翌朝。
教室に入ってきた早見琉生を見た瞬間、鴎は思わず目を止めた。
昨日、自分が送った通りの組み合わせだった。
余計なネックレスは外されている。
パンツも細すぎないものに変わり、全体の「重さ」が綺麗に抜けていた。
黒を基調にしているのに沈んで見えないのは、琉生の茶髪とピアスの存在感が、計算通りに引き立っているからだ。
(……ちゃんと、言う通りにしたんだ)
そこにまず、小さな衝撃を受けた。
あんなに目立つ側にいる人間が、たまたま弱みを握っただけの相手の言葉を、これほど素直に受け入れるとは思わなかった。
琉生はいつも通り、教室の空気の中心にするりと溶け込んでいく。
その数分後には、案の定、あちこちから声が飛んだ。
「早見、今日なんかめっちゃカッコよくない?」
「え、わかる。いつもより好きかも」
「服いいじゃん、その感じ似合ってる!」
鴎はノートを開いたふりをしながら、内心で小さく息を詰めた。
やっぱりだ。
分かってはいた。あの顔と体型なら、ちゃんと整えれば嫌でも目立つ。
けれど、実際に周囲が沸き立つのを目の当たりにすると、どうにも落ち着かなかった。
自分が考えた組み合わせで。
自分が削り、自分が足したもので。
あいつが、褒められている。
……変な感じだ。
少しだけ誇らしいような。でも、それだけじゃないような。
胸の奥が、妙にそわそわとして落ち着かない。
「だろ?」
琉生は軽く笑って応じていた。
けれどその直後、ふいにと視線が教室の端へと流れる。
鴎の方だった。
目が合いそうになり、鴎は慌てて視線を落とした。
「何も見ていません」という顔でシャーペンを動かす。
そのあからさまな態度が可笑しかったのか、遠くで琉生が小さく笑った気がした。
***
その日から、一週間。
鴎のスマホには、朝か夜、必ず琉生から「服の写真」が届くようになった。
『これとこれ、どっちがいい?』
『今日ちょっと寒いんだけど、何足せばいいかな』
『この靴、アリ?』
最初の二、三日は無視しようと思った。
けれど、無視したところで学校で捕まるのは目に見えている。
何より――送られてきた写真を見てしまうと、どうしても「気になるところ」がノイズのように目に付くのだ。
『そのシャツはいらない』
『色がぶつかってる』
『それならピアスは片方だけでいい』
気づけば、指が勝手に返信を打っていた。
そして、鴎がアドバイスした日だけ、琉生は教室で絶賛された。
「早見、最近『当たりの日』とそうでもない日の差、激しくない?」
「わかる。今日めっちゃいいけど、昨日は普通だったよね」
昼休み。そんな会話が耳に飛び込んできて、鴎はペンを止める。
教室の中央では、琉生が苦笑いを浮かべていた。
「そんなことあるか?」
「あるある。今日とか大正解。……もしかして、誰かに選んでもらってんの?」
一瞬、空気が止まった。
鴎の背中に嫌な汗がにじむ。まさか。そんなわけない。
分かっていても、心臓が嫌な音を立てた。
けれど、琉生はすぐに肩をすくめて笑い飛ばした。
「いや。自分で頑張ってるだけ」
「嘘っぽーい!」
「じゃあ、頑張ってない日があるってこと?」
ドッと笑いが起き、話題は別の方向へ流れていく。
鴎は、ようやく止めていた息を吐き出した。
(……誤魔化した。ちゃんと)
安堵と同時に、なぜか胸の奥がざわついた。
自分の正体は隠されたままでいい。それが正解なはずなのに。
「あれを選んだのは自分なのに」と、ほんの少しだけ思ってしまった自分がいた。
放課後。
なるべく琉生と目を合わせないように荷物をまとめていると、机の横に影が落ちた。
「時任」
「……なに」
「やっぱ、毎日見て」
顔を上げると、琉生が当然のような顔で立っている。
「無理」
即答だった。
「なんで。最近、俺の評価の波がえぐいんだけど」
「知らない。自分で考えればいいでしょ」
「考えてあの差なんだって。……なあ、もうちょい安定させたいんだよ」
「俺には関係ない」
「あるだろ」
琉生は鴎の机に軽く手をつき、距離を詰めてきた。
圧がある。この、陽のオーラ全開の感じが本当に苦手だ。
「ないってば」
「あるよ。だって……」
そこで琉生は、周囲に聞こえないよう、ぐっと声を落とした。
「『女装』……」
鴎の肩が、びくんと跳ねる。
独り言のような小さな声。けれど、威力は十分すぎた。
鴎はすぐに琉生を鋭く睨みつける。
「……それ、卑怯」
「脅してるわけじゃないって。……なあ、毎日ちょっと見るだけでいいから。な?」
琉生は笑っていたが、その瞳は妙に真剣だった。
完全に分かってやっている。鴎がこのカードを切られたら、断れないことを。
沈黙の末、鴎は観念したように息を吐いた。
「……写真、送るだけなら」
「返せるときでいいから」
「変なの送ってきたら、その時は切る」
「切らないでよ」
軽いやり取りのつもりなのに、また勝手にペースを握られている気がして、鴎はげんなりした。
すると琉生は、ふっと機嫌よく目を細め、さらに続けた。
「あとさ。次の週末、バイト代入るんだよね」
嫌な予感しかしない。
「服買いに行くから、時任ついてきてよ」
「……は?」
「店で見ても、結局どれがいいか分かんないし。実物見ながらアドバイスほしい」
「無理。絶対無理」
「即答かよ」
「当たり前でしょ。なんで二人で服買いに行かなきゃいけないの」
「口止め料の、追加分」
「増えてるし!」
「だって毎日見てもらうなら、そもそもの『弾』がいるじゃん。そもそもの服が」
理屈が通っているようで、全く通っていない。
けれど、琉生は一歩も引く様子がなかった。
「高いのは買わないし、見るだけでいいから。な?」
「……見るだけじゃ済まないでしょ」
「済ますって。絶対」
鴎はしばらく黙り込んだ。
断りたい。本気で面倒だし、休日にこいつと並んで歩くなんて、想像しただけで落ち着かない。
けれど、ここで機嫌を損ねて「あの秘密」に触れられるのはもっと嫌だ。
それに……服を選ぶこと自体は、嫌いじゃない。
むしろ、好きだ。認めたくないだけで。
「……服選んだら、すぐ帰るから」
ぽつりとこぼすと、琉生がパッと顔を輝かせた。
「いいの?」
「本当にそれだけ。寄り道もしない。ごはんも無理。終わったら即解散」
「分かった。約束する」
返事が妙に素直で、逆に怪しい。
じとっとした視線を向けると、琉生は楽しそうに笑った。
「そんな警戒しなくてもいいじゃん」
「するに決まってる。信用ないし」
「きつ。……でも、来てくれるんだな」
「……口止め料だから」
「そっか」
なぜか嬉しそうなその返しが、鴎にはますます面白くなかった。
こいつは、自分の秘密を巧妙に利用している。
なのに、露骨に嫌な感じがしないのが、余計に困るのだ。
「じゃ、土曜。時間は後で送るわ。よろしくな、時任」
ひらりと手を振り、琉生は先に教室を出ていく。
残された鴎は、その背中を見送りながら、深く、深いため息をついた。
面倒なことになった。
それは、最初から分かっていたことだ。
ただ、少しだけ変わったことがあるとすれば。
(……土曜、あいつは何を着てくるつもりなんだろう)
そんなことを考えてしまっている、自分自身の存在だった。
教室に入ってきた早見琉生を見た瞬間、鴎は思わず目を止めた。
昨日、自分が送った通りの組み合わせだった。
余計なネックレスは外されている。
パンツも細すぎないものに変わり、全体の「重さ」が綺麗に抜けていた。
黒を基調にしているのに沈んで見えないのは、琉生の茶髪とピアスの存在感が、計算通りに引き立っているからだ。
(……ちゃんと、言う通りにしたんだ)
そこにまず、小さな衝撃を受けた。
あんなに目立つ側にいる人間が、たまたま弱みを握っただけの相手の言葉を、これほど素直に受け入れるとは思わなかった。
琉生はいつも通り、教室の空気の中心にするりと溶け込んでいく。
その数分後には、案の定、あちこちから声が飛んだ。
「早見、今日なんかめっちゃカッコよくない?」
「え、わかる。いつもより好きかも」
「服いいじゃん、その感じ似合ってる!」
鴎はノートを開いたふりをしながら、内心で小さく息を詰めた。
やっぱりだ。
分かってはいた。あの顔と体型なら、ちゃんと整えれば嫌でも目立つ。
けれど、実際に周囲が沸き立つのを目の当たりにすると、どうにも落ち着かなかった。
自分が考えた組み合わせで。
自分が削り、自分が足したもので。
あいつが、褒められている。
……変な感じだ。
少しだけ誇らしいような。でも、それだけじゃないような。
胸の奥が、妙にそわそわとして落ち着かない。
「だろ?」
琉生は軽く笑って応じていた。
けれどその直後、ふいにと視線が教室の端へと流れる。
鴎の方だった。
目が合いそうになり、鴎は慌てて視線を落とした。
「何も見ていません」という顔でシャーペンを動かす。
そのあからさまな態度が可笑しかったのか、遠くで琉生が小さく笑った気がした。
***
その日から、一週間。
鴎のスマホには、朝か夜、必ず琉生から「服の写真」が届くようになった。
『これとこれ、どっちがいい?』
『今日ちょっと寒いんだけど、何足せばいいかな』
『この靴、アリ?』
最初の二、三日は無視しようと思った。
けれど、無視したところで学校で捕まるのは目に見えている。
何より――送られてきた写真を見てしまうと、どうしても「気になるところ」がノイズのように目に付くのだ。
『そのシャツはいらない』
『色がぶつかってる』
『それならピアスは片方だけでいい』
気づけば、指が勝手に返信を打っていた。
そして、鴎がアドバイスした日だけ、琉生は教室で絶賛された。
「早見、最近『当たりの日』とそうでもない日の差、激しくない?」
「わかる。今日めっちゃいいけど、昨日は普通だったよね」
昼休み。そんな会話が耳に飛び込んできて、鴎はペンを止める。
教室の中央では、琉生が苦笑いを浮かべていた。
「そんなことあるか?」
「あるある。今日とか大正解。……もしかして、誰かに選んでもらってんの?」
一瞬、空気が止まった。
鴎の背中に嫌な汗がにじむ。まさか。そんなわけない。
分かっていても、心臓が嫌な音を立てた。
けれど、琉生はすぐに肩をすくめて笑い飛ばした。
「いや。自分で頑張ってるだけ」
「嘘っぽーい!」
「じゃあ、頑張ってない日があるってこと?」
ドッと笑いが起き、話題は別の方向へ流れていく。
鴎は、ようやく止めていた息を吐き出した。
(……誤魔化した。ちゃんと)
安堵と同時に、なぜか胸の奥がざわついた。
自分の正体は隠されたままでいい。それが正解なはずなのに。
「あれを選んだのは自分なのに」と、ほんの少しだけ思ってしまった自分がいた。
放課後。
なるべく琉生と目を合わせないように荷物をまとめていると、机の横に影が落ちた。
「時任」
「……なに」
「やっぱ、毎日見て」
顔を上げると、琉生が当然のような顔で立っている。
「無理」
即答だった。
「なんで。最近、俺の評価の波がえぐいんだけど」
「知らない。自分で考えればいいでしょ」
「考えてあの差なんだって。……なあ、もうちょい安定させたいんだよ」
「俺には関係ない」
「あるだろ」
琉生は鴎の机に軽く手をつき、距離を詰めてきた。
圧がある。この、陽のオーラ全開の感じが本当に苦手だ。
「ないってば」
「あるよ。だって……」
そこで琉生は、周囲に聞こえないよう、ぐっと声を落とした。
「『女装』……」
鴎の肩が、びくんと跳ねる。
独り言のような小さな声。けれど、威力は十分すぎた。
鴎はすぐに琉生を鋭く睨みつける。
「……それ、卑怯」
「脅してるわけじゃないって。……なあ、毎日ちょっと見るだけでいいから。な?」
琉生は笑っていたが、その瞳は妙に真剣だった。
完全に分かってやっている。鴎がこのカードを切られたら、断れないことを。
沈黙の末、鴎は観念したように息を吐いた。
「……写真、送るだけなら」
「返せるときでいいから」
「変なの送ってきたら、その時は切る」
「切らないでよ」
軽いやり取りのつもりなのに、また勝手にペースを握られている気がして、鴎はげんなりした。
すると琉生は、ふっと機嫌よく目を細め、さらに続けた。
「あとさ。次の週末、バイト代入るんだよね」
嫌な予感しかしない。
「服買いに行くから、時任ついてきてよ」
「……は?」
「店で見ても、結局どれがいいか分かんないし。実物見ながらアドバイスほしい」
「無理。絶対無理」
「即答かよ」
「当たり前でしょ。なんで二人で服買いに行かなきゃいけないの」
「口止め料の、追加分」
「増えてるし!」
「だって毎日見てもらうなら、そもそもの『弾』がいるじゃん。そもそもの服が」
理屈が通っているようで、全く通っていない。
けれど、琉生は一歩も引く様子がなかった。
「高いのは買わないし、見るだけでいいから。な?」
「……見るだけじゃ済まないでしょ」
「済ますって。絶対」
鴎はしばらく黙り込んだ。
断りたい。本気で面倒だし、休日にこいつと並んで歩くなんて、想像しただけで落ち着かない。
けれど、ここで機嫌を損ねて「あの秘密」に触れられるのはもっと嫌だ。
それに……服を選ぶこと自体は、嫌いじゃない。
むしろ、好きだ。認めたくないだけで。
「……服選んだら、すぐ帰るから」
ぽつりとこぼすと、琉生がパッと顔を輝かせた。
「いいの?」
「本当にそれだけ。寄り道もしない。ごはんも無理。終わったら即解散」
「分かった。約束する」
返事が妙に素直で、逆に怪しい。
じとっとした視線を向けると、琉生は楽しそうに笑った。
「そんな警戒しなくてもいいじゃん」
「するに決まってる。信用ないし」
「きつ。……でも、来てくれるんだな」
「……口止め料だから」
「そっか」
なぜか嬉しそうなその返しが、鴎にはますます面白くなかった。
こいつは、自分の秘密を巧妙に利用している。
なのに、露骨に嫌な感じがしないのが、余計に困るのだ。
「じゃ、土曜。時間は後で送るわ。よろしくな、時任」
ひらりと手を振り、琉生は先に教室を出ていく。
残された鴎は、その背中を見送りながら、深く、深いため息をついた。
面倒なことになった。
それは、最初から分かっていたことだ。
ただ、少しだけ変わったことがあるとすれば。
(……土曜、あいつは何を着てくるつもりなんだろう)
そんなことを考えてしまっている、自分自身の存在だった。



