えーと、手順によれば、女児だからみなみは私の右膝へ。
みなみは長らく相手にしてくれなかったママの帰還に、機嫌よく寄りかかっている。
さっきまでたそがれ泣きで大騒ぎしていたので、社長とゼンさんが交互に抱っこして子守唄を歌ってたっけ。
年長者である社長が箸をとり、みなみの口に料理を運ぶマネをする。
ちなみに社長の新しいビデオカメラがゼンさんが回している。しょうがないよね、役回りが決まってるから。
「みなたん、ほらごはんだよ」
赤ちゃんがごはんを本当に食べるとお祝いとしては縁起がいいらしい。
社長はなんとかみなみの口にごはんの一粒でもと苦心しているけれど、知らないものをあてがわれてみなみはきゅむっと唇を閉ざしている。
うーん、なんて芝居ッ気がないんだ、うちの娘。
歯固め石という、神社の境内からいただいてきた石を唇に持っていくと、なぜかそれにはしゃぶりついた。
みなみさん、なぜ石は食べるんだ……。
「ママの料理より、石ですか」
「いやいや、みなたんはママの料理の方がいいに決まってるよなぁ」
「そうだ、室内が暑いから、石が冷たくて気持ち良いんじゃないか?」
思わず呟いた私に、社長とゼンさんが必死のフォロー。
いえ、いいんですよ。
傷ついてませんよ。
こんなひとコマも、社長のビデオカメラにばっちり記録されたのだった。
*
お食い初めはつつがなく終了し、そこからは大人の食事会となった。
私は食事もそこそこにみなみに授乳し、お風呂に入れる。忙しかったし、少しゆっくりしたいけど、すでにみなみは眠そうだ。猶予はない。
お風呂上り、しばらくラグとプレイマットでゴロゴロしていたみなみは、めずらしくたいした寝かしつけもないままに寝てしまった。
おお!ラッキー!
料理作りで結構消耗してるし、これで寝ないコースだったら悲惨だもんなぁ。
ま、いつまでもつかわかんないけど。
と、私がみなみの世話を焼いているうちに、オジサンふたりが出来上がっているという件ね。
日本酒出してきちゃったよ~とは横目で見てたんだけど、私が食卓に戻る頃には、熱く仕事について語る我が社の社長と部長がいた。
私もおなかが減っていたし、勝手に煮えているふたりは放置して、相槌だけうちながらごはんを済ませる。
うん、今日のメニューどれも大成功。
美味しくできてるじゃないですか。
は~、ビールが飲めないのが残念だけど仕方ないか。
授乳期の飲酒は、妊娠中の飲酒より、赤ちゃんに影響があるっていうもんなぁ。
やがて、酔っ払った社長はくすくす笑いながらみなみの横のラグに寝転んだ。
おなかに毛布だけかけ、グーピー寝てるみなみをニマニマ覗きこんでいる。
「おいこら、みなみに酒くさい息を吐きかけるな!」
「うるさいうるさい。みなたんのパパはうるさいやつだね~、やだね~」
「起こすなよ!」
そんなやりとりをしているうちに社長はラグに転がったまま眠ってしまった。
大きないびきが、彼の早朝からの冒険を物語っていた。
お疲れ様です、社長。
でも、急に魚釣ってくるとか、サプライズ過ぎですから。
「寝ちゃったね」
私は社長のおなかにも毛布をかけた。
一応、別室にお布団も準備しているから、トイレか何かに起きたら移動してもらおう。
「佐波ぁ、こっち来い」
ゼンさんが食卓で頬杖をつき眠そうな顔をしている。
だいぶ飲んでたもんなぁ。
「ゼンさんも寝たら?」
「いーから、横に座れ」
私が横の椅子に座ると、ゼンさんの顔がずいっと近付く。
その勢いのまま、ゼンさんが私にキスをした。
お酒の匂いのするキスは一瞬で、すぐに離れていった唇を呆気にとられて見つめてしまう。
「佐波、好き」
ゼンさんが子どものようにニコッと笑った。
この人は~。
酔ってるからって無邪気に可愛くなってどうすんだ!
34歳男子が可愛さ売ってくるのはナシ!
あーもう、
私の心臓のバクバクいう音、聞こえてないでしょ!
「……私も好きですよ」
「本当か?本当に俺のこと好きか?」
「好きだってば!」
照れてやけくそな回答だったけれど、ゼンさんは嬉しそう。
酔っ払いゼンさんは私の頭を抱え、ぎゅうぎゅうと抱き締めた。
嬉しいというか、頭がぎりぎり痛い。
酔っ払いは力の加減もわからないみたいだ。
「ゼンさん、離してよ!痛いよ!」
「あー、色々したい」
「みなみも社長もすぐそこで寝てるんだから駄目」
「寝てるから大丈夫だろ」
「ぜーったい、駄目!」
ゼンさんはなかなかしぶとく私を離さず、結局私からキス一回。
それでちょっと満足したらしく、おとなしく寝室に移動してくれた。
ほどなく、起きた社長も隣室にご案内。
みなみはまだ寝ているので、リビングは暗くして、キッチンだけ明かりをつける。
さてさて、後片付けに入りましょうかねぇ
ママの夜はまだ終わらないのだ。
『育児に対する困難を感じますか?』
私の頭の中ではその言葉が回っている。
ここ数日、ずっと。
この言葉は3ヶ月健診のアンケートが元だ。
母子手帳の記入欄と提出用紙、どちらにもあった言葉だ。
育児に対する困難か……。
アンケート提出の時はそれほど真剣に感じなかったけれど、わずか半月経った今、その一言が重く心にのしかかる。
状況が変わったわけじゃない。
みなみは相変わらず頻回授乳で、夜は寝ない。
20時から24時の4時間睡眠は半分くらいの確率でしてくれるけど、あとは1時間おきで起きる。
泣き方は激しく力強い。全身で暴れて泣くから抱っこも大変。
正直、疲れてきた。
4ヶ月みなみに滅私奉公してきたけれど、みなみの成長の喜びを凌駕する疲労を感じる。
何か見返りを期待しているわけじゃない。育児ってそういうものだ。
……思っても思っても、やりきれない。
「佐波、見ろよ。みなみが頑張ってるぞ」
日曜日の昼下がり、ゼンさんに言われ、プレイマットを見ると、転がったみなみが下半身を捻っている。
脚をあげ、ジタバタする姿はよく目にしていたけれど、今日は腰を捻っている。
どうやら、プレイマットのモビールを取ろうとバタついているうちにこんな格好になったようだ。
「すごいぞ、寝返りの練習かな」
「たまに上半身も捻って変な格好になってるよ」
「みなみは発達が早いな。寝返りもあっという間にマスターするかもしれないぞ!さすが、俺の子!」
ゼンさんは親バカ全開で言う。
呑気だよなぁ。
っていうか、気楽だよなぁ。
ゼンさんは平日は仕事だ。
みなみをかまうのは土日。お風呂も入れてくれるし、うんちのオムツだって替えてくれる。
でも、それは土日限定。
仕方ないよ、仕事忙しいもん。同じ職場にいた私にはそれが痛いほどわかる。
夜だって、みなみが泣けば、たまに起きてくれるけれど、毎回じゃない。毎回起きていたら働く彼の体力的にもたないだろう。それはわかる。
だけど、なんかなぁ。
なんだか羨ましい。
外の世界に行けるゼンさんが羨ましい。
私にはみなみと家の世界しかない。
そのみなみがまた全然思う通りにならないし……。はぁ。
口に出せない羨ましさや悩みを飲み込んで、私はみなみを見下ろした。