床にこすりつけながら頼み込む高広。
でも……武司は変わらずぼんやりとしたままで、返事をしてくれそうにはなかった。
「も、もういいよ。やっぱりダメなんだよ。武司は何を言っても変わらないから……頭を上げて」
「いや、ダメだ! まだ足りねぇんだよ! 武司! この通りだ!」
軽く頭を上げ、もう一度床に頭を打ちつける。
何度も何度も……。
その状態で30分。
何も反応してくれない武司の前で、高広はその体勢を崩さなかった。
ここまでしてもダメなら、もう何をやってもダメだ。
「もういいって。『カラダ探し』は武司の分も私が頑張るからさ。なるべく武司が殺されないように私が守るから……大丈夫だよ」
半ば諦めたように、そう呟いた時だった。
「……はっ」
かすかに……武司が笑ったような声を出したのだ。
その声を聞いて、慌てて頭を上げた高広。
何を言っても、やってもいっさい反応しなかった武司が声を出したのだから無理もない。
「武司……今、笑ったよな!? 頼む! 本当に頼む! 明日香を守ってくれ!」
ダメ押しとばかりに頭を床に打ちつけた高広を……。
武司が、ゆっくりと頭を上げて見下ろしたのだ。
「……ずいぶん腑抜けたもんだな。お前も……俺も」
蔑むような目で高広を見て、そう呟いた武司。
しゃ、しゃべってくれた……。
なぐさめられても、殴られても、殺されても、何も言ってくれなかった武司が。
何が引き戻す決め手になったのかはわからないけど、きっと高広の想いが伝わったのだろう。
まだ立ち上がってはくれないけど、武司がしゃべってくれた事がうれしくてたまらなかった。
「武司、頼むぜ。明日香を」
「はっ。知るかよ……」
たとえ協力してくれなくても、動いてさえくれればそれでいい。
ただ殺されるだけだった武司が逃げるという行動を取ってくれるだけでもかなり違うから。
「わかった。明日香、学校に行こうぜ」
何がわかったのか高広は立ち上がり、真っ赤なおでこを私に向けて、部屋の入口を指差したのだ。
「え? あ……武司は?」
「いいんだよ。学校に来たくなったら勝手に来るだろ」
私の肩に手を当てて向きを変えると、押し出すようにして部屋を出た。
「誰が守るかよ……」
部屋の中から聞こえた、武司の声を背中に感じながら。
「カラダ探し」が始まって四日目。
ずっと殺され続けた武司ももう大丈夫。
家を出て、遅くなったけど学校に向かう私の心の中は晴れやかだ。
カラダが見つかった以上の喜びを感じるよ。
「ありがとうね。武司がしゃべってくれたのは高広のおかげだよ。毎日行った成果だね」
「毎日って……俺は知らねぇよ」
そう言いつつも、何だかうれしそう。
これで「カラダ探し」の事はどうにか……。
「あっ! しまった、忘れてたぁ……遥に何て言えばいいんだろう」
うれしくて、カラダを持ったまま死んでしまった事を忘れていたよ。
学校に行ったら遥に何を言われるか。
「何だ? 遥がどうかしたのかよ?」
「い、いや……何でもない、こっちの話だからいいんだ」
こればかりは誰のせいでもない、私の単純なミスなのだから。
でも……小川君が取り出したカラダを移動させるつもりだったなら、同じ事かな。
自分にそう言い聞かせて、私は高広と学校に向かって歩いた。
あとは……カラダを探せばいいだけ。
美紀に頼まれた事はどうしよう。
黒くて怖い人。
それは、小野山邸に行っていない私にとっては未知の存在だった。
学校に着いた時には1限目の途中で、私と高広は教室には入らずに屋上に向かった。
そこには、遥と日菜子、小川君がいて、ドアが開くといっせいに私達を見たのだ。
「あらあら、ずいぶん遅い登校ね。ふたりで朝からデート? まさかね」
遥の言葉に、思ったよりもトゲがない。
もしもそれが、カラダが4つ集まったから機嫌がいいのだとすると、言いにくいな。
「そんなわけないでしょ。それより日菜子、あんた『昨日』何があったのよ? いきなり死んでるんだもん、びっくりしたよ」
「え? 私!? うーん……よくわからないんだよね。家の前まで帰ったのは覚えてるんだけど……気づいたら朝だったんだよね。何かが頭に当たったかも」
首を傾げながら、後頭部をさする日菜子。
何が起こったのかわかると思ったのに……本人がわからないんじゃどうしようもない。
「通り魔かしらね。香山さんが『カラダ探し』をしていたのが不幸中の幸いだったわ。殺されても死なないから」
普段なら怖がるかもしれないけど、「カラダ探し」をしている私達には関係ないかな。
もしも通り魔なら、その気になれば犯行を未然に防ぐ事も、犯人を捕まえる事だってできるから。
今の私達には、それはたいした問題ではなかった。
「これが今回のメンバーかよ。小川、テメェか? 明日香をぶったのは」
屋上にいた3人を見回し、唯一の男子である小川君に、高広が詰めよった。
「ぼ、僕はそんな事しないよ……森崎さんをぶつだなんて」
そんな奴と一緒にいるはずがないのに。
高広はどうしてこうも早とちりをするのか。
雰囲気が変わったように思えたのは、気のせいだったのかな?