翌日、俺は福子ばあちゃんより早く起きてしまった。
これは結構な異常事態だったりする。朝起きられないのが普通で、それが俺だからだ。
アイデンティティの崩壊だ。
早起きした俺を見た福子ばあちゃんは目を丸くしてびっくりしていた。俺もびっくりしている。病気と思われても仕方ないくらいだ。
毎朝、鳴神くんが起こしてくれていたのに、今日は、それを待たずに一人で起きて一人で学校に向かった。
初日にメッセージアプリのIDを交換していたので、鳴神くんには先に学校に行くと連絡しておいた。
――家庭科部の朝練がしたいから先に行くね!
そして、猫がダッシュしているスタンプを続けて送る。
大丈夫。このメッセージは全然変じゃない。普通の内容だ。
だって、本当に編み物の朝練がしたいと思っているし、早くクマとかネコを作りたいし。嘘じゃない。
送ったあと、ぜぇはぁ、と何度も荒い呼吸を繰り返した。
既読はつかなかった。鳴神くんがすぐに既読をつけない時間を狙ってメッセージを送ったのだから当たり前だ。今頃、鳴神くんは神社の境内を掃除しているだろう。
学校に着いたらその足で職員室に行って、野崎先生に家庭科室の鍵を借りた。
そして俺は始業時間まで一人で、昨日鳴神くんに教えてもらった編み方をおさらいしていた。
鳴神くんの教え方が上手だったので、次の日になってもちゃんと手が編み方を覚えている。
毛糸を指にかける方法、かぎ針の動かし方だって完璧だ。さすが鳴神先生だ!
昨日は夜寝ている間も、鳴神くんの指の動きがずっと頭の中に流れていた。
指の動きだけじゃない。手が、淡々と耳に響く優しい声が。制服越しに触れた体の温かさが、唇の動きが、唇の……。
(キ、キスしそうだった)
そこまで考えて、俺はテーブルの上に頭を突っ伏した。
全然ダメだった。
部活内恋愛なんて、絶対駄目なのに。
考えれば考えるほど、鳴神くんのことをどんどん好きになってしまう。
昨日の俺の気持ちは、全然気のせいじゃなかったらしい。
鳴神くんの顔を思い浮かべるだけで、ダッシュして逃げたくなってしまう。
どう考えても、これは俗に言う「好き避け」ってやつだ。小学生か! と自分で自分にツッコミを入れられるし、俺はもう立派な関西人の仲間だろう。
鳴神くんに嫌われたくない。もっと仲良くしたい。だから普通にしようと思っているのに全然普通にできそうにない。鳴神くんのことが好き過ぎて怖い。
この恋愛初心者の小学生みたいな病気は、始業時間になって教室に行っても治らなかった。
「え……お前ら、一体どうしたんだ」
朝のホームルームの時間になって教室に入ってきた先生は、俺たちの様子を見るなり、眉を寄せて困った顔になっていた。
昨日まで机をピッタリとくっつけて仲良く隣同士に座っていたのに、現在俺は、机を廊下側の壁まで移動させて一人で座っていた。
変に思われるだろう。実際変だった。
「えっと、俺。なんか急に風邪引いたみたいで、鳴神くんにうつったら駄目やし予防、みたいな……うん。予防」
怖くて顔を上げられなかった。
今、鳴神くんはどんな顔をして俺のことを見ているんだろう。
見てないのかな。もし見ていたとしても、恥ずかしいから目を合わせられない。
でも、俺のこと見てなかったら嫌だな。
あぁぁ、てかもう、俺ウザい。ウザすぎる。
てか、どっちだよ。鳴神くんに俺のこと見て欲しいのか見て欲しくないのか!
「風邪ェ? 顔色いいし、元気そうに見えるけどな。うち保健室ないし職員室で寝るか?」
俺は真っ赤な顔で首を横に振った。
「あっそ。ま、席替えは好きにしていいけど。――鳴神ぃ、喧嘩したなら早く仲直りしろよ。二人っきりのクラスメイトなんだし。大事な相方だろ」
「先生、大丈夫。喧嘩とかじゃないです。だから心配は要りません」
「ふーん。ま、じゃあ、授業すっか」
喧嘩じゃないと言った鳴神くんの声は、どこか寂しそうだった。でも俺は、その顔を見られなかった。罪悪感で胸が苦しい。勝手に俺が鳴神くんのこと好きになって顔を合わせづらくなってるだけなのに。
その日はずっと風邪を引いていることを理由に鳴神くんと離れて過ごしていた。同じ教室で同じ授業を二人で受けているのに、鳴神くんと話さなくても学校生活は滞りなく進んだ。
俺が変になっていることは鳴神くんにも伝わっているだろうし、風邪が理由じゃないこともバレているはずだ。
でも変になっている理由を俺が説明できないのだから、どうしようもない。
「ハル……あのね」
最後の授業が終わった途端、俺は話しかけてくれた鳴神くんを振り切って「ごめん、風邪引いてるから、俺、先に帰る!」と言って家に帰った。
風邪設定なのに、俺は家まで全力で走っていた。



