「眠いなぁ……」
詩歌は大欠伸した。
昨日の夜は穏佳と七不思議の鏡を見に行ったから、寝不足だ。
授業中も眠かったが、読書部で本を読んでいる今が一番眠い。
(今日は部屋に戻ろうかなぁ)
読書部は本を読む場所が自由だから、図書室にいる部員は詩歌くらいだ。
年に数回しか大きな活動がないから、名前だけの部員も多い。
図書室を見回す。
中間テストが終わったばかりで、利用者も少ない。
詩歌は、こっそりと交換日記の本を取り出した。
「あれから、何もない」
昨日の鏡の件以来、本に文字が浮かび上がらない。
それが心配だった。
(名前を見つけて安心しているのなら、良いんだけど)
鏡に映り込んだ男子生徒の顔は、悲しげだった。
(欠けているもの全部、見つけてあげたいな)
その気持ちは、嘘ではない。
関わると決めたのは詩歌だ。
幽霊の希望を叶えるまで、この交換日記を手放す気はない。
(でも、京久野君は違うから)
きっとこの七不思議は、穏佳が言う通り危険だ。
だから、これ以上巻き込みたくない。
(もう、間違いたくない。皆が幸せになれる方法……)
ポスン、と頭に何かが乗った。
見上げたら、穏佳がいた。
「やっぱりいた。もう、調べたか?」
「え? 何を?」
詩歌の表情を眺めた穏佳が、手招きした。
詩歌は立ち上がり、穏佳の後ろについて歩いた。
「名前がわかっただろ。あの制服は明倫の、昭和初期から大戦後まで採用されていたデザインだ。だから……」
穏佳が学園史の本棚を叩いた。
「調べれば何か、わかるかもしれない」
詩歌の胸が、ぱっと明るくなった。
「そっか、生徒名簿が残っているかもしれないんだ」
「量は膨大だけどな」
明るくなった胸が、ちょっとだけ萎んだ。
昭和初期から大戦直後なら、有に四十年以上だ。
「データベースで調べられるから、時間はかからないだろ」
穏佳が、本棚の奥にあるデスクに座った。
明倫学園の図書室は広いので、受付とワークスペース以外に三か所、検索用のパソコンが設置されている。
そのうちの一つが、学園史の付近にある。
「学園史なんてほとんど誰も読まないから、ここなら人も来ない。内緒で調べやすい」
詩歌の胸に、穏佳への尊敬が膨らんだ。
「京久野君、凄い! 格好良い!」
穏佳の背中に抱き付いた。
「うわぁ!」
普段の穏佳からは想像もできないくらい大きな声が出た。
驚いて、詩歌は咄嗟に離れた。
「え……ごめん。痛かった? 嫌だった?」
穏佳を覗き込む。耳が真っ赤だった。
よく考えたら、男に抱き付かれるなんて、気持ち悪いかもしれない。
「わわわ、変なことして、ごめん! 豚まん、奢るから許して」
「いや、いい……ちがう。驚いただけ、だから。大きな声を出して、悪かった」
穏佳がパソコン画面に向き合ったまま、小さな声で言った。
「うん……」
「そ……それより、ほら、榊悠梧。一人だけヒットしたぞ」
「本当だ」
「これだけの量でヒットするのが一人っていうのも、凄いな。珍しい名前ではあるけど」
穏佳が感心している。
時期を昭和元年から四十五年までに絞ったとはいえ、一人というのは確かに驚きだ。
(珍しい名前では、あるけど。もしかしたら……)
詩歌は手に持った交換日記を見詰めた。
もしかしたら悠梧自身が、自分を調べてほしいと思っているのかもしれない。
「めぼしい情報はないな。昭和三年に卒業していることくらいか」
「学校史だもんね。個人情報まで、載せないよね」
「けど、実在の人物なのは、確認できたな」
「うん……」
約百年前、明倫学園に通っていた生徒が幽霊になって今も学園に残っている。
その事実に、そこはかとない怖さを感じた。
同時に、悲しくもあった。
(どうしてかな。榊君は、この学校に未練があるのかな)
沈黙し続ける本を、詩歌はそっと撫でた。
「そうだ、芽吹。明日の放課後、時間作れるか?」
「作れるけど、どうして?」
振り返った穏佳に、詩歌は首を傾げた。
「明倫神社に御参りだ」
「神社に?」
明倫神社は学園の敷地内にある神社だ。
七不思議の祟りを鎮めるために建てられたと言われている。
だから、怨霊退散に御利益がある。
特に明倫神社の御守りは怨霊に効果覿面というネットの噂だ。
穏佳が、詩歌の持つ交換日記を指さした。
「その本が芽吹を指名している時点で、とり憑かれているのと同じだろ」
「そっか……お祓い?」
お祓いは、嫌だと思った。
中途半端に除霊のような真似をするのは、悠梧の希望とは違う。
(まるで悠梧を拒否するみたいで、嫌だな)
詩歌は交換日記を、ぎゅっと抱いた。
「お祓いまでは、大袈裟だけど。七不思議に関わるなら、お参りしておけとアドバイスをもらった」
「アドバイス? 誰かに話したの?」
二人の内緒にしようと言い出したのは穏佳なのに。
悲しい気持ちになった。
詩歌の顔を見て、穏佳がぎょっと表情を変えた。
「話してない! 誓って、内緒にしている! この話は、二人だけの秘密だ」
穏佳が慌てて弁明する。
「う、うん……良かった」
穏佳が詩歌の腕を掴んだ。
あまりの勢いに、思わず仰け反った。
「七不思議は、熱心に調べている生徒が時々、いるだろ。クラスメイトに、そういう知り合いがいる奴がいて。七不思議を調べる前に必ず神社で禊……を、するんだそうだ」
七不思議はコアなファンが多い。
学校が規制しているので表立った活動こそないが、水面下にファンは多い。
学内外問わず、明倫学園七不思議研究家の話は聞く。
「わかった。じゃぁ、明日は空けておくね……あ」
「どうした?」
「七不思議を調べている人のサイトとか、ないかな。何か、わかるかも」
「それも、そうだな」
穏佳が素早くスマホを取り出した。
詩歌も自分のスマホで検索をかける。
いくつかのサイトがヒットした。
「眉唾だろうが、調べる価値はありそうだな」
「うん、部屋に戻って一緒に調べよう」
詩歌は穏佳の手を引いて歩き出した。
「ちょっ……芽吹、手……」
穏佳の狼狽えた声が聞こえる。
「あ、そうだ」
ぴたりと立ち止まり、穏佳を振り返った。
「コンビニで豚まん、買って帰ろ。お腹空いちゃった。僕の奢りだよ。昨日のごめんの分」
顔を赤くした穏佳が、眉を下げて笑った。
「それなら、甘える。俺も、腹減った」
「じゃ、決まり」
詩歌は今度こそ、穏佳の手を引いて歩き出した。
握った手を、穏佳は嫌がらなかった。
それがどうしてか、詩歌は嬉しかった。
怖いことがあった後だから、いつも通りの穏佳とのやり取りに浮かれていたのかもしれない。
だからこの時、本にひっそりと新たな文字が浮かび上がっていたなんて、詩歌はまったく気付きもしなかった。
詩歌は大欠伸した。
昨日の夜は穏佳と七不思議の鏡を見に行ったから、寝不足だ。
授業中も眠かったが、読書部で本を読んでいる今が一番眠い。
(今日は部屋に戻ろうかなぁ)
読書部は本を読む場所が自由だから、図書室にいる部員は詩歌くらいだ。
年に数回しか大きな活動がないから、名前だけの部員も多い。
図書室を見回す。
中間テストが終わったばかりで、利用者も少ない。
詩歌は、こっそりと交換日記の本を取り出した。
「あれから、何もない」
昨日の鏡の件以来、本に文字が浮かび上がらない。
それが心配だった。
(名前を見つけて安心しているのなら、良いんだけど)
鏡に映り込んだ男子生徒の顔は、悲しげだった。
(欠けているもの全部、見つけてあげたいな)
その気持ちは、嘘ではない。
関わると決めたのは詩歌だ。
幽霊の希望を叶えるまで、この交換日記を手放す気はない。
(でも、京久野君は違うから)
きっとこの七不思議は、穏佳が言う通り危険だ。
だから、これ以上巻き込みたくない。
(もう、間違いたくない。皆が幸せになれる方法……)
ポスン、と頭に何かが乗った。
見上げたら、穏佳がいた。
「やっぱりいた。もう、調べたか?」
「え? 何を?」
詩歌の表情を眺めた穏佳が、手招きした。
詩歌は立ち上がり、穏佳の後ろについて歩いた。
「名前がわかっただろ。あの制服は明倫の、昭和初期から大戦後まで採用されていたデザインだ。だから……」
穏佳が学園史の本棚を叩いた。
「調べれば何か、わかるかもしれない」
詩歌の胸が、ぱっと明るくなった。
「そっか、生徒名簿が残っているかもしれないんだ」
「量は膨大だけどな」
明るくなった胸が、ちょっとだけ萎んだ。
昭和初期から大戦直後なら、有に四十年以上だ。
「データベースで調べられるから、時間はかからないだろ」
穏佳が、本棚の奥にあるデスクに座った。
明倫学園の図書室は広いので、受付とワークスペース以外に三か所、検索用のパソコンが設置されている。
そのうちの一つが、学園史の付近にある。
「学園史なんてほとんど誰も読まないから、ここなら人も来ない。内緒で調べやすい」
詩歌の胸に、穏佳への尊敬が膨らんだ。
「京久野君、凄い! 格好良い!」
穏佳の背中に抱き付いた。
「うわぁ!」
普段の穏佳からは想像もできないくらい大きな声が出た。
驚いて、詩歌は咄嗟に離れた。
「え……ごめん。痛かった? 嫌だった?」
穏佳を覗き込む。耳が真っ赤だった。
よく考えたら、男に抱き付かれるなんて、気持ち悪いかもしれない。
「わわわ、変なことして、ごめん! 豚まん、奢るから許して」
「いや、いい……ちがう。驚いただけ、だから。大きな声を出して、悪かった」
穏佳がパソコン画面に向き合ったまま、小さな声で言った。
「うん……」
「そ……それより、ほら、榊悠梧。一人だけヒットしたぞ」
「本当だ」
「これだけの量でヒットするのが一人っていうのも、凄いな。珍しい名前ではあるけど」
穏佳が感心している。
時期を昭和元年から四十五年までに絞ったとはいえ、一人というのは確かに驚きだ。
(珍しい名前では、あるけど。もしかしたら……)
詩歌は手に持った交換日記を見詰めた。
もしかしたら悠梧自身が、自分を調べてほしいと思っているのかもしれない。
「めぼしい情報はないな。昭和三年に卒業していることくらいか」
「学校史だもんね。個人情報まで、載せないよね」
「けど、実在の人物なのは、確認できたな」
「うん……」
約百年前、明倫学園に通っていた生徒が幽霊になって今も学園に残っている。
その事実に、そこはかとない怖さを感じた。
同時に、悲しくもあった。
(どうしてかな。榊君は、この学校に未練があるのかな)
沈黙し続ける本を、詩歌はそっと撫でた。
「そうだ、芽吹。明日の放課後、時間作れるか?」
「作れるけど、どうして?」
振り返った穏佳に、詩歌は首を傾げた。
「明倫神社に御参りだ」
「神社に?」
明倫神社は学園の敷地内にある神社だ。
七不思議の祟りを鎮めるために建てられたと言われている。
だから、怨霊退散に御利益がある。
特に明倫神社の御守りは怨霊に効果覿面というネットの噂だ。
穏佳が、詩歌の持つ交換日記を指さした。
「その本が芽吹を指名している時点で、とり憑かれているのと同じだろ」
「そっか……お祓い?」
お祓いは、嫌だと思った。
中途半端に除霊のような真似をするのは、悠梧の希望とは違う。
(まるで悠梧を拒否するみたいで、嫌だな)
詩歌は交換日記を、ぎゅっと抱いた。
「お祓いまでは、大袈裟だけど。七不思議に関わるなら、お参りしておけとアドバイスをもらった」
「アドバイス? 誰かに話したの?」
二人の内緒にしようと言い出したのは穏佳なのに。
悲しい気持ちになった。
詩歌の顔を見て、穏佳がぎょっと表情を変えた。
「話してない! 誓って、内緒にしている! この話は、二人だけの秘密だ」
穏佳が慌てて弁明する。
「う、うん……良かった」
穏佳が詩歌の腕を掴んだ。
あまりの勢いに、思わず仰け反った。
「七不思議は、熱心に調べている生徒が時々、いるだろ。クラスメイトに、そういう知り合いがいる奴がいて。七不思議を調べる前に必ず神社で禊……を、するんだそうだ」
七不思議はコアなファンが多い。
学校が規制しているので表立った活動こそないが、水面下にファンは多い。
学内外問わず、明倫学園七不思議研究家の話は聞く。
「わかった。じゃぁ、明日は空けておくね……あ」
「どうした?」
「七不思議を調べている人のサイトとか、ないかな。何か、わかるかも」
「それも、そうだな」
穏佳が素早くスマホを取り出した。
詩歌も自分のスマホで検索をかける。
いくつかのサイトがヒットした。
「眉唾だろうが、調べる価値はありそうだな」
「うん、部屋に戻って一緒に調べよう」
詩歌は穏佳の手を引いて歩き出した。
「ちょっ……芽吹、手……」
穏佳の狼狽えた声が聞こえる。
「あ、そうだ」
ぴたりと立ち止まり、穏佳を振り返った。
「コンビニで豚まん、買って帰ろ。お腹空いちゃった。僕の奢りだよ。昨日のごめんの分」
顔を赤くした穏佳が、眉を下げて笑った。
「それなら、甘える。俺も、腹減った」
「じゃ、決まり」
詩歌は今度こそ、穏佳の手を引いて歩き出した。
握った手を、穏佳は嫌がらなかった。
それがどうしてか、詩歌は嬉しかった。
怖いことがあった後だから、いつも通りの穏佳とのやり取りに浮かれていたのかもしれない。
だからこの時、本にひっそりと新たな文字が浮かび上がっていたなんて、詩歌はまったく気付きもしなかった。



