あれは小学六年生の12月、冬休みに入る直前の出来事だった。
卒業式の歌「旅立ちの日に」の指揮者と伴奏者の立候補者が集められ、数が多いからオーディションを行うことを説明していた。
指揮者は6人。伴奏者は5人。この中から一人ずつしか選ばれないのだ。
親の影響でピアノを習い始め、歌うことよりもピアノを弾くことのほうが好きだった俺は迷わず伴奏者に立候補した。
11人の中に、俺はひそかにずっと片思いをしている女の子を見つける。
友達から【こうちゃん】と呼ばれる女の子だった。
髪は肩くらいで、身長は他の女子よりもかなり低く華奢な体系だった。
同じクラスになったことはなく、クラブと委員会が一緒でたまに話す程度の仲だった。
小さくてかわいい、それが最初の印象で一目惚れをしてしまった。
今まで、合唱をするとき指揮者と伴奏者は基本的にクラス内で決めることになっていたので、別のクラスの人とはする機会がなかった。
もしかしたら一緒にできるかもしれない、そんな期待がすぐに俺のことを動かした。
指揮者と伴奏者、どちらをやるのかどうしても知りたくて、解散した後にすぐに話しかけに言った。
「こうちゃん!」
「あ、紫月だ!」
俺を見つけるなり、ぱっと花が咲いたみたいに笑顔になる。
「俺、伴奏やりたいんだけど、こうちゃんはどっちやりたいの?」
「こーはね、指揮者だよ」
よかった、と心の底から安堵した。
周りに他の人がまだいるのにも関わらず、嬉しさで高揚した自分を制御せずに言った。
「そしたら、俺が伴奏者で、こうちゃんが指揮者になろ! 絶対に!」
「うん、こーは紫月とできたら嬉しいから頑張るね」
幼い自分はそのまま【こうちゃん】と指切りをする。
他の人は置いてきぼりにして二人の世界に入ったみたいだった。
正直、他の伴奏者の立候補者には全然勝てると思った。
3人くらいは他の合唱の時にオーディションで俺が勝った。
それでも油断をして負けてしまったら、絶対に後悔をすると思った。
だから人生で一番真剣に練習に取り組んだ。
きっと【こうちゃん】も努力したのだろう。冬休み明けのオーディションで見事二人は合格し、卒業式まで何度も練習して、過ごす時間は明らかに増えていった。
そして、卒業式当日、本番の合唱はうまくいき、最後に二人で写真も撮った。
その流れで、言ったんだよ。
ーーーーーーーー
「好きだって」
「なんでやねん!!」
石神が漫才師みたいに乗りよく突っ込んでくる。
なに言ってるのか理解ができず、石神を怪訝そうに見据えた。
「なんか言えよ、俺が滑ってるみたいじゃんか」
「いや、意味分からなくて反応できないって」
「いやいや、御花は絶対に理解している。あのときの強烈なプロポーズ、俺は一度たりとも忘れたことはない」
「こんなに人がいるところで言えるかよ」
そう、今二人でいるのは帰りの駅のホームだった。
時刻は午後5時、ちょうど仕事帰りの人が電車に乗り始めている時間帯だ。
周りには結構人がいて、告白までの流れを言うのも正直かなり恥ずかしかった。
それに加えてあの告白なんて。俺の黒歴史をこんなに大勢がいる中で言えるか!
「じゃあどっかの人がいない公園でも行こうよ。御花の最寄り駅あたりに公園ない?」
「あるにはあるけど、小さいよ」
「いいよいいよ、座れるベンチさえあれば」
人がいない公園は心当たりがある。
俺の家は人気がない細い通りをひたすら進む。夜は電灯の光が弱すぎてかなり怖いところだ。
その道の途中にある小さな公園。人がいるところは見たことがないが、たしかベンチは綺麗だった気がする。
電車が到着する。まさかの満員電車で車内ではすでに人が密集している。
「電車遅れてたからねー」
石神はそう言うと、さっと俺の肩に手をまわしてくる。
そのまま車内に後ろの人たちによって押し込まれた。
向き合う状態となり、目の前には石神の胸元で、後ろから圧迫されて顔を見上げることができない。
形式上抱き合っているが、満員電車の中だと誰もそんなこと気にしない。
電車が揺れると、時々首の自由が利き上を向くことができる。
見上げるとそこには見下ろす石神がいて、目が合うと少しだけ驚いてみせた。
まさかこの状態で見上げると思っていなかったのだろう。
なにかしゃべろうか、と考えたが、すぐに電車の揺れによって顔が石神の胸にダイブする。
正直に言って、今はそれがよかった。
石神の過去のことを思い出さなくても、好きという気持ちに変わりはない。
だから、思いをそのまま伝えてしまった。
それでも、まさか石神が【こうちゃん】だったなんて。
予想外の結末過ぎてまだ動揺し続けている。
【こうちゃん】ならなおさら物事の収拾がつかない。
俺はずっと女の子だと勘違いして、だからダメだった。そんな俺をどうして石神は今更好きだなんて。
混乱もあるし、それに罪悪感もある。
俺は結局、ちゃんと謝らずにその場から逃げ出してしまった。
何から切り出せばいいか分からない。
さっきだって石神から覚えてることだけまず教えて、と言われて言っただけだ。
相手が【こうちゃん】だと分かった以上、俺がすべきことが何なのか全く見当がつかない。
***
駅を降りると人の熱から解放される、とすぐに急な寒さを肌で感じる。
空を見上げると雨が降っていた。
朝は曇り、さっきも曇っていて雨なんか降っていなかったのに。
「まじか、雨降ってるから公園は厳しいな。どっかカラオケ行く?」
石神はスマホを取り出して色々調べてくれる。
けれど、俺はこのあたりにカラオケがないことを知っている。
言ったら失礼だがこの駅の周りにメジャーな飲食店は一つもない。
ド田舎の駅だ。20分くらい歩けば大通りにつき、そこの道を歩けばどこかにたどり着ける。
しかし、そもそも傘を持っているのか。
かなり雨が強いから、長い時間外を傘なしで歩くのはさすがに嫌だろう。
「石神傘持ってる?」
「持ってない。カラオケないよー、ここ地図から見てもお店全くないじゃん。コンビニだってない。どっか違う駅で降りるか、それともーー」
「うち来なよ」
そう言った直後、雨の音がやけにはっきりと聞こえた。
石神は何も言わない。
「俺の家なら、駅から5分くらいだからそんなに濡れなくて済むと思うし、親はいるけど、俺の部屋は2階にあるし……だから、どうかな?」
「……そう、じゃあそうしよっか」
静かな声だから雨に消されてしまいそうだった。
いつもみたいにヘラヘラしないと、なんか、あーいうことを想像しちゃうじゃんか。
もっとふざけろよ。
目を合わすのが怖くて見上げるのが怖い。
何も言わないで石神の前を歩く。
改札を過ぎても雨はさっきよりも激しさを増していた。
歩けば5分、走れば2、3分といったところか。
「走るけど、大丈夫?」
「うん」
うんって!?
単純に口数減った石神は怖いって。
前に俺の前で泣いちゃったときは恥ずかしくて黙っちゃったけど、今回は違う。
あー、どうとでもなれ。
雨の中、一歩踏み出す。
世界は一瞬で、雨に包まれる。
打ち付ける雨は服にしみ込んで徐々に重くなる。
水たまりに何度もつかまり、その度に靴が重くなる。
その時、足をひねり体が傾く。
視界も傾いて、受け身を取ろうとしたが、先に石神が体を支えてくれる。
一瞬の出来事で、雨が激しく打ち付ける音だけがはっきりとしていた。
「あ、ありがと」
「うん」
ぶっきらぼうにそう言って、すぐに元の体制に戻される。
沈黙が苦しくて、気まずさをごまかすように走り出す。
後ろから石神の足音も聞こえる。
一体、家に帰ったらどうなるのだろうか。
***
玄関を開けると、母さんの靴がないことに気が付いた。
扉を開けても、家の中から人の気配がない。
鞄の中からスマホを取り出すと、母さんからのメッセージがあることに気が付いた。
『今日、急な飲み会が入ったので帰りは遅くなります。夜ご飯は冷蔵庫に何もないと思うから何か頼んでもいいよ』
まさかの親がいないとは……
色々と参ったな。親が朝から一度も帰ってきてないってことは、お風呂は沸いていないし、なんなら洗濯物だってお風呂場に干したままだ。すぐに入れないってことは体が冷える。
とりあえず玄関に石神もつれてきたが、寒さでわずかに震えている。
「いったんタオルたくさん持ってくるから待ってて」
「うん」
リュックをいったん玄関に置いて、急いで洗面所からタオルを持ってくる。
その間にお風呂もボタンを押して沸かし始める。
「石神、靴脱いで。足冷えたら寒いからタオルで拭いて。濡れた服とかはいったん干すけど、お風呂が沸くまで代わりの服を準備するよ」
「代わりの服はいらない」
「でも」
「いいから」
いつもの元気がないのは、雨のせいだろうか、それとも俺の家にいるからだろうか。
「親は?」
「親、さっきいるって言ったんだけど、急な飲みかえが入ったっぽくて帰りが遅いらしい。親いないからリラックスしていいよ。まずはお風呂入ろ、今沸かしてるから」
「いないんだ」
ぼそっとつぶやく。
俺は石神にタオルを預けて急いで洗濯物を取り込む。
二人で生活しているから、洗濯物は少なくて助かる。
まだお風呂は沸かないから、今度は俺の洋服を二人分持ってくる。
できるだけ大きい服を選んだつもりだが、石神がちゃんと着れるかが心配だ。
「石神さ、この服俺のなんだけど着れると思う?」
「……微妙」
「だよなー、これが一番大きいやつなんだけどどうしよう」
「嫌じゃないなら、父親のとかは?」
「あー、俺んち、父さん離婚して出てっちゃったんだよね」
「え、ごめんっ」
焦った様子で謝る石神。すぐに「大丈夫大丈夫」と笑って見せる。
石神は何も悪くない。だから気にしないでほしい。
「まじで小さいときにいなくなっちゃって、ほぼ記憶ないんだよなー。母さんも仕事ばっかりで帰りいない時が多いんだよ。俺が真面目なのって、家に一人だからちゃんとやらないとーとか、そういうことなのかも。無駄に責任感強いのもたぶんそれ」
沈黙が耐えられなくて余計なことを口走る。
石神はじっと俺を見つめてからゆっくり口を開いた。
「無駄なんかじゃない。御花が真面目なのも責任感強いのも、無駄じゃない」
真剣な眼差しを向けられて反論できなかった。
そういえば前も自分を下げるなって怒られたっけ。
石神は俺が俺のことを悪く言おうとすると怒る。自分以上に俺のことを大切にしてくれている。
そういうところも含めて石神のことが好きだと感じる。
「石神って優しいよな」
「御花だって優しいじゃん」
「特になにかしたとかなくない?」
「いや、だって小6のときもーー」
石神が言いかけた時、お風呂が沸いた合図がする。
石神は口を閉ざすと、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、お風呂に入ろうか」
「うん、先入っていいよ」
「え?」
「え?」
石神は全く笑っていない。さも当然と言いたげな目だ。
「一緒にお風呂に入るんじゃないの?」
やっぱり、こうなるのか。
予想はしていたが、まさか本当に来るとは。
でも少しだけ期待していたのは事実だった。
卒業式の歌「旅立ちの日に」の指揮者と伴奏者の立候補者が集められ、数が多いからオーディションを行うことを説明していた。
指揮者は6人。伴奏者は5人。この中から一人ずつしか選ばれないのだ。
親の影響でピアノを習い始め、歌うことよりもピアノを弾くことのほうが好きだった俺は迷わず伴奏者に立候補した。
11人の中に、俺はひそかにずっと片思いをしている女の子を見つける。
友達から【こうちゃん】と呼ばれる女の子だった。
髪は肩くらいで、身長は他の女子よりもかなり低く華奢な体系だった。
同じクラスになったことはなく、クラブと委員会が一緒でたまに話す程度の仲だった。
小さくてかわいい、それが最初の印象で一目惚れをしてしまった。
今まで、合唱をするとき指揮者と伴奏者は基本的にクラス内で決めることになっていたので、別のクラスの人とはする機会がなかった。
もしかしたら一緒にできるかもしれない、そんな期待がすぐに俺のことを動かした。
指揮者と伴奏者、どちらをやるのかどうしても知りたくて、解散した後にすぐに話しかけに言った。
「こうちゃん!」
「あ、紫月だ!」
俺を見つけるなり、ぱっと花が咲いたみたいに笑顔になる。
「俺、伴奏やりたいんだけど、こうちゃんはどっちやりたいの?」
「こーはね、指揮者だよ」
よかった、と心の底から安堵した。
周りに他の人がまだいるのにも関わらず、嬉しさで高揚した自分を制御せずに言った。
「そしたら、俺が伴奏者で、こうちゃんが指揮者になろ! 絶対に!」
「うん、こーは紫月とできたら嬉しいから頑張るね」
幼い自分はそのまま【こうちゃん】と指切りをする。
他の人は置いてきぼりにして二人の世界に入ったみたいだった。
正直、他の伴奏者の立候補者には全然勝てると思った。
3人くらいは他の合唱の時にオーディションで俺が勝った。
それでも油断をして負けてしまったら、絶対に後悔をすると思った。
だから人生で一番真剣に練習に取り組んだ。
きっと【こうちゃん】も努力したのだろう。冬休み明けのオーディションで見事二人は合格し、卒業式まで何度も練習して、過ごす時間は明らかに増えていった。
そして、卒業式当日、本番の合唱はうまくいき、最後に二人で写真も撮った。
その流れで、言ったんだよ。
ーーーーーーーー
「好きだって」
「なんでやねん!!」
石神が漫才師みたいに乗りよく突っ込んでくる。
なに言ってるのか理解ができず、石神を怪訝そうに見据えた。
「なんか言えよ、俺が滑ってるみたいじゃんか」
「いや、意味分からなくて反応できないって」
「いやいや、御花は絶対に理解している。あのときの強烈なプロポーズ、俺は一度たりとも忘れたことはない」
「こんなに人がいるところで言えるかよ」
そう、今二人でいるのは帰りの駅のホームだった。
時刻は午後5時、ちょうど仕事帰りの人が電車に乗り始めている時間帯だ。
周りには結構人がいて、告白までの流れを言うのも正直かなり恥ずかしかった。
それに加えてあの告白なんて。俺の黒歴史をこんなに大勢がいる中で言えるか!
「じゃあどっかの人がいない公園でも行こうよ。御花の最寄り駅あたりに公園ない?」
「あるにはあるけど、小さいよ」
「いいよいいよ、座れるベンチさえあれば」
人がいない公園は心当たりがある。
俺の家は人気がない細い通りをひたすら進む。夜は電灯の光が弱すぎてかなり怖いところだ。
その道の途中にある小さな公園。人がいるところは見たことがないが、たしかベンチは綺麗だった気がする。
電車が到着する。まさかの満員電車で車内ではすでに人が密集している。
「電車遅れてたからねー」
石神はそう言うと、さっと俺の肩に手をまわしてくる。
そのまま車内に後ろの人たちによって押し込まれた。
向き合う状態となり、目の前には石神の胸元で、後ろから圧迫されて顔を見上げることができない。
形式上抱き合っているが、満員電車の中だと誰もそんなこと気にしない。
電車が揺れると、時々首の自由が利き上を向くことができる。
見上げるとそこには見下ろす石神がいて、目が合うと少しだけ驚いてみせた。
まさかこの状態で見上げると思っていなかったのだろう。
なにかしゃべろうか、と考えたが、すぐに電車の揺れによって顔が石神の胸にダイブする。
正直に言って、今はそれがよかった。
石神の過去のことを思い出さなくても、好きという気持ちに変わりはない。
だから、思いをそのまま伝えてしまった。
それでも、まさか石神が【こうちゃん】だったなんて。
予想外の結末過ぎてまだ動揺し続けている。
【こうちゃん】ならなおさら物事の収拾がつかない。
俺はずっと女の子だと勘違いして、だからダメだった。そんな俺をどうして石神は今更好きだなんて。
混乱もあるし、それに罪悪感もある。
俺は結局、ちゃんと謝らずにその場から逃げ出してしまった。
何から切り出せばいいか分からない。
さっきだって石神から覚えてることだけまず教えて、と言われて言っただけだ。
相手が【こうちゃん】だと分かった以上、俺がすべきことが何なのか全く見当がつかない。
***
駅を降りると人の熱から解放される、とすぐに急な寒さを肌で感じる。
空を見上げると雨が降っていた。
朝は曇り、さっきも曇っていて雨なんか降っていなかったのに。
「まじか、雨降ってるから公園は厳しいな。どっかカラオケ行く?」
石神はスマホを取り出して色々調べてくれる。
けれど、俺はこのあたりにカラオケがないことを知っている。
言ったら失礼だがこの駅の周りにメジャーな飲食店は一つもない。
ド田舎の駅だ。20分くらい歩けば大通りにつき、そこの道を歩けばどこかにたどり着ける。
しかし、そもそも傘を持っているのか。
かなり雨が強いから、長い時間外を傘なしで歩くのはさすがに嫌だろう。
「石神傘持ってる?」
「持ってない。カラオケないよー、ここ地図から見てもお店全くないじゃん。コンビニだってない。どっか違う駅で降りるか、それともーー」
「うち来なよ」
そう言った直後、雨の音がやけにはっきりと聞こえた。
石神は何も言わない。
「俺の家なら、駅から5分くらいだからそんなに濡れなくて済むと思うし、親はいるけど、俺の部屋は2階にあるし……だから、どうかな?」
「……そう、じゃあそうしよっか」
静かな声だから雨に消されてしまいそうだった。
いつもみたいにヘラヘラしないと、なんか、あーいうことを想像しちゃうじゃんか。
もっとふざけろよ。
目を合わすのが怖くて見上げるのが怖い。
何も言わないで石神の前を歩く。
改札を過ぎても雨はさっきよりも激しさを増していた。
歩けば5分、走れば2、3分といったところか。
「走るけど、大丈夫?」
「うん」
うんって!?
単純に口数減った石神は怖いって。
前に俺の前で泣いちゃったときは恥ずかしくて黙っちゃったけど、今回は違う。
あー、どうとでもなれ。
雨の中、一歩踏み出す。
世界は一瞬で、雨に包まれる。
打ち付ける雨は服にしみ込んで徐々に重くなる。
水たまりに何度もつかまり、その度に靴が重くなる。
その時、足をひねり体が傾く。
視界も傾いて、受け身を取ろうとしたが、先に石神が体を支えてくれる。
一瞬の出来事で、雨が激しく打ち付ける音だけがはっきりとしていた。
「あ、ありがと」
「うん」
ぶっきらぼうにそう言って、すぐに元の体制に戻される。
沈黙が苦しくて、気まずさをごまかすように走り出す。
後ろから石神の足音も聞こえる。
一体、家に帰ったらどうなるのだろうか。
***
玄関を開けると、母さんの靴がないことに気が付いた。
扉を開けても、家の中から人の気配がない。
鞄の中からスマホを取り出すと、母さんからのメッセージがあることに気が付いた。
『今日、急な飲み会が入ったので帰りは遅くなります。夜ご飯は冷蔵庫に何もないと思うから何か頼んでもいいよ』
まさかの親がいないとは……
色々と参ったな。親が朝から一度も帰ってきてないってことは、お風呂は沸いていないし、なんなら洗濯物だってお風呂場に干したままだ。すぐに入れないってことは体が冷える。
とりあえず玄関に石神もつれてきたが、寒さでわずかに震えている。
「いったんタオルたくさん持ってくるから待ってて」
「うん」
リュックをいったん玄関に置いて、急いで洗面所からタオルを持ってくる。
その間にお風呂もボタンを押して沸かし始める。
「石神、靴脱いで。足冷えたら寒いからタオルで拭いて。濡れた服とかはいったん干すけど、お風呂が沸くまで代わりの服を準備するよ」
「代わりの服はいらない」
「でも」
「いいから」
いつもの元気がないのは、雨のせいだろうか、それとも俺の家にいるからだろうか。
「親は?」
「親、さっきいるって言ったんだけど、急な飲みかえが入ったっぽくて帰りが遅いらしい。親いないからリラックスしていいよ。まずはお風呂入ろ、今沸かしてるから」
「いないんだ」
ぼそっとつぶやく。
俺は石神にタオルを預けて急いで洗濯物を取り込む。
二人で生活しているから、洗濯物は少なくて助かる。
まだお風呂は沸かないから、今度は俺の洋服を二人分持ってくる。
できるだけ大きい服を選んだつもりだが、石神がちゃんと着れるかが心配だ。
「石神さ、この服俺のなんだけど着れると思う?」
「……微妙」
「だよなー、これが一番大きいやつなんだけどどうしよう」
「嫌じゃないなら、父親のとかは?」
「あー、俺んち、父さん離婚して出てっちゃったんだよね」
「え、ごめんっ」
焦った様子で謝る石神。すぐに「大丈夫大丈夫」と笑って見せる。
石神は何も悪くない。だから気にしないでほしい。
「まじで小さいときにいなくなっちゃって、ほぼ記憶ないんだよなー。母さんも仕事ばっかりで帰りいない時が多いんだよ。俺が真面目なのって、家に一人だからちゃんとやらないとーとか、そういうことなのかも。無駄に責任感強いのもたぶんそれ」
沈黙が耐えられなくて余計なことを口走る。
石神はじっと俺を見つめてからゆっくり口を開いた。
「無駄なんかじゃない。御花が真面目なのも責任感強いのも、無駄じゃない」
真剣な眼差しを向けられて反論できなかった。
そういえば前も自分を下げるなって怒られたっけ。
石神は俺が俺のことを悪く言おうとすると怒る。自分以上に俺のことを大切にしてくれている。
そういうところも含めて石神のことが好きだと感じる。
「石神って優しいよな」
「御花だって優しいじゃん」
「特になにかしたとかなくない?」
「いや、だって小6のときもーー」
石神が言いかけた時、お風呂が沸いた合図がする。
石神は口を閉ざすと、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、お風呂に入ろうか」
「うん、先入っていいよ」
「え?」
「え?」
石神は全く笑っていない。さも当然と言いたげな目だ。
「一緒にお風呂に入るんじゃないの?」
やっぱり、こうなるのか。
予想はしていたが、まさか本当に来るとは。
でも少しだけ期待していたのは事実だった。



