裏アカ彼女は、クラスの地味男子

​ 選択授業が終わっても、鴎の胸に刺さった棘は抜けなかった。
 彰人の放った言葉が、予想以上に尾を引いている。
​『時任ってさ、琉生と仲良いの?』
『服、見てるんでしょ?』
​ 一つ一つは軽い好奇心に過ぎない。けれど、秘密を共有している今の鴎には、それらすべてが爆弾の起爆スイッチに見えた。
 授業中も、昨日の掃除の時間を思い返しては指先が冷たくなる。ゴミステーションの陰で聞いた、ビニール袋の擦れる音。あれは、やはり聞き間違いではなかったのだ。
​ 放課後。教室の空気が弛緩し始める中、鴎は意を決して琉生の席を振り返った。
 いつもなら向こうから寄ってくるのを待つが、今日ばかりは自分から動かないと収まりがつかない。
​「……早見。ちょっと来て」
「お。珍しいな、時任から誘うなんて」
「いいから。……こっち」
​ 茶化す琉生を無視して、足早に教室を出る。向かったのは、放課後には人通りの絶える渡り廊下。窓の外に広がる植え込みを背に、鴎は振り返った。
​「何か言った? 今村に」
「……彰人に? 何をだよ」
​ 琉生は本気で心当たりがないようだった。その無垢な反応に、かえって鴎の語気が強まる。
「俺がコーディネートしてるとか、そういう話! 今日、あいつにカマかけられたんだけど」
​ 昼間の出来事をぶつけるように吐き出すと、琉生はしばらく沈黙し、やがて苦々しく眉を寄せた。
「……悪い。昨日、掃除の時に彰人が近くにいたかもしれない。俺が不用意に『楽しい』なんて言ったせいで、変な勘繰りさせた」
​「……っ」
 あまりに潔く非を認められ、追い打ちをかけようとした言葉が喉に詰まる。
 もっと適当に流されると思っていた。気にしすぎだと笑われると思っていたのに。
​「……次から、学校ではああいう話しないで。絶対」
「分かった。……マジで気をつける」
​ 間を置かずに返ってきた声は、驚くほど低くて、真摯だった。
 気まずい沈黙を破るように、風が窓をガタガタと揺らす。
​「でも、彰人がどこまで分かってるかは微妙だと思う。ただ、俺が急に垢抜けた理由を知りたがってるだけじゃないかな」
「……そうだといいけど」
「まあ、時任がわかりやすく動揺したから、逆に面白がってる可能性はあるけどな」
「最悪……誰のせいだと思ってんの」
「俺が半分。あと半分は、お前が素直すぎるせい」
​ 琉生がふっと、いつもの意地悪そうな笑みを浮かべた。
「昼休みの時も、がっつり顔に出てたしな」
「……うるさい。もういい、帰る」
​ ***
​ 翌日。警戒していた通り、再び彰人が現れた。
「時任、ちょっといい? 今日、放課後ヒマかな」
​ 昨日と同じ、屈託のない笑顔。けれど鴎には、それが獲物を追い詰める猟犬の笑みに見えた。
「何。……用がないなら、行かないけど」
「いや、昨日も言ったけどさ。俺にも服見てほしいんだよね。琉生、マジで雰囲気変わったし。お前がプロデューサーなら、俺も恩恵に預かりたいなーって」
​「……無理。そんなの、やってないから」
「えー、冷たいな。琉生のは見てるのに?」
​ 教室の数人が、興味深げにこちらを振り返る。鴎の体温が急速に下がっていく。
「知らないって言ってるでしょ! 離して」
「そんな怒んなよ。別に変な意味じゃ……」
​「彰人」
 不意に、少し離れた席から鋭い声が飛んだ。
 いつの間に戻っていたのか、琉生が自分の席からこちらを射抜くような目で見つめていた。
​「時任、困ってんじゃん。……やめとけよ」
 声は穏やかだが、眼光だけは笑っていない。彰人が「あー、ごめんごめん」と、おどけたように両手を挙げる。
​「ちょっと頼んでみただけだって。琉生、そんな詰めなくてもいいじゃん」
「時任はそういうの、趣味でやってるわけじゃないから。頼まれても面倒なだけでしょ」
​ 琉生が歩み寄り、鴎のデスクの横に立つ。
 放課後の練習と同じ、あの距離。けれど、今の琉生からは得体の知れない圧が滲んでいた。
​「うーわ。琉生、めっちゃ過保護じゃん」
 彰人がニヤニヤと唇の端を吊り上げた。
「何それ。そんな『俺の専属』みたいな独占欲出しちゃうわけ?」
​ 教室内が一瞬、静まり返る。鴎の心臓が、耳元でうるさく脈打った。
 琉生は一呼吸置くと、挑発に乗るように唇を歪めた。
​「悪いか? 実際、俺の担当だし」
 ごく自然に、琉生が鴎の肩に手を置くような距離まで詰め、覗き込んできた。
「な、時任」
「……っ! はぁ!?」
​ 動転して裏返った声を出す鴎を見て、彰人がついに吹き出した。
「あはは! 分かった分かった。じゃ、お邪魔虫は退散するわ。時任、そんな警戒しなくていいって。またね」
​ 彰人が去った後、教室内には妙な残響が漂っていた。
 鴎は顔を伏せ、燃えるように熱い頬を隠した。
​「……何、今の。バカなの?」
「……悪かった。でも、あいつに回したくなかったんだよ」
​ 返ってきた琉生の声が、思ったよりもずっと低くて、剥き出しの独占欲を含んでいた。
「……回したくないって、服の話でしょ?」
「……まあ。そういうことにしておけよ」
​ そう言って視線を逸らす琉生の耳が、わずかに赤い。
 バレてはいけない秘密。隠し通さなければならない偽装デート。
 けれど、彰人の介入という石礫が、二人の表面的な「協力関係」を確実に、そして激しく波立たせていた。
​「……ずるい。そういうこと、平気で言うの」
「平気じゃないよ。……俺だって、多少は動揺してる」
​ 昼休みの終わりを告げるチャイム。琉生が席に戻る直前、鴎の耳元で囁いた。
​「放課後、裏庭。……ちゃんと『二人きりで』話そう」
​ その言葉は、約束というよりも、逃れられない呪文のように鴎の胸に深く刻まれた。