ひと月だけの同居人

 食卓に顔を赤くした陽介と、顔色の変わらない拓実が、向かいあわせで座っている。
 
「拓実さんは顔色全然変わらないですね?」
 
「営業は飲むのも仕事だからね」

「僕はこれくらいでもう無理ですね、お付き合いできなくてごめんなさい」
 
 そう本気で申し訳なさそうな顔をする陽介に、拓実は陽気に答える。
 
「いいっていいって、気にしないでよ。仕事で飲むより、よっぽど楽しい酒になったよ」

 そう笑う拓実の目は今はちゃんと笑っているような気がして、陽介はなんだかほっとした。


「さて、さっさと片付けちゃおうか」
 
 そう拓実が促して、二人は食べ終わった食器を流しに運んだ。
 
「俺が洗うから、陽介は拭いてしまってくれる?」

「はい、わかりました」

 手早く皿を洗っていく拓実とぎこちなく皿を拭く陽介、洗い終わった皿をおこうとした拓実の手に、次を取ろうとした陽介の手が触れてしまう。
 
「あ、ごめんなさい」
 
 思わず一歩下がってしまった陽介が反射的に謝ると、拓実は眉をひそめて声をかける。

「何でもないことで、いちいち謝らなくていいよ、気を遣いすぎ……肩こるだろう、そんなんじゃ」——そういいつつ、手についた水をタオルで拭うと、陽介の肩にそっと触れた。
 
「ほら、ガチガチじゃんか」と笑う拓実に、陽介はどうしていいのかわからず固まったまま、呆然としていた。

「さ、最後、それ終わりにしようよ」

 あわてて陽介は最後の皿を布巾で丁寧に水をとると、部屋にそなえつけの食器棚にしまった。

 何事もなかったかのようにリビングに戻る拓実の姿をじっと陽介は見つめていた。
 他人の手の温もりなんてものを、陽介はもう何年も感じた事がなかった。拓実が触れていた肩が、なんだか熱を持っている——そんな気がしていた。


「風呂、もうシャワーでいいよな?」

 拓実の唐突な言葉に陽介は咳き込んだ。

「——げほ。あ、はい。そうしましょう」

「じゃあ、先に入るな」

 そう言ってバスルームに向かう。

 脱衣所から衣擦れの音が聞こえてくる。そしてドアの開閉する音の後、水音が聞こえてくる。

 すぐにドアが開く音がすると拓実の声が部屋に届いた。

「すまん、シャンプー忘れてた、買い物袋に入ってるから持ってきてくれ」

「はい、ちょっと待ってください」

 ごそごそと買い物袋からシャンプーのボトルを取り出すと、風呂のドアが空いていて、当然ながら全裸の拓実が手を伸ばしている。 他人の裸を見てられなくて陽介は顔を背けながら、シャンプーを手渡した。

 しばらくして水音が止んで、身体を拭く音が聞こえてくる。

「出たぞ、陽介も入りなよ」

 バスタオルを腰巻きにした拓実とすれ違いながら、陽介は風呂に向かった。

 すれ違う際に、洗い髪の香りがふわりと陽介の鼻孔をくすぐる。
 洗い立ての人の髪の香りってこんな風なんだ、そんな事を考えながら、陽介は頭を洗うが、何故か泡立たない。おや? と見て見ると、間違えてコンディショナーを出していたのに気付いた。

「なにやってんだか……」——そう自嘲しながら、いそいそとシャワーを浴びて、寝室に向かった。


 壁に面しておかれたベッドの横の床に、丁寧に敷かれた布団が準備されていた。
 
「あ、ありがとうございます」

「陽介は部屋は真っ暗にして寝る人?」

「え、ああ、僕はあまり気にしないのでなんでも」

「じゃあ、小さな灯りはつけておこう。なにより、寝ぼけてトイレ行く途中に踏んじゃいそうだしな」
 
 そんなことをいいながら、拓実はベッドに入った。

 陽介も布団に入る。

「じゃあ、おやすみ」
 
「おやすみなさい」

 LEDの白い灯りが消えて、小さなオレンジの光りだけが部屋に残る。

 しかし、目が慣れてくると、陽介は意外に周りがよく見えるなと気付いた。

 ふと、ベッドの方に寝返りをうった。
 
 暗闇の小さな灯りの中で、拓実と目があった。
 
 なんだか拓実の目が優しく見えた。
 暗い部屋の薄明かりが見せた錯覚なのだろうか、そんなことをつらつらと考えていると、拓実の瞼が落ちていって、やがて、すーすーと寝息を立て始めた。
 
 それを見て、『今日は大変な一日だったな』と考え、それを振り払うように陽介は、布団を目深に被ると、そのうち寝息を立て始めた。

 部屋には、ふたつの調子の違う寝息が、ただただ、聞こえていた。