<2話:恋愛ごっこのルール>
「よろしく、葵斗」
そう云って差し出された千理の手を握った僕。
恋人ごっこが始まってから(始まる前もだが)千理は一切の敬語を取り払って僕に話し掛けてきた。
ゲームを前提とした擬似交際の軍配は果たしてどちらに上がるのか。
千理と付き合うこと(便宜上そう表現することにする)になってすぐ。校内は文化祭に向けての準備に忙しくなった。
僕のクラスは模擬店をやるといってその準備を着々と進めていたが、僕は当日終始カメラマン役で校内を回って欲しいと顧問から頼まれていた為、クラスの催しの準備は最低限しか手伝わなかった。
千理のクラスはお化け屋敷をするそうだ。その準備姿を写真に残しておきたかったが、大勢の前でカメラを構えるのは性分ではない。それに、彼のクラスまで行って写真を撮っていたら、否が応でも目立ってしまう。それこそ性分ではない。
連絡先交換した僕たちだったが、それを使うことは余りなかった。と云うのも、放課後になれば千理が頻繁に写真部の部室へと顔を出すようになったからだ。
『今日はいけなさそう』
そういった内容のチャットが昼休みないし放課後すぐに飛んでこない日はほぼ彼は部室に入り浸っていた。
数人しか居ない部員ともすぐ打ち解けた彼の社交性は本物だ。
紅木は写真部の部員になるのか? と。そう問われる千理はカラカラと笑い、決まってこう答えていた。
「ちょっとカメラに興味が湧いただけだよ」
と。さも一過性のものだと云うように。
部員の居ない部室で、千理は過去の先輩たちが残していったアルバムを見るでもなく見ていた。
「写真部って何気に活動してるんだ」
「行事の時は、一応」
「ふぅん」
ぺらり、アルバムを捲る手は緩慢。
「この写真、デジカメの?」
「概ねそうだろうね」
「暗室ってフィルム写真の現像に使うんだろ?」
「あぁ」
「俺の写真があんなに貼ってあったってことは、暗室を使うのは葵斗だけ?」
「……うん」
「携帯のカメラも優秀なこの時代に、何で葵斗はフィルムカメラなんだ?」
千理からの質問の嵐に、僕はひとつひとつ丁寧に答えていく。
「幼い頃から慣れ親しんでいたから」
仄暗い暗室が落ち着く場所なのだとは付け足さないでおく。
「葵斗はカメラマンになりたいの?」
「そういうつもりはない、かな」
けれども後にそうなることはもしかしたらあるかも知れない。伯父の子は娘一人だけだから、写真館を存続させるのであれば、僕が写真館のカメラマンとして働くことになる可能性はある。千理のこと以外さして撮りたいとも思わない人物写真を撮るのは余り気の進む話ではないけれど。
文化祭で僕は千理の写真を自分のカメラに収めることはなかった。
自分のカメラには自然体の千理だけを収めておきたかった。幾ら付き合うということになってもその気持ちは変わらず、フィルムカメラには千理の視線がこちらに向いていない写真ばかりを残している。
交際を始めて一ヶ月と少しが経った頃だろうか。
千理は僕が暗室に篭ろうとするその背中を追って来た。
「写真の現像ってどうやるのか知りたい」
興味本位で投げ掛けられた台詞に拒絶を唱える理由もなく、僕は扉をしっかりと閉めるようにとだけ告げた。
僕が現像をしている間、千理は静かに僕の背後に立っていた。
時折手元を覗くものの、声は一言も発さない。ひとつの音ですら、まるで現像の過程の邪魔になるのではないかと考えているような雰囲気だった。
ひと通り現像作業を終えるなり、千理は電池を新しくした玩具のように喋り出した。
「フィルムの現像って想像以上に面倒臭いな!」
決まった分量の薬液に浸したり、時間を細かく測ったり。細かい作業は出来ないことないし嫌いでもないけど、時間管理をしなきゃいけないのは面倒臭い、と千理は肩を竦めた。
「でもカメラを教えて欲しいっていうのは嘘じゃないよ」
何かもっと簡単なのないの?
暗室を出ながら肩越しに振り向かれて、それならと机を指差す。
「デジタルカメラは? それかそれこそ携帯のカメラでも良いと思うけど……」
「ん〜……デジカメも携帯も、いちいちアプリ起動して同期させて、ストレージ圧迫するから整理して……ってやるの、めちゃくちゃ面倒じゃん」
「新しいものは自動でクラウドに保存してくれる機能もあるよ」
「けど、画面の中に何千枚もデータが入ってると、何か情緒がなくなる気がする」
一丁前な反論に思わず溜息。
簡単で、かつデジタル圧迫しないカメラと云えば、インスタントカメラくらい。
「千理」
「うん?」
「君、誕生日が今月末だって云ってたよね?」
先日「俺の誕生日、もうすぐなんだ」と、さも誕生日プレゼントを強請るような主張をされていたことを思い出してそう問う。
「そうだけど、それがどうかした?」
「明日の予定は」
明日は土曜日。学校は休みだ。
「何もないけど……何? デートのお誘い?」
まさか葵斗から先に休日デートの誘いを掛けてくるなんて思わなかった、と嘯く千理はこの先自分から僕をデートに誘う気はあったのだろうか。
「嫌なら無理にとは云わないけど」
「嫌だなんて云う訳ないじゃん。良いよ、どこ行く?」
「駅前の大型家電量販店」
「……家電屋?」
何で? と首を傾げる千理に、それは明日すぐに判ると返して、僕は暗室の鍵を閉めた。
部室を出て鍵を顧問に返し、下駄箱に向かう。学年違いで下駄箱の位置は違うから。靴を履き替えたら校門で待ち合わせるのが常だ。
千理との帰路は最寄り駅までの徒歩二十分程。同じ駅を使ってはいるが、家の方向は逆だった。
「暗くなるの早くなってきたな」
空を見上げながらぽつりと呟く千理に、そうだねと返す。
「陽が暮れるのが早くなると、勿体ない気分にならない?」
流れてきた視線に、どうして? と首を傾げる。
「何か、活動時間が短くなる気がする」
早く帰らなきゃって気分にならない? と笑う千理に、僕はうんともいやともつかない表情を浮かべた。
陽が長ければ夕景を。
陽が短ければ夜空を。
各季節に合わせた楽しみ方をしていた僕に、活動時間が短くなる気がする、という感覚はなかった。
駅に着いて、改札をくぐる。
少し広めの構内で明日の待ち合わせ時間を再度確認し、別々のホームへと足を伸ばす。
階段を上がり反対側のホームを見れば、向かいで手を振る千理の姿。その姿は静かに滑り込んできた電車によって遮られる。
翌日に僕が何をしようとしているのか、千理にはきっと想像出来ないだろう。
※
葵斗と家電屋に行く約束をした土曜日。
常に十分前行動を心掛けている俺は、あの電車に乗れば時間通りに着く、という電車の一本前の電車に乗り込んだ。
土曜日だからか、満員ではないけれども上りの電車は少し人が多い。
座る席は空いていなかったから、降りる駅まで殆ど開くことのないドアに肩をくっつけて見るとはなし流れていく風景を眺めていた。
葵斗からデートの誘いを受けたのは少し意外だった。
まだほんの僅かにしか関わっていないけれども、葵斗が朴訥な人間なのだとはすぐに知れたこと。
物凄く奥手そうなのに、誘い方はそんなに不器用じゃなかった。
どうしてか、幼い頃から俺は「誰かを好きになることはない」と確信を持っていた。
とは云えその確信がどこからやってくるものなのかは実のところ曖昧なのだけれど。
恋愛感情で誰かを好きになることはない。それは俺の世界の端をほんのちょっぴりだけ色褪せさせていた。
俺はその褪せた色を鮮明にしてくれる誰かを探している。
葵斗に特別それを期待している訳ではないけれど、彼の俺に対する執着はどこか病的ささえ感じて逆に興味をそそられた。
同性だから云々、なんてことは些事に過ぎない。異性だろうが同性だろうが、好きなものは好きだろうし、嫌いなものは嫌いだ。何事においても性別に拘るのは昨今ナンセンスだ。
わざわざストーカーに向かって真正面から「俺と付き合いたいの?」なんて問い掛けを投げてしまったのは、葵斗が俺を見詰めてくるその眼差しが余りにも真っ直ぐだったからだ。
何となく。俺の中の漠然としたものを明確にしてくれるような、そんな気がして、俺はゲームと称して葵斗と付き合うことにしたのだ。
あくまでゲームだということにしておけば、この関係はあくまで希薄なものなのだと葵斗にも、自分にも云い聞かせられる。
こういう予防線を張ることもゲームの勝敗に関わってくるし。
ただ、葵斗に告げた「探し物を手伝って欲しい」というのは嘘じゃない。病的なまでに俺に視線を注いでくる葵斗だからこそ、俺が探しているものを見付けるのに役立つかも知れないと思ったからだし、そのことも明言している。
人によっては腹を立てられても仕方がないのに、葵斗は嫌な顔ひとつ見せなかった。だから、云い方は悪いけれど利用させてもらうことにした。
打算的な関わり方だというのに、葵斗と出掛ける。ただそれだけのことに何だかそわそわしてしまう。
誰かと付き合うのは初めてじゃない。
けど、デート前に気持ちがどことなし落ち着かないのは初めてだった。
待ち合わせ場所に向かっていたら、数メート先にもう葵斗の姿があった。
駆け寄って、早いなと肩を叩いたら、葵斗は「アンタこそ」と嫌味なく目を細めた。
制服のブレザー姿でなくとも、葵斗はボタンを一番上まで止めたワイシャツにチノパン姿。俺みたいにスキニージーンズとオーバーサイズのパーカー、まではいかなくても、もう少し楽な格好をすれば良いのに……と思う反面、葵斗らしいか、とも思う。
葵斗が先導するように俺の一歩先を行く。
そうして連れて行かれたのは家電量販店のカメラコーナーだった。
「葵斗、カメラ持ってるじゃん」
何の用があるんだよと首を傾げたら、僕のじゃないと葵斗。
葵斗のものではないとしたら、誰の……?
キョトンとしていたら、葵斗は目当てのブースを見付けたのか、足を止めてサンプルとして置いてあるカメラを幾つか触った。
隣に並んだら、コードの繋がったカメラのひとつを持たされた。一般的なデジカメより一回り程大きい。ボディ自体は黒い細かなクロコ柄で、要所要所頑丈であって欲しい場所はシルバーだ。少しレトロな玩具感がなくもない。
「どう?」
「どう、って? 何が?」
「手に馴染むかどうか」
「あー、うん。見た目に依らずまあまあ軽いし、子供でも使えそう」
「ならそれにしよう」
一人で小さく頷いた葵斗は、近くに居た店員へ俺に持たせたカメラを所望し、ついでにと壁面に幾つもぶら下がっている緑の箱をひとつ手に取った。
そうしてさっさと会計を済ませた葵斗は、英字がずらりと並ぶクラフト紙の袋を俺に突き出してきた。
「なに?」
「アンタのカメラだよ」
「……は?」
唐突にカメラなんて物を買ってもらう理由がないんだが? 値札は見てきてないけれど、恐らく安い買い物じゃあないだろう。
けれども葵斗は頑なに腕を引っ込めなかった。
「誕生日プレゼントとして」
「え、あ、あぁ……けど、」
「金額なら気にしなくて良いよ。バイト代を少し使っただけだから」
「へ?」
葵斗バイトしてんの? でも放課後に早く帰ることはないじゃないか。俺の疑問を汲むよう、葵斗は俺の手に強引に紙袋を握らせて「家で」と短く答えた。
「家の……正確には伯父のだけど、その仕事の手伝いをしてるんだ。キチンとした仕事だよ」
葵斗の伯父さん、と云えば確か写真館をやってるって云ってたっけ。
「撮影の手伝い?」
「それもたまにはあるけど、主にはフィルムの現像かな」
それを聞いて、俺は思わず吹き出してしまった。
「家でも学校でも暗室に篭ってるのか? ある意味不健全だなそれ」
肩を揺らしてから、でもそれなら、と紙袋を顔の高さに持ち上げる。
「有難く頂戴します、葵斗先輩」
芝居掛かった仕草はスルーされた。
「じゃあ」
要件は終わった、とばかりに葵斗は来た道を帰ろうとするものだから、いやいやいやと彼の腕を引く。
「葵斗、デートだろ?」
電気屋行って、はいじゃあバイバイ、なんて色気が無さ過ぎるだろ。
「俺たち一応付き合ってるんだけど」
「あぁ、まぁうん……そう、だね」
「ならもう少しいかにも恋人っぽいことしようとか思わないの?」
「…………写真関係なく、一緒に居る理由が、思い浮かばない」
小さな声に、俺は思わず苦笑が込み上げる。前言撤回だ。葵斗は不器用だ。不器用過ぎる。写真の現像に関しては物凄く器用なのに、人間的には馬鹿みたいに不器用だ。
「葵斗」
「何だ?」
「折角カメラ買ってもらったけど、肝心な使い方が判んない」
ちゃんと使い方を教えてよ、と。
こちらから一緒に居る理由を作れば、葵斗は「その手があったか」と云わんばかりに目を大きくしてこくんと頷いた。
「なら、どこでが良い?」
「適当なカフェとかで一息吐きながら教えて」
「判った」
もう一度頷いた葵斗は近場のチェーン経営のカフェに俺を引き連れた。
「このカメラ、デジカメ……じゃないのか?」
カフェの隅っこ。買ってもらったばかりのカメラを箱から取り出しながら首を傾げる。
「違う」
「どう違うの?」
「シャッターを切ったらすぐに写真がプリントされて出てくる」
そう云って、葵斗は説明書も読まずにカメラの裏蓋を開けて、緑の箱から出した紙……恐らくは写真紙? をセットすると、コーヒーと一緒に頼んだタルトを被写体にシャッターを切った。
ジーッと音を立てて側面からテカリのある紙が出てくる。
「真っ白じゃん」
「少し待つと浮かんでくるんだ」
真っ白な紙は、確かに十秒程したら次第に色が着いてきて、一分も経たない内にはっきりとした像を結んだ。
「へぇ、凄いなこれ」
「これなら扱いは簡単だし、君の云う情緒、も多少なり感じられるんじゃないかなって」
「うん。ホント、これは面白そう」
葵斗からカメラを受け取り、すぐさまパッとシャッターを切る。
「千理……!」
窘めるような悲鳴にくすくすと笑う。俺が自分のカメラで初めて撮った写真は葵斗の殆ど無表情に近い、でもほんのり柔らかな笑顔だった。
「よろしく、葵斗」
そう云って差し出された千理の手を握った僕。
恋人ごっこが始まってから(始まる前もだが)千理は一切の敬語を取り払って僕に話し掛けてきた。
ゲームを前提とした擬似交際の軍配は果たしてどちらに上がるのか。
千理と付き合うこと(便宜上そう表現することにする)になってすぐ。校内は文化祭に向けての準備に忙しくなった。
僕のクラスは模擬店をやるといってその準備を着々と進めていたが、僕は当日終始カメラマン役で校内を回って欲しいと顧問から頼まれていた為、クラスの催しの準備は最低限しか手伝わなかった。
千理のクラスはお化け屋敷をするそうだ。その準備姿を写真に残しておきたかったが、大勢の前でカメラを構えるのは性分ではない。それに、彼のクラスまで行って写真を撮っていたら、否が応でも目立ってしまう。それこそ性分ではない。
連絡先交換した僕たちだったが、それを使うことは余りなかった。と云うのも、放課後になれば千理が頻繁に写真部の部室へと顔を出すようになったからだ。
『今日はいけなさそう』
そういった内容のチャットが昼休みないし放課後すぐに飛んでこない日はほぼ彼は部室に入り浸っていた。
数人しか居ない部員ともすぐ打ち解けた彼の社交性は本物だ。
紅木は写真部の部員になるのか? と。そう問われる千理はカラカラと笑い、決まってこう答えていた。
「ちょっとカメラに興味が湧いただけだよ」
と。さも一過性のものだと云うように。
部員の居ない部室で、千理は過去の先輩たちが残していったアルバムを見るでもなく見ていた。
「写真部って何気に活動してるんだ」
「行事の時は、一応」
「ふぅん」
ぺらり、アルバムを捲る手は緩慢。
「この写真、デジカメの?」
「概ねそうだろうね」
「暗室ってフィルム写真の現像に使うんだろ?」
「あぁ」
「俺の写真があんなに貼ってあったってことは、暗室を使うのは葵斗だけ?」
「……うん」
「携帯のカメラも優秀なこの時代に、何で葵斗はフィルムカメラなんだ?」
千理からの質問の嵐に、僕はひとつひとつ丁寧に答えていく。
「幼い頃から慣れ親しんでいたから」
仄暗い暗室が落ち着く場所なのだとは付け足さないでおく。
「葵斗はカメラマンになりたいの?」
「そういうつもりはない、かな」
けれども後にそうなることはもしかしたらあるかも知れない。伯父の子は娘一人だけだから、写真館を存続させるのであれば、僕が写真館のカメラマンとして働くことになる可能性はある。千理のこと以外さして撮りたいとも思わない人物写真を撮るのは余り気の進む話ではないけれど。
文化祭で僕は千理の写真を自分のカメラに収めることはなかった。
自分のカメラには自然体の千理だけを収めておきたかった。幾ら付き合うということになってもその気持ちは変わらず、フィルムカメラには千理の視線がこちらに向いていない写真ばかりを残している。
交際を始めて一ヶ月と少しが経った頃だろうか。
千理は僕が暗室に篭ろうとするその背中を追って来た。
「写真の現像ってどうやるのか知りたい」
興味本位で投げ掛けられた台詞に拒絶を唱える理由もなく、僕は扉をしっかりと閉めるようにとだけ告げた。
僕が現像をしている間、千理は静かに僕の背後に立っていた。
時折手元を覗くものの、声は一言も発さない。ひとつの音ですら、まるで現像の過程の邪魔になるのではないかと考えているような雰囲気だった。
ひと通り現像作業を終えるなり、千理は電池を新しくした玩具のように喋り出した。
「フィルムの現像って想像以上に面倒臭いな!」
決まった分量の薬液に浸したり、時間を細かく測ったり。細かい作業は出来ないことないし嫌いでもないけど、時間管理をしなきゃいけないのは面倒臭い、と千理は肩を竦めた。
「でもカメラを教えて欲しいっていうのは嘘じゃないよ」
何かもっと簡単なのないの?
暗室を出ながら肩越しに振り向かれて、それならと机を指差す。
「デジタルカメラは? それかそれこそ携帯のカメラでも良いと思うけど……」
「ん〜……デジカメも携帯も、いちいちアプリ起動して同期させて、ストレージ圧迫するから整理して……ってやるの、めちゃくちゃ面倒じゃん」
「新しいものは自動でクラウドに保存してくれる機能もあるよ」
「けど、画面の中に何千枚もデータが入ってると、何か情緒がなくなる気がする」
一丁前な反論に思わず溜息。
簡単で、かつデジタル圧迫しないカメラと云えば、インスタントカメラくらい。
「千理」
「うん?」
「君、誕生日が今月末だって云ってたよね?」
先日「俺の誕生日、もうすぐなんだ」と、さも誕生日プレゼントを強請るような主張をされていたことを思い出してそう問う。
「そうだけど、それがどうかした?」
「明日の予定は」
明日は土曜日。学校は休みだ。
「何もないけど……何? デートのお誘い?」
まさか葵斗から先に休日デートの誘いを掛けてくるなんて思わなかった、と嘯く千理はこの先自分から僕をデートに誘う気はあったのだろうか。
「嫌なら無理にとは云わないけど」
「嫌だなんて云う訳ないじゃん。良いよ、どこ行く?」
「駅前の大型家電量販店」
「……家電屋?」
何で? と首を傾げる千理に、それは明日すぐに判ると返して、僕は暗室の鍵を閉めた。
部室を出て鍵を顧問に返し、下駄箱に向かう。学年違いで下駄箱の位置は違うから。靴を履き替えたら校門で待ち合わせるのが常だ。
千理との帰路は最寄り駅までの徒歩二十分程。同じ駅を使ってはいるが、家の方向は逆だった。
「暗くなるの早くなってきたな」
空を見上げながらぽつりと呟く千理に、そうだねと返す。
「陽が暮れるのが早くなると、勿体ない気分にならない?」
流れてきた視線に、どうして? と首を傾げる。
「何か、活動時間が短くなる気がする」
早く帰らなきゃって気分にならない? と笑う千理に、僕はうんともいやともつかない表情を浮かべた。
陽が長ければ夕景を。
陽が短ければ夜空を。
各季節に合わせた楽しみ方をしていた僕に、活動時間が短くなる気がする、という感覚はなかった。
駅に着いて、改札をくぐる。
少し広めの構内で明日の待ち合わせ時間を再度確認し、別々のホームへと足を伸ばす。
階段を上がり反対側のホームを見れば、向かいで手を振る千理の姿。その姿は静かに滑り込んできた電車によって遮られる。
翌日に僕が何をしようとしているのか、千理にはきっと想像出来ないだろう。
※
葵斗と家電屋に行く約束をした土曜日。
常に十分前行動を心掛けている俺は、あの電車に乗れば時間通りに着く、という電車の一本前の電車に乗り込んだ。
土曜日だからか、満員ではないけれども上りの電車は少し人が多い。
座る席は空いていなかったから、降りる駅まで殆ど開くことのないドアに肩をくっつけて見るとはなし流れていく風景を眺めていた。
葵斗からデートの誘いを受けたのは少し意外だった。
まだほんの僅かにしか関わっていないけれども、葵斗が朴訥な人間なのだとはすぐに知れたこと。
物凄く奥手そうなのに、誘い方はそんなに不器用じゃなかった。
どうしてか、幼い頃から俺は「誰かを好きになることはない」と確信を持っていた。
とは云えその確信がどこからやってくるものなのかは実のところ曖昧なのだけれど。
恋愛感情で誰かを好きになることはない。それは俺の世界の端をほんのちょっぴりだけ色褪せさせていた。
俺はその褪せた色を鮮明にしてくれる誰かを探している。
葵斗に特別それを期待している訳ではないけれど、彼の俺に対する執着はどこか病的ささえ感じて逆に興味をそそられた。
同性だから云々、なんてことは些事に過ぎない。異性だろうが同性だろうが、好きなものは好きだろうし、嫌いなものは嫌いだ。何事においても性別に拘るのは昨今ナンセンスだ。
わざわざストーカーに向かって真正面から「俺と付き合いたいの?」なんて問い掛けを投げてしまったのは、葵斗が俺を見詰めてくるその眼差しが余りにも真っ直ぐだったからだ。
何となく。俺の中の漠然としたものを明確にしてくれるような、そんな気がして、俺はゲームと称して葵斗と付き合うことにしたのだ。
あくまでゲームだということにしておけば、この関係はあくまで希薄なものなのだと葵斗にも、自分にも云い聞かせられる。
こういう予防線を張ることもゲームの勝敗に関わってくるし。
ただ、葵斗に告げた「探し物を手伝って欲しい」というのは嘘じゃない。病的なまでに俺に視線を注いでくる葵斗だからこそ、俺が探しているものを見付けるのに役立つかも知れないと思ったからだし、そのことも明言している。
人によっては腹を立てられても仕方がないのに、葵斗は嫌な顔ひとつ見せなかった。だから、云い方は悪いけれど利用させてもらうことにした。
打算的な関わり方だというのに、葵斗と出掛ける。ただそれだけのことに何だかそわそわしてしまう。
誰かと付き合うのは初めてじゃない。
けど、デート前に気持ちがどことなし落ち着かないのは初めてだった。
待ち合わせ場所に向かっていたら、数メート先にもう葵斗の姿があった。
駆け寄って、早いなと肩を叩いたら、葵斗は「アンタこそ」と嫌味なく目を細めた。
制服のブレザー姿でなくとも、葵斗はボタンを一番上まで止めたワイシャツにチノパン姿。俺みたいにスキニージーンズとオーバーサイズのパーカー、まではいかなくても、もう少し楽な格好をすれば良いのに……と思う反面、葵斗らしいか、とも思う。
葵斗が先導するように俺の一歩先を行く。
そうして連れて行かれたのは家電量販店のカメラコーナーだった。
「葵斗、カメラ持ってるじゃん」
何の用があるんだよと首を傾げたら、僕のじゃないと葵斗。
葵斗のものではないとしたら、誰の……?
キョトンとしていたら、葵斗は目当てのブースを見付けたのか、足を止めてサンプルとして置いてあるカメラを幾つか触った。
隣に並んだら、コードの繋がったカメラのひとつを持たされた。一般的なデジカメより一回り程大きい。ボディ自体は黒い細かなクロコ柄で、要所要所頑丈であって欲しい場所はシルバーだ。少しレトロな玩具感がなくもない。
「どう?」
「どう、って? 何が?」
「手に馴染むかどうか」
「あー、うん。見た目に依らずまあまあ軽いし、子供でも使えそう」
「ならそれにしよう」
一人で小さく頷いた葵斗は、近くに居た店員へ俺に持たせたカメラを所望し、ついでにと壁面に幾つもぶら下がっている緑の箱をひとつ手に取った。
そうしてさっさと会計を済ませた葵斗は、英字がずらりと並ぶクラフト紙の袋を俺に突き出してきた。
「なに?」
「アンタのカメラだよ」
「……は?」
唐突にカメラなんて物を買ってもらう理由がないんだが? 値札は見てきてないけれど、恐らく安い買い物じゃあないだろう。
けれども葵斗は頑なに腕を引っ込めなかった。
「誕生日プレゼントとして」
「え、あ、あぁ……けど、」
「金額なら気にしなくて良いよ。バイト代を少し使っただけだから」
「へ?」
葵斗バイトしてんの? でも放課後に早く帰ることはないじゃないか。俺の疑問を汲むよう、葵斗は俺の手に強引に紙袋を握らせて「家で」と短く答えた。
「家の……正確には伯父のだけど、その仕事の手伝いをしてるんだ。キチンとした仕事だよ」
葵斗の伯父さん、と云えば確か写真館をやってるって云ってたっけ。
「撮影の手伝い?」
「それもたまにはあるけど、主にはフィルムの現像かな」
それを聞いて、俺は思わず吹き出してしまった。
「家でも学校でも暗室に篭ってるのか? ある意味不健全だなそれ」
肩を揺らしてから、でもそれなら、と紙袋を顔の高さに持ち上げる。
「有難く頂戴します、葵斗先輩」
芝居掛かった仕草はスルーされた。
「じゃあ」
要件は終わった、とばかりに葵斗は来た道を帰ろうとするものだから、いやいやいやと彼の腕を引く。
「葵斗、デートだろ?」
電気屋行って、はいじゃあバイバイ、なんて色気が無さ過ぎるだろ。
「俺たち一応付き合ってるんだけど」
「あぁ、まぁうん……そう、だね」
「ならもう少しいかにも恋人っぽいことしようとか思わないの?」
「…………写真関係なく、一緒に居る理由が、思い浮かばない」
小さな声に、俺は思わず苦笑が込み上げる。前言撤回だ。葵斗は不器用だ。不器用過ぎる。写真の現像に関しては物凄く器用なのに、人間的には馬鹿みたいに不器用だ。
「葵斗」
「何だ?」
「折角カメラ買ってもらったけど、肝心な使い方が判んない」
ちゃんと使い方を教えてよ、と。
こちらから一緒に居る理由を作れば、葵斗は「その手があったか」と云わんばかりに目を大きくしてこくんと頷いた。
「なら、どこでが良い?」
「適当なカフェとかで一息吐きながら教えて」
「判った」
もう一度頷いた葵斗は近場のチェーン経営のカフェに俺を引き連れた。
「このカメラ、デジカメ……じゃないのか?」
カフェの隅っこ。買ってもらったばかりのカメラを箱から取り出しながら首を傾げる。
「違う」
「どう違うの?」
「シャッターを切ったらすぐに写真がプリントされて出てくる」
そう云って、葵斗は説明書も読まずにカメラの裏蓋を開けて、緑の箱から出した紙……恐らくは写真紙? をセットすると、コーヒーと一緒に頼んだタルトを被写体にシャッターを切った。
ジーッと音を立てて側面からテカリのある紙が出てくる。
「真っ白じゃん」
「少し待つと浮かんでくるんだ」
真っ白な紙は、確かに十秒程したら次第に色が着いてきて、一分も経たない内にはっきりとした像を結んだ。
「へぇ、凄いなこれ」
「これなら扱いは簡単だし、君の云う情緒、も多少なり感じられるんじゃないかなって」
「うん。ホント、これは面白そう」
葵斗からカメラを受け取り、すぐさまパッとシャッターを切る。
「千理……!」
窘めるような悲鳴にくすくすと笑う。俺が自分のカメラで初めて撮った写真は葵斗の殆ど無表情に近い、でもほんのり柔らかな笑顔だった。



