ひと月だけの同居人

「おはよう」

「おはようございます。あの、昨夜はお見苦しいところを、すみません」

「ん? 何のことだよ? まさか飲んで寝ちゃった話?」

「はい」

「あんなの気にすることないさ。さあ、朝飯食おう。また一週間労働に勤しもうぜ……ふああ」——そう言って大きく欠伸をする。

「お休みが楽しいと、月曜の朝は少し憂鬱ですね」

「ぼんやり過ごす休日じゃなくなったってことだから、いいことだよ」

 そう笑う笑顔が陽介にはとても眩しく感じた。


 陽介は経理課でいつものように淡々と仕事をこなす。ただ周りの雑談の人の輪に入ることはない。

 そんな陽介を見て課長がポツリと溢す。

「仕事はよくできるし、真面目でいいんだが、もう少し協調性があればなあ。幹部研修でも受けさせてみるか……」

 そんな目で自分が見られていることに、陽介は気づきもせず次の書類に向かっているのだった。


 昼食、また一人で食事をしている陽介の近くで、男女問わず囲まれて中心となって会話する拓実の姿があった。
 拓実はそこでは、楽しそうに笑っている。家で見せるような影のある表情を会社では見ないな……そう陽介は気付いた。それは拓実にとっても家が特別な場所になっているということのはずだが、今の陽介にはそこまで考える余裕はなかった。

 賑やかさの中心で喋っている拓実を見て、二人の過ごす世界は、同じ社内だというのに、ずいぶん違うものだな……そんなことをぼんやりと陽介は考えていた。何故だかそのことに以前は感じなかった冷たいものに胸が冷えるような感覚を覚えた。
 これは何だろう? 
 ふと、そんな風に疑問に思った。


 定時、帰宅時に混雑するエレベータを避けて、階段で降りていく陽介が一階にたどり着いた時、目の前に営業部の一団がエレベータから降りてきた。その中には拓実もいた。

「よし、大口契約のお祝いだ、今夜は俺の奢りだ、何人でもついてこい」
 
 そう上司らしき男性が言うと、営業部の一団が沸き立つ。

 拓実が陽介を見つけて視線を送ると、手を合わせてぺこりと頭を下げる。

 陽介は気にしないでと手を振り、先頭の課長の横に着いて行く。そして、後ろから他の営業部員たちが夜の街へ向かっていくのをなんとなく立ち止まってみていた。
 
 そのとき、最後尾を歩く女性社員たちの噂噺が、そばにいた陽介の耳に飛び込んでくる。
「木崎さんってすっかり課の中心ね、仕事もできるし、なんであんな地方に行ってたのかしら?」
「なんか以前少し荒れていたんですってよ、噂じゃ酷い失恋したんですって、あんなかっこいいのにね」
「ええ、フリーなら私が慰めてあげるのに」
 そんなことを言いながらキャーと盛り上がる女性社員たちを、静かに見送ると、陽介は一息、なぜかため息をついてしまい、視線を地面に落として考え込んだ。しかし、なぜかの答えは見つからず、そのまま静かに家に向かって歩き出した。

 自分でもその気持ちが何なのかわからないままに、陽介は帰り道のスーパーに立ち寄る。
 一人だけなので、適当な弁当をかごに放り込む。酒のコーナーで一瞬立ち止まるが、今日は必要ないか……そう思って、何もとらず、レジに向かう。
 二人の時は、沢山買っていたなとそう思った。


 レンジのチンとなる音だけが響いた部屋で一人、弁当の夕飯を済ませた。

 昨日買ってきた本を読んでいるうちに外は真っ暗になり、ドアが開いて拓実が帰ってきた。

「あの、おかえり……なさい」

「ただいま……ああ、悪くないね帰ってきて声をもらえるの。済まない冷蔵庫のお茶とってくれないか?」

 そう言うと、ソファに深く身を沈めた拓実の顔は真っ赤に染まっていた。

「これ、どうぞ」——陽介は冷蔵庫に冷えていた麦茶をコップに注いで、差し出した。

 コップの冷たいお茶を一息に飲み干して、拓実は「陽介、ありがとう」そう言うとニコリと笑いかけた。

「お風呂温めるから入ってさっぱりしてください」——陽介はそう言うと風呂場に向かった。

 陽介が風呂の追い焚きをして戻ると、服を脱いで、冷蔵庫からもう一度、お茶を出して飲んでいる拓実がこちらを振り返った。

「風呂入ってくるよ」——実家にでもいるようにリラックスした様子の拓実は、下着姿のまま風呂に向かっていった。

 しばらくして、風呂場から声がかかった。
「すまない、バスタオルがなかったや、持ってきてくれないか?」

 陽介がバスタオルをかかえて持って行くと、全裸の拓実がバスルームから覗いている。

 何かいたたまれず顔を背けながら、陽介はバスタオルを手渡した。

「気付かずにごめんなさい」

「持ってきてくれて、ありがとう」

 家で誰かにありがとうと言われる、その事の新鮮さが、陽介の心を温める。

「い、いえ」——だが陽介はそう言うとすぐに出て行く。
 こんな時にどんな顔をしていいのか、陽介にはわからなかった。