教室に二人っきりなんて聞いてない!


 学校まで乗ってきた自転車とカバンを校内に置いたまま、俺たちは財布だけポケットに入れて校門を出た。
 鳴神くんと二人で向かったのは、自分たちが住んでいる山側と反対の駅方向だった。
 引っ越し当日は、父ちゃんが荷物と一緒に車で俺をばあちゃん家まで届けてくれたので、駅前に来たのは初めてだ。
 駅舎の斜向かいには、さっき鳴神くんが教えてくれた山田マートがあった。けど中は暗くてよく見えなかった。それ以外に食べ物が売っているようなお店はない。
 あとは床屋とかクリーニング店のような日常生活で必要なお店が必要最低限で揃っている。
 俺が山田マートでコロッケを揚げてもらうのだろうかと思っていたら、鳴神くんはスーパーの前を通り過ぎてしまった。そのまま線路の踏切を渡ると駅の裏手に出る。
 そこには昔スナックだったと思われる建物が並んでいた。廃墟通りを抜け最終的に辿り着いたのは、こじんまりとした喫茶店だった。
 店の名前は喫茶マリ。
 以前は他の店と同じようにスナックで、スナックマリだったのだろう。古びた木の看板にその名残があった。
 高校生が連れ立って入るには気後れするような店構えだ。
 店の前のガラスケースには日に焼けて古びた食品サンプルが並んでいる。コーヒー、サンドイッチ、オムライス、ホットケーキ、ナポリタン。
 喫茶店と言われて想像するような食べ物がおおよそ全て揃っていた。
「あ、パスタがある。ここ入るん?」
「うん」
 さっき鳴神くんが「パスタなら」と言っていた理由がここにきて判明した。俺が都会と田舎のギャップでこれ以上がっかりしないように真剣に今日のランチについて考えていたらしい。気遣いと優しさに溢れている。
(すげー嬉しい)
 外観だけ見ると営業しているのか怪しいが、鳴神くんは躊躇することなくガラス扉を押し開けた。
 カランカランと小さなカウベルの音が鳴る。温かい暖色の電球に照らされた細長い店内にはカウンターとテーブル席があり通路は間の一本だけ。
 お客さんは常連らしいおじいさんが一人だけカウンターの奥に座っていた。
 おじいさんは天井付近にあるテレビでお昼のニュースを見ている。
 喫茶店の店主のおばちゃんは「いらっしゃい」と歓迎してくれた。店名の入った黄色いエプロンをつけ、頭に三角巾をかぶっている。小学校の給食のおばちゃんみたいないでたちだ。この人が店名のマリさんだろうか?
 奥のキッチンでは俺たちに背を向けたおじちゃんが新聞を読んでいた。こちらは中華料理屋さんの厨房でよく見るような白い厨房服をきていた。
 どうやら夫婦二人でやっているお店のようだ。
「こんにちは花田さん」
「秋彦くん久しぶり、あら、そちらは?」
「今日から分校に転校してきたクラスメイト」
 鳴神くんはそう言って、俺のことを花田のおばちゃんに紹介してくれた。
「あらあらまぁまぁ三田さんとこの。ハルちゃんだっけ? 大きくなったわねぇ」
 店のおばちゃんは、どうやら子供の頃の俺を知っているらしい。さすが田舎。鳴神くんと校舎を歩いているときも思ったけど、村のみんなは全員俺のことを三田のおばあちゃん家の子と認識している。俺は村の人のことを何も知らないし、小学生の頃、夏休みに遊んでいたという思い出も、どこかぼんやりしている。
「おばあちゃんお元気?」
「あ、はい。めっちゃ元気」
「そう。春から孫と一緒に住めるんよって、三田さん嬉しそうにしてたよ」
 俺たちはカウンターの向かいにある二人がけのテーブル席に向かい合って座った。古いけれどふかふかのソファーは座り心地がいい。なにより、この二人がけのソファー席はファミレス感がある。俺は思わず思い出し笑いをしていた。きっとさっき俺がファミレスに行きたいと言ったから鳴神くんはこの席に座ったのだろう。
「鳴神くんは、ここ、よく食べに来るん?」
「行きつけ。家族の、だけどね。子供同士では初めて」
 そう言って鳴神くんはくすりと笑った。
「スナック行くんかと思って最初ちょっとドキドキしてた」
 鳴神くんは花田のおばちゃんがキッチンへ行ったタイミングでそっと俺に小声で耳打ちしてきた。
「……ファミレスじゃなくてがっかりした?」
「え、全然、だって俺のリクエスト通りやし。連れてきてくれてありがとな」
「ご期待に添えて恐悦至極にございます」
 そう言った鳴神くんは、ちょっとだけ得意げな顔になった。
「もう、それええって。執事出てくるアニメみたいやん」
 二人でケラケラ笑っていたら、花田のおばちゃんが水とメニューをテーブルの上に置いてくれた。
「二人で昼から喫茶店来て、今日はなんかお祝いなん?」
「うーん。ハルの転校おめでとう会、かな」
「あらぁ、それはそれは盛大に祝わんといかんねぇ」
 花田のおばちゃんはそう言うと、店の奥にいるおじちゃんに「ハルちゃんのお祝いやって」と声をかけた。おじちゃんからは「それは美味しいもの食べなあかんなぁ」と返ってくる。
「鳴神くんは何食べるん?」
「カレー。ハルは?」
「えーっと、俺は」
 俺は手作り感溢れるメニュー表をパラパラとめくった。そして最後の方のページで手を止めた。
 そのページだけ俺の中ですごくキラキラ輝いて見えた。
 食べたい。これは絶対美味しいと思った。
 でも、ダメだろうなぁ。自分がバイトをしていたファミレスでも大人は注文NGだったから。
 ――子供の憧れ。お子様ランチ。
 でも、お子様ランチを食べていいのは小学生までだ。
「あのーダメだったらええんですけど」
「うん、なぁに」
 俺は花田のおばちゃんの顔を上目遣いで見る。
「この、お子様ランチって……駄目、ですかね」
「お子様ランチ」
 おばちゃんと鳴神くんの声がハモった。
「あーでも、もう俺お子様ちゃうし、高校生やし……東京でもバイト先のファミレスは小学生だけやったから」
 お子様ランチが食べたいなんて絶対子供っぽいと鳴神くんに思われただろう。ちょっと恥ずかしくなってきた。パスタとかカレーにしておけばよかった。
 俺が視線をメニューに戻したとき、俺の手に鳴神くんの手が重なった。俺がメニューから顔を上げたら正面に座っている鳴神くんが花田のおばちゃんと顔を見合わせてお互い頷き合っている。
「花田さん。ハルにお子様ランチをお願いします! とびっきりのやつ」
「おばちゃんに任せとき、最高のお子様ランチ作ったるから。作るんは後ろにいるお父ちゃんやけどね」
「え、えー嬉しい、でも本当にええんかなぁ。俺、十七歳やけど、お子様で」
 俺があまりにも嬉しそうだったせいか、二人から五歳児を見守る母のような瞳で微笑まれてしまった。
「ハル。お子様ランチ、俺はすごくいいと思う」
 鳴神くんから力強く「お子様」を肯定されてしまった。
「そうかな、鳴神くんもお子様にする?」
「いや、カレーで」
「どんだけカレー食べたいん」
「来る前から食べるって決めてた」
「めっちゃ意志固いやん」
 二人してまた笑い合っていた。
「じゃあカレーライスとお子様ランチね。少々お待ちください」
 花田のおばちゃんは笑いながら奥のキッチンに向かう。カウンターの奥に座っていた常連のおじいちゃんにも「お子様、いっぱい食べたらええ」と微笑まれてしまった。恥ずかしい。でも、食べたかった!
「――てか、鳴神くんさ。いつの間に俺の転校おめでとうパーティーになったん。それやったら鳴神くんも三年生の進級でおめでとうやん」
「高校は赤点取らなかったら自動的に三年生だし」
 本気でそう思ってるのか鳴神くんは不思議そうに首を傾げる。
「鳴神くん。それ言えるの頭ええ人だけやからね。俺、毎学期赤点ぎりぎりやったし。あー新しい学校で無事に卒業できるんやろか。出席日数だけは皆勤賞の自信あるんやけど」
 もしかして明日から俺だけ勉強で置いてけぼりになるかもしれない。ちょっと不安。そう思っていたら、鳴神くんは水の入ったグラスを俺に向かって差し出してきた。あいかわらず笑顔がまぶしい。輝いている。
「じゃあ、無事に二人で高校卒業できるように頑張ろうってことで」
「あ、うん。せやね、乾杯」
 俺はグラスを持って鳴神くんと水で乾杯した。