君が僕のファインダーに収まるとき

<4話:千理、揺れ始める>
 
『おはよー葵斗。年越しはどーすんの?』
 高校生になって初めての冬休み。
 秋の初めから恋愛ごっこを始めた葵斗からの連絡は冬休みに入っても少なかった。多分、話題を振るのが苦手なんだろう。葵斗はそういうタイプの人間なんだということは数ヶ月の付き合いで何となく察していた。
 クリスマスはほんの少しだけ何かあるかな……と思ったが、葵斗はクソ真面目過ぎて何にもなかった。
 まぁ、そういうところが案外嫌いではないのだけれど。
 クリスマスを終えた冬休みのイベントなんて、年越しと初詣くらいだ。だけど、葵斗が年越しを一緒に過ごそうと云ってくる可能性は極めて低いと思っていた。それでも一応付き合ってはいるのだから、と投げてみた質問。
 さして間を置かず、携帯が震えた。
『年越しは家族で』
『だと思った』
 予想通りの答えに落胆などは感じない。
『葵斗、ご来光撮りに行く?』
『うん』
『じゃあ俺も連れて行って』
『良いけど』
 朝早いよ、と。既に俺の朝の弱さを知っている葵斗のメッセージに一人で笑ってしまう。
『徹夜するよ』
 寝なければ遅刻しないと打ち込んで、オッケーを示すスタンプを送ったら、待ち合わせ場所と時間が返ってきた。
 大晦日から元旦に掛けては間引かれているものの電車は動いている。
 年明けの瞬間に『あけおめ!』とメッセージを送ってみたが、返信はなかった。まさか寝ているのか? 年越しに? どれだけ規則正しい生活をしているんだ、葵斗の家は。
 少しの呆れと苦笑を滲ませて、俺は深夜の歌番組を見ながら時間を潰した。頃合いを見計って家を出る。ご来光を見に行くんだと前々から宣言していたから、両親は特別何も云わなかった。各駅停車ののんびりした電車に乗って目的地を目指す。
 待ち合わせ場所には既に葵斗の姿があった。
 首には安定のフィルムカメラをぶら下げている。
「葵斗、俺のあけおめメッセ見た?」
「うん、明けましておめでとう」
 返信していないことを悪びれないのは葵斗らしい。
「あの時間、寝てた?」
「寝てた」
「大晦日って夜更かしするもんじゃないか?」
「ウチは普段の生活とほぼ変わらない」
「へぇ……」
 本当に寝ていたのか……。
 それこそらしいと云えばらしいけど、夜更かしの楽しみ方も知れば良いのに。
「行くよ」
 そう云ってさっさと歩き出す葵斗。勿論手を繋ぐこともなくて、新年早々甘さも何もあったもんじゃない。
 肩に掛けてきたボディバッグにはポラロイドカメラを忍ばせてある。
 初っから写真を撮ることを目的としている葵斗と一緒に出掛けるのだから、欠いてはいけないアイテムだと思ったからだ。
 駅から歩くこと三十分程。サイクリングロードが伸びる土手に上がれば、同じことを考えているのであろう人たちが沢山居た。
 じいっと東の空を見詰める。
 黒い空が次第に濃い青色へと変化しだし、薄明るくなってくる。
 そっと、葵斗がカメラを構えた。それに倣うよう、俺もボディバッグから取り出したカメラを構える。
 燃えるような橙が川の水面から頭を出し始める、その瞬間から葵斗は人を寄せ付けない空気を纏って、シャッターを切り始めた。
 そんな葵斗を横目で見ながら俺もシャッターを切った。
 ジーッと音を立てて出てきた写真紙。それをパタパタと振って目の上に翳す。
 白んだ薄水色の下に、濃い橙の半円がほんの少し揺らいで写っていた。
 また葵斗を横目に見て、彼はどんな写真をフィルムに収めているのだろうかとぼんやり思う。
 だって、葵斗の撮る景色はいつだってぼやけているのだから。俺の姿だけを鮮明に写す葵斗はある意味凄いと思う。最早一種の才能ではなかろうか。
 すっかり陽が昇ると、カメラを構えていた人たちはまばらに散り始めた。
 葵斗もカメラを下ろし、俺を見る。
「千理、この後の予定は?」
「何もないけど」
「なら、このまま初詣に行こう」
 問うというよりはもう決定事項のような云い方に、俺は思わず笑ってしまう。
「どうして笑ってんの……?」
「だって、葵斗、俺が断らないって確信してるみたいな云い方するから」
「……都合が悪いなら解散しても良いけど」
 ふいと決まり悪そうに顔を逸らした葵斗の手首を掴んでにこりと笑う。
「良いよ、行こう。初詣行く予定なかったし」
 それは事実。俺は色んなグループに適度に顔を出しては引っ込める程度の付き合いしかしていなから、ピンポイントでどこかのグループから誘いがくることは案外ない。
 だから、何の労力も割かずにクリスマスを葵斗と過ごせたのだが。
 どこに行く? と手首を離したら、葵斗は腕を組んでから片手を口許に遣った。
「学校の近くじゃない方が良い……?」
「ん? あぁ、そう云えば駅の近くに大きな神社あるもんな」
 何か由緒正しい神社なんだっけ?
 首を傾ければ、葵斗はこくんと頷いた。
「なら、折角だからそこ行こう。近辺のことも判るから迷うこともないし」
 そうしようと笑って見せれば、葵斗はまた頷いて俺を引き連れ土手を下りた。
 一回乗り換えて目的地まで二十分程。加えて駅から十分くらい歩いたら、人混みとぶつかった。
「うっわー、凄い人」
 俺いっつも地元の小さいとこしか行かないからこんな大きいとこ来たの初めてだ。
 ほう、と息を吐いたら、人混みは苦手かとと問われた。
「いや、寧ろ葵斗の方が苦手なんじゃないか?」
 背中を丸めて下から葵斗を見上げたら、まぁ得意ではないかも……と呟くものだからつい肩を揺らしてしまう。
「けど、一度くらいは参拝しておきたいと思ってたから」
「なら平日にすれば良いじゃないか」
「初詣の方が験担ぎになりそうかと」
「へぇ、葵斗、験担ぎとかするんだ」
 意外だな……とまた肩を揺らしながら、俺は断りを入れずに葵斗の手に自分の手指を絡ませる。
「えっ、千理っ?」
「はぐれないよう」
「…………」
「付き合ってんだから、別に何の問題もなくない?」
 そう云ってやれば、葵斗は恥ずかしがるように俺から視線を逸らした。
 鈍くて奥手かと思えば、突然キスをしてくる大胆さを見せる癖に、やっぱりこんな風に手を繋ぐだけで照れたりする葵斗の二面性についつい悪意のない笑いが込み上げる。
 口数が減りつつも、俺の手を解かないままでいる葵斗にも。
 賽銭箱の前まで辿り着くのには軽く一時間以上掛かった。
 するりと離れていく葵斗の指。財布を取り出して小銭を漁ってから十円玉と五円玉を手の中に握る彼。
「何で十五円?」
「充分ご縁があるように、って」
 ウチでは普通だよと云う葵斗にへぇと返して、なら俺は……と財布の中身を改める。
「あー、五十玉しかないや」
 でもこれもある意味充分に縁があるように、とも取れるよな。そう思わないか? と葵斗の横顔を見たら、穏やかな視線だけが肯定を示してきた。
 二礼二拍手一礼。神社のお参りのルールに従って手を合わせた俺の願い事は簡単だ。家内安全と、
(今年こそ、誰かを特別好きになれない謎が解決しますように)
 そのふたつだけ。
 葵斗と居るとどこか安心するな気持ちになるのと同時に、胸の奥がざわつくような感覚もある。
 誰かと付き合ってこんな風になるのは初めてだ。
 だから、俺の抱える謎を葵斗が解いてくれるんじゃないかと思って恋人(ごっこ)を続けている訳で。
 この時間が無駄にならなければ良いな、と切に思う。
 ただ、何だかもうゲームの勝敗なんてどうでも良いような気がしているのはまだ俺だけの秘密。



 年が明けると街のイルミネーションは少しカラーバリエーションを変える。
 理由はバレンタインデーが近くなるから。ハート型のオブジェが増え、赤やピンクの色味多めで街が彩られるのだ。
 まだまだ夜は長い季節。明確な門限はないにしろ、通年で余り帰りが遅くなると良い顔をされないものだからこうして夜を楽しめる冬はある意味好きだ。自分が冬生まれだから、というのもあるかも知れない。
 とは云え自分の誕生日に固執したことはほぼないのだけれど。
 強いて云えば、母親が健在の頃に作ってくれたケーキが好きだったから自分の誕生日が近くなるとソワソワしていたとかその程度で。
 千理には自分の誕生日を告げてはいない。訊かれていないから答えていない、というだけのことだけど。
 数字がよっつ、横並びに綺麗に階段を一段ずつ上がったその日も千理とは普段通り写真部の部室で放課後の時間を共にしていた。
 冬は運動部の活動が控えめになるから必然と千理に飛んでくる助っ人の声も少ない。
「なぁ、葵斗。俺最初の頃より写真撮るの上手くなったと思わないか?」
 折角写真を撮っているのだからスクラップブックにでも纏めたらどうか、という僕の案を素直に飲んだ千理は、ポラロイドカメラで写した写真をコラージュしながらスクラップブックに収めていた。
 それを初期のページと最近のページとを交互に見せてくる千理に、そうだねとお世辞ではなく答える。
「少なくとも、風景は葵斗より綺麗に撮れてると思う」
 そんな千理の悪戯な声音に否定はしない。
 僕が撮る写真は僕にしか撮れない世界だが、通常の感覚で云えばいつまで経ってもぼやけたままの風景しか撮れない僕よりは、千理の写真の方が上手いと多数が思うに違いないから。
 ポラロイドカメラを手の中で遊ぶ千理は、ふと思い出したように僕の顔を覗き込んだ。
「そう云えば、葵斗の誕生日っていつ?」
 もう過ぎた? 俺カメラ買ってもらったのに何もお返ししてないじゃん。
 そんな律儀な声に、何というタイミングだろうと思う。
「葵斗って誕生日早そうなイメージ。四月とか、五月とか」
「……今日」
「へ?」
「……今日が、僕の誕生日」
 ぽつりと零すように呟けば、千理は目を大きく見開いてから、マジ? と忙しなく瞬いた。
「嘘を云う必要がない」
「な、っんだよ! それなら早く云えよ!」
「特別云う必要もないかと、」
「いやいや、あのさ? クリスマスの時もだけど、恋人だったら一般的なイベントとか相手の誕生日とかは結構大事な日だろうが!」
 何で俺の方が恋愛のイロハをアンタに教えてんだよ、と嘆いて見せる千理は、自分が僕より年下であることに加えて他人を好きにならないと堂々自称しているからだろう。
「あーもう! 知ってたらちゃんとプレゼントとか考えたのに!」
 バン! と大きな音を立ててスクラップブックを閉じる千理。
「今から葵斗の誕生日プレゼント買いに行こ!」
「別に気にしなくて良いよ」
「気になるだろ、流石に!」
 誕生日おめでとうな! と雑な祝福と大きな溜息を吐き出しながら千理は気怠そうに頬杖をついた。
「葵斗の欲しがりそうなものなんて判らない」
 何が欲しい? そう問われても物欲の薄い僕はポンとすぐには思い付かない。
「祝ってくれる気持ちだけで嬉しいよ」
 無難に返したつもりの答えは千理にとっては不正解だったらしい。
 あからさまに機嫌が右下へと下降しているのが表情に出ている。
「えーっと、じゃあ……」
 腕を伸ばして、千理のネクタイをゆっくり解く。
「えっ、ちょっ、あお、とっ?」
 慌てたような千理の声を無視して自分のネクタイも解いた僕は、千理のネクタイを自分の膝に。そして自分のネクタイを千理に握らせる。
「これで」
「……そんなんで、良いの?」
 拍子抜けしたような声を出しながら忙しなく瞬きを繰り返す千理に、うんと頷く。
 千理にとっては「そんなんで」かも知れないけれど、僕にとっては充分だ。
 千理の物を自分が身に着ける。そして逆も然り。それは所有権の証のようで、下手な消耗品なんかを貰うよりもずっと価値がある。
「それで葵斗が良いなら、良いけど……」
 本当にそれだけで良いのかよ? 後で他に請求してきても遅いからな?
 そんな言葉を続ける千理に、他には何も要らないよと目を細めてから、あぁいや、とひとつ首を振る。
「何、葵斗?」
「写真」
「写真?」
「君のカメラで、ツーショットを撮って欲しいかな」
「……携帯じゃなくて?」
「そのポラロイドで」
 駄目かな? そう問うたら千理はご機嫌のジェットコースターを漸くゴールに辿り着かせたのか、小さく笑って「それならおやすい御用」と僕と肩を並べた。
「自撮りみたいな確認しながらじゃないから上手く撮れるか判んないけど……ハイ、さーん、にー、いち」
 片腕を張ってシャッターを切った千理。
 ジーッと音を立てて出てきた写真紙を差し出され、まだ銀塩の主張が激しい内にそれを声音だけで押し返す。
「それは君が」
「は?」
 首を傾げる千理の腕を引っ込めさせる。
「君に持っていて欲しいんだ」
「……何で? だってツーショアンタが欲しいんじゃないの?」
「千理に持っていて欲しいから、千理のカメラで、と」
「…………はぁ」
 そう、と間の抜けた声にほんのり微笑する。
「それと、叶うならそのスクラップブックの最後のページにね」
 綴じて欲しいなと添えたら、千理は「ホント安い男だな葵斗は」と肩を揺らした。
「じゃあ、それくらいのお願いは叶えてやるよ。誕生日だし」
 最後のページにはこの写真を貼ることにする、と千理は色がしっかりと浮き出てきた写真をスクラップブックに挟んだ。
 互いにネクタイを結び直して腕時計を見る。
 そろそろ下校の時間だと顔を上げた僕に、千理はもうそんな時間かぁ……と窓の外を見てから大きく伸びをして立ち上がった。
「外、寒いかな」
「いつもよりは暖かいんじゃないかな」
「どうして判るんだ?」
 千理の問いを、僕は微苦笑でそっと払い落とした。
 千理との大きな思い出がまたひとつ残ったから、とは照れ臭くてとても音には出来ない。