寮に戻った詩歌は、大事に抱えていた本を机に置いた。
二人部屋だが、ルームメイトはまだ戻っていないようだ。
二段ベッドの上は、カーテンが開いている。
詩歌は改めて、一通り本の装丁を確認する。
古いが綺麗な本だ。
「本というより、日記帳だよね」
各ページには日付を書く欄がある。
詩歌とのやり取り以外は真っ白だ。
パラパラ捲ると、さっきのやり取りが残っていた。
「やっぱり、夢じゃないよね。文字が浮かび上がるなんて、不思議だなぁ」
しかも、会話がちゃんと繋がっている。
偶然という感じでもない。
そもそも、偶然で文字が浮かび上がるというのも、おかしな話だ。
詩歌はペンをとり、本に文字を書き込んだ。
「僕の部屋に戻ってきたよ。君のことを教えてくれる?」
詩歌が書き込んだ一文の後ろに、文字が浮かび上がった。
『僕のこと、知りたい?』
「うん、知りたい」
『どうして?』
その問いかけに、ペンを止めて詩歌は考えた。
「んーと……知ってほしいのかなと、思うから」
そう書き込んだら、本が沈黙した。
詩歌は本を見詰めて返事を待った。
『……詩歌に、決めた』
じわりと文字が浮かぶ。
「決めた? 僕に?」
不思議に思いながら、詩歌は首を傾げた。
するとまた、文字が浮かんだ。
『僕を、見つけて』
浮かび上がった文字を、詩歌はじっと見詰めた。
部屋の扉が開く音がして、詩歌は顔を上げた。
同室の京久野穏佳が、帰ってきた。
「芽吹、また本を読んでるのか? 今日は風呂が早く締まるから、夕食前に入ったほうがいいぞ」
詩歌の手元を覗きながら、穏佳が声をかけた。
「京久野君、ありがとう。お風呂、入ってくるね」
穏佳の目が机の上の本に向いた。
「それは、本ではないのか。日記?」
静かに問われて、詩歌は考えた。
「んー、交換日記、かな」
「そうか。覗いて悪かった」
穏佳が、そっと目を逸らした。
「ハードカバーの日記帳なんて、今時珍しいな」
「そうだね。今時の日記じゃ、ないのかも」
穏佳が、くるりと振り返った。
「アンティーク好きか? 芽吹の趣味じゃないだろ。相手の好みか?」
「そうなのかな。わからないけど、レトロで素敵だよね」
穏佳の眉間に、小さく皺が寄った。
「失礼を承知で問う。答えたくなければ、答えなくていい……誰と、交換日記しているんだ?」
穏佳の問いかけに、詩歌は首を傾げた。
「そういえば、まだ名前を聞いていないや」
「は? 名も知らない相手と日記を介して話しているのか? いや……ありえなくはないのか」
穏佳が難しい顔をして、ブツブツ言っている。
「読書部で読む本を探していたらね、この本を見つけたんだ。僕のことを教えてって書いてあったから、教えてあげたんだよ」
詩歌は、日記のページを穏佳に見せた。
穏佳が、あからさまに顔を逸らした。
「二人の間で交わす日記を他者に見せるものじゃない。相手に失礼だ」
手で自分の目を隠して、見ないようにしている。
詩歌は首を傾げながら、ページを眺めた。
「大丈夫だと思うな。もしかしたら京久野君のことも知りたいって思っているかも」
「そんな訳があるか。相手は芽吹と交換日記をしたくて、図書室にその本を置いたんだろ」
詩歌は本を眺めながら、首を傾げた。
「んー……見つけてくれる人を、探しているんじゃないかな」
「は? 見つけてくれる人?」
穏佳が振り返る。
とても訝しい顔をしている。
「ここに、見つけてって書いてあるでしょ。この本ね、書き込むと文字が浮かび上がって、すぐに返事がくるんだよ」
交わした会話の最後の記述を指さす。
穏佳の顔が、怪訝に歪んだ。
「すぐに……? そんな訳、ないだろ」
穏佳が身を乗り出して本を覗き込んだ。
さっきまでの遠慮した態度はどこへやら、ページを捲って内容を確認している。
「試しに何か、書いてみようか」
詩歌はペンを握ると、無地のページにサラサラと文字を書き込んだ。
「京久野君と一緒に、見つけてあげるねっ……と」
「は⁉ 一緒って、何でだ!」
穏佳が慌てている。
てっきり興味津々だと思ったが、違ったらしい。
「ごめん。京久野君、この日記に興味あるのかと思った」
申し訳なく思いながら、詩歌はまたペンを握った。
「やっぱり僕一人で探すねって、書き直す……あれ?」
書き込もうとした詩歌の手を、穏佳が握った。
「もう、書いたなら……消さなくていいよ。返事が、見てみたいから」
その目に照れが浮かぶ。
穏佳が書き込んだページに目を落とした。
つられて、詩歌の目も本に向く。
詩歌の文の下に、ジワリと文字が浮かび上がった。
『ありがとう。二人に会えるのを、楽しみに待ってる』
穏佳が息を飲んだ。
その顔が、一気に白くなった。
「なんだ、これ……こんなこと普通、あるか?」
穏佳が恐る恐る本を手に取る。
「どんな仕掛けがされているんだ? 電子メモじゃないよな。普通の紙っぽい」
ページを捲ったり、叩いたり、擦ったりして確認している。
「不思議だよね」
「いや、怖いだろ。これは普通に怯える現象だ。芽吹は怖い系、平気なのか」
穏佳が早口だ。
焦っている時の癖が出ている。
「怖い系って、何が?」
「だから……いや。やっぱり、何でもない」
穏佳が軽く頭を抱えている。
いつもの光景だ。
穏佳は詩歌と話していると時々、眉間を抑えたり頭を抱えたりする。
「図書室で見付けたんだよな」
「うん。一番奥の、世界の文学の棚」
「戻しに行こう、今すぐ」
本を手にした穏佳が、詩歌の腕を引いた。
「どうして? 戻したら、お話しできなくなっちゃうよ」
「お話しできなくていいんだ。しないほうがいい。これは危険だ」
「危険じゃないよ? ちゃんと話せるよ」
「ちゃんと話せるから、危険なんだ。本と会話なんて普通、できないだろ」
「それは、そうだけど……」
「続けたら、この先はきっと、もっと危険だ。これ以上、変なコトに巻き込まれたら、どうする」
腕を強く掴み直された。
「幽霊との交換日記は終わりだ。返しに行くぞ」
「相手は幽霊なんだね。すぐにわかっちゃうなんて、京久野君は凄いね」
「こんなの、人間じゃない何かに決まっているだろ。幽霊くらいしか思いつかない。だから多分、幽霊だ」
「そっか。だから、幽霊なんだ。京久野君が言うなら、きっと間違いないね」
詩歌は穏佳に尊敬の眼差しを向けた。
穏佳が、げんなりした顔をしている。
「二人で幽霊を見つけるためには、その日記は持っていたほうがいいよ」
「だから、幽霊は探しちゃダメだ! 危険には近づかない!」
「どうして? 危険だって、決まった訳じゃないよ」
詩歌は穏佳の手を握った。
「見つけてって、言ってるんだよ。待ってるのに、見なかったことにするのは、冷たいよ」
穏佳が詩歌を見詰めて、固まった。
「たとえ幽霊でも、困っているなら放っておけない。僕は、放ったりしたくない」
穏佳の手から、するりと本を抜き取る。
「京久野君が嫌なら、一人で見つける。勝手に名前を書いて、ごめん。書き直すから」
机の上に本を開いて、詩歌はペンを持った。
その手を、穏佳が掴んだ。そのまま、頭を抱える。
「京久野君……」
詩歌の腕を掴んだまま、穏佳が顔を上げた。
「わかった、俺が付き合う。だから、この日記のことは、他の奴には内緒だぞ」
穏佳が大きく息を吐いて、眉間を抑える。
内緒という言葉に、詩歌の心が躍った。
「京久野君と僕だけの秘密にするんだね。わかった、誰にも言わない。不思議な交換日記の秘密なんて、ワクワクするね」
本を抱きしめる。
嬉しい気持ちで穏佳を見上げた。
「ワクワクする場面じゃない。芽吹が危険な目に遭わないように、付き合うだけだ」
詩歌は改めて感動した。
言葉は時々きついが、穏佳はいつだって優しい。
「京久野君は、誰にでも優しいね。だから皆に頼りにされるんだね」
「頼られるのは、寮長だからだ。優しいのは、誰にでもじゃない」
穏佳の目が、詩歌に向く。
大きく息を吐いた。
「進展があったら、教えてくれ。今は、風呂に行くぞ」
「うん。一緒にお風呂、行こ」
穏佳が照れたように目を逸らした。これも穏佳の癖だ。
詩歌は風呂の準備をして、穏佳と共に風呂に向かった。
――パタン
部屋の扉が閉まった後。
机の上に置かれた交換日記のページが開いて、新たな文字がじわりと浮かび上がった。
二人部屋だが、ルームメイトはまだ戻っていないようだ。
二段ベッドの上は、カーテンが開いている。
詩歌は改めて、一通り本の装丁を確認する。
古いが綺麗な本だ。
「本というより、日記帳だよね」
各ページには日付を書く欄がある。
詩歌とのやり取り以外は真っ白だ。
パラパラ捲ると、さっきのやり取りが残っていた。
「やっぱり、夢じゃないよね。文字が浮かび上がるなんて、不思議だなぁ」
しかも、会話がちゃんと繋がっている。
偶然という感じでもない。
そもそも、偶然で文字が浮かび上がるというのも、おかしな話だ。
詩歌はペンをとり、本に文字を書き込んだ。
「僕の部屋に戻ってきたよ。君のことを教えてくれる?」
詩歌が書き込んだ一文の後ろに、文字が浮かび上がった。
『僕のこと、知りたい?』
「うん、知りたい」
『どうして?』
その問いかけに、ペンを止めて詩歌は考えた。
「んーと……知ってほしいのかなと、思うから」
そう書き込んだら、本が沈黙した。
詩歌は本を見詰めて返事を待った。
『……詩歌に、決めた』
じわりと文字が浮かぶ。
「決めた? 僕に?」
不思議に思いながら、詩歌は首を傾げた。
するとまた、文字が浮かんだ。
『僕を、見つけて』
浮かび上がった文字を、詩歌はじっと見詰めた。
部屋の扉が開く音がして、詩歌は顔を上げた。
同室の京久野穏佳が、帰ってきた。
「芽吹、また本を読んでるのか? 今日は風呂が早く締まるから、夕食前に入ったほうがいいぞ」
詩歌の手元を覗きながら、穏佳が声をかけた。
「京久野君、ありがとう。お風呂、入ってくるね」
穏佳の目が机の上の本に向いた。
「それは、本ではないのか。日記?」
静かに問われて、詩歌は考えた。
「んー、交換日記、かな」
「そうか。覗いて悪かった」
穏佳が、そっと目を逸らした。
「ハードカバーの日記帳なんて、今時珍しいな」
「そうだね。今時の日記じゃ、ないのかも」
穏佳が、くるりと振り返った。
「アンティーク好きか? 芽吹の趣味じゃないだろ。相手の好みか?」
「そうなのかな。わからないけど、レトロで素敵だよね」
穏佳の眉間に、小さく皺が寄った。
「失礼を承知で問う。答えたくなければ、答えなくていい……誰と、交換日記しているんだ?」
穏佳の問いかけに、詩歌は首を傾げた。
「そういえば、まだ名前を聞いていないや」
「は? 名も知らない相手と日記を介して話しているのか? いや……ありえなくはないのか」
穏佳が難しい顔をして、ブツブツ言っている。
「読書部で読む本を探していたらね、この本を見つけたんだ。僕のことを教えてって書いてあったから、教えてあげたんだよ」
詩歌は、日記のページを穏佳に見せた。
穏佳が、あからさまに顔を逸らした。
「二人の間で交わす日記を他者に見せるものじゃない。相手に失礼だ」
手で自分の目を隠して、見ないようにしている。
詩歌は首を傾げながら、ページを眺めた。
「大丈夫だと思うな。もしかしたら京久野君のことも知りたいって思っているかも」
「そんな訳があるか。相手は芽吹と交換日記をしたくて、図書室にその本を置いたんだろ」
詩歌は本を眺めながら、首を傾げた。
「んー……見つけてくれる人を、探しているんじゃないかな」
「は? 見つけてくれる人?」
穏佳が振り返る。
とても訝しい顔をしている。
「ここに、見つけてって書いてあるでしょ。この本ね、書き込むと文字が浮かび上がって、すぐに返事がくるんだよ」
交わした会話の最後の記述を指さす。
穏佳の顔が、怪訝に歪んだ。
「すぐに……? そんな訳、ないだろ」
穏佳が身を乗り出して本を覗き込んだ。
さっきまでの遠慮した態度はどこへやら、ページを捲って内容を確認している。
「試しに何か、書いてみようか」
詩歌はペンを握ると、無地のページにサラサラと文字を書き込んだ。
「京久野君と一緒に、見つけてあげるねっ……と」
「は⁉ 一緒って、何でだ!」
穏佳が慌てている。
てっきり興味津々だと思ったが、違ったらしい。
「ごめん。京久野君、この日記に興味あるのかと思った」
申し訳なく思いながら、詩歌はまたペンを握った。
「やっぱり僕一人で探すねって、書き直す……あれ?」
書き込もうとした詩歌の手を、穏佳が握った。
「もう、書いたなら……消さなくていいよ。返事が、見てみたいから」
その目に照れが浮かぶ。
穏佳が書き込んだページに目を落とした。
つられて、詩歌の目も本に向く。
詩歌の文の下に、ジワリと文字が浮かび上がった。
『ありがとう。二人に会えるのを、楽しみに待ってる』
穏佳が息を飲んだ。
その顔が、一気に白くなった。
「なんだ、これ……こんなこと普通、あるか?」
穏佳が恐る恐る本を手に取る。
「どんな仕掛けがされているんだ? 電子メモじゃないよな。普通の紙っぽい」
ページを捲ったり、叩いたり、擦ったりして確認している。
「不思議だよね」
「いや、怖いだろ。これは普通に怯える現象だ。芽吹は怖い系、平気なのか」
穏佳が早口だ。
焦っている時の癖が出ている。
「怖い系って、何が?」
「だから……いや。やっぱり、何でもない」
穏佳が軽く頭を抱えている。
いつもの光景だ。
穏佳は詩歌と話していると時々、眉間を抑えたり頭を抱えたりする。
「図書室で見付けたんだよな」
「うん。一番奥の、世界の文学の棚」
「戻しに行こう、今すぐ」
本を手にした穏佳が、詩歌の腕を引いた。
「どうして? 戻したら、お話しできなくなっちゃうよ」
「お話しできなくていいんだ。しないほうがいい。これは危険だ」
「危険じゃないよ? ちゃんと話せるよ」
「ちゃんと話せるから、危険なんだ。本と会話なんて普通、できないだろ」
「それは、そうだけど……」
「続けたら、この先はきっと、もっと危険だ。これ以上、変なコトに巻き込まれたら、どうする」
腕を強く掴み直された。
「幽霊との交換日記は終わりだ。返しに行くぞ」
「相手は幽霊なんだね。すぐにわかっちゃうなんて、京久野君は凄いね」
「こんなの、人間じゃない何かに決まっているだろ。幽霊くらいしか思いつかない。だから多分、幽霊だ」
「そっか。だから、幽霊なんだ。京久野君が言うなら、きっと間違いないね」
詩歌は穏佳に尊敬の眼差しを向けた。
穏佳が、げんなりした顔をしている。
「二人で幽霊を見つけるためには、その日記は持っていたほうがいいよ」
「だから、幽霊は探しちゃダメだ! 危険には近づかない!」
「どうして? 危険だって、決まった訳じゃないよ」
詩歌は穏佳の手を握った。
「見つけてって、言ってるんだよ。待ってるのに、見なかったことにするのは、冷たいよ」
穏佳が詩歌を見詰めて、固まった。
「たとえ幽霊でも、困っているなら放っておけない。僕は、放ったりしたくない」
穏佳の手から、するりと本を抜き取る。
「京久野君が嫌なら、一人で見つける。勝手に名前を書いて、ごめん。書き直すから」
机の上に本を開いて、詩歌はペンを持った。
その手を、穏佳が掴んだ。そのまま、頭を抱える。
「京久野君……」
詩歌の腕を掴んだまま、穏佳が顔を上げた。
「わかった、俺が付き合う。だから、この日記のことは、他の奴には内緒だぞ」
穏佳が大きく息を吐いて、眉間を抑える。
内緒という言葉に、詩歌の心が躍った。
「京久野君と僕だけの秘密にするんだね。わかった、誰にも言わない。不思議な交換日記の秘密なんて、ワクワクするね」
本を抱きしめる。
嬉しい気持ちで穏佳を見上げた。
「ワクワクする場面じゃない。芽吹が危険な目に遭わないように、付き合うだけだ」
詩歌は改めて感動した。
言葉は時々きついが、穏佳はいつだって優しい。
「京久野君は、誰にでも優しいね。だから皆に頼りにされるんだね」
「頼られるのは、寮長だからだ。優しいのは、誰にでもじゃない」
穏佳の目が、詩歌に向く。
大きく息を吐いた。
「進展があったら、教えてくれ。今は、風呂に行くぞ」
「うん。一緒にお風呂、行こ」
穏佳が照れたように目を逸らした。これも穏佳の癖だ。
詩歌は風呂の準備をして、穏佳と共に風呂に向かった。
――パタン
部屋の扉が閉まった後。
机の上に置かれた交換日記のページが開いて、新たな文字がじわりと浮かび上がった。



