君の姿を独占したい

 あのあと、結局退室の電話が来るまであの状態でいた。
 続きは明日の放課後にやろう、といいそのまま解散した。

 夜になっても石上に抱かれた感覚がなくならず布団をかぶっても感じていた。
 全然不快じゃなくて、むしろ逆だ。

 石神と関わってから随分色々と変わってしまった。
 まずは前より、石神をクラスの中でついつい見てしまう。前と変わらず石神の周りには女子が常にいる。

 女子と一緒にいる時の石神はほんの少しだけ別人のように見えた。

 作り物の笑顔、というか。俺と一緒にいる時はころころと表情を変えるが、クラスの石神はずっと笑っていて声のトーンも一定だった。観察して見えてくるものがありちょっとだけ面白い。

 そして、分かったことがもう一つ。
 石神は絶対に昼休みは教室にいない。

 前みたいにきっと屋上にいるのだろう。
 周りに女子が多すぎると流石の石神も疲れるのだろうか。
 
 しかし、今日は例外の日だった。

 昼休み、石神は北原さんという女子と一緒にお弁当を持って教室を出て行った。
 誰かと一緒に教室を出るのは見たことがなかった。

 石神は昼ごはんを入ってはいけない屋上に忍び込んで食べていた。
 もしかしたら今日はそこに北原さんを連れて、一緒に食べて、楽しく会話でもいるのだろうか。
 石神が屋上に入っていることはバレていないと思う。バレているとしたら女子は一緒に食べたがるだろうし。

 最初に石神とちゃんと喋った時、石神は疲れ切った表情をしていた。クラスの化けの皮を剥がして休んでいると思った。

 石神が誰と過ごそうと勝手なのに、妙に胸騒ぎがした。


 ***


 放課後、今日も教室に石神はいなかった。

 鞄は机に置いてあるから、学校にはいるはずだ。

 一旦一人で伴奏の練習を始める。
 今日は表紙のデザインを決めようと約束していたのに。

 それに、来週から本格的に全体練習が始まるから指揮と伴奏を合わせようと思っていたのに。

 また昨日みたいに後ろから驚かしてくるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きながらの練習を始める。

 急に扉が開いた。

 すぐに振り向く、そこにいたのは女子だった。
 期待が滝のように一瞬で流れた。

「石神くんきてない?」

 もう一人の実行委員、北原さんだった。
 腰あたりまである長い髪の毛。乱れることなく艶があって綺麗な髪の毛だった。

 石神の周りの女子は全員自分の容姿をしっかりと整えている人ばかりだ。
 石神もだらしなく見えるけど、不潔ではない。服を着こなしてちゃんとかっこいい。
 彼女たちは石神に釣り合っている。

 けど俺は、不潔ではないけどオシャレなんかまるで興味がない。
 俺のことを待っていたんじゃなくて、この子のことを待っているのかもしれない。

 頭が一気に冴えて、馬鹿らしくなった。

「きてないよ、でも鞄があるからどこかにいると思うよ」
「そっか。……ねえ、毎日ここで石神くんと練習してたの?」

 探るような目つきだった。 別に女子じゃないんだから警戒する必要なんてないのに。
 このとき、初めて彼女の目をしっかり見た。
 目が合うと不愉快そうに目を逸らされる。

「そうだよ、来週からパート練習と全体練習始まるからね」
「ふーん、ねぇ、やっぱり私がプログラムの表紙描くよ」

 予想外の提案に驚き思わず、目を見開いて彼女を見る。
 その様子を見て明らかに不快感を表す。 

「何? いいでしょ。下書きの紙渡して」
「ちょっと待ってよ、どうして急に。やらないって言ったよね」
「あの時はね、でも今はやる気満々。私に任せて!」

 ニコッと表情は笑っているように見えるが、本心から笑っているようには全く見えない。
 笑顔の奥に浮かぶ彼女の本心が見えそうで見えない。

 緊張感が教室のあいだを静かに埋め尽くす。

 何を今更、と怒れば彼女は一体どういう反応を示すだろうか。
 潔く引き下がるだろうか。
 それとも他の女子に文句を言って、俺の根も葉もない噂が広げたり。
 春からの彼女たちの様子を見ていれば、そういうことがたまにあった。公な問題にはならなかったが、確かに問題があった。

 北原さんは一番カーストの高い集団の一人で、もちろんその問題の中心人物だった。

 いじめという明らかなものではなく、じわじわと誰かを追い詰めて、興味がなくなればすぐに違うものに焦点を合わせて楽しむ。

 同じ委員会になったのも、彼女は望んでいない。彼女はなりたい係になれず、俺はどれでも良くて余ったものが気が付けばこれだけだった。

 委員会の最初の打ち合わせの時、彼女は終始、奥に何かを隠した薄っぺらい笑顔を浮かべていた。
 油断をすると、本音が漏れ出しそうな表情に変わる。それに気がつくたびに汗が流れた。

 笑顔を向けたのは最初だけで、そのあとは勝手に役割と決められ、仕事を押し付けられ、そして今に至る。
 随分雑に扱われ、舐められて、全部思い通りに動くと思われている。

 きっと、昨日のことがなかったらすぐに彼女の頼みを聞いて、表紙を任せるだろう。

 しかし、俺は石神と一緒にやりたかった。

 さっさと返答をしない俺を北原はまだ笑ったままでいる。
 すぐにでも剥がれ落ちてしまいそうな笑顔だった。

「俺は石神とっ……」
「御花!!」

 入り口に勢いよく石神が現れた。

 石神は肩で息をしていて、11月だというのに汗をかいている。
 北原は「石神くんっ」と高い声を出してすぐに石神の方に体を向ける。

「石神くんに言われた通り、表紙のこと頼んでたところだよ」
「はっ……?」


 石神に言われた?
 表紙を北原さんがやるってことを?
 昼に頼んでた?
 俺とやりたくなかったから?
 北原さんとやる方が楽しいから?
 昨日一緒にやろうって言った側からなんで?


 混乱で断片的な情報で極端な考えばかりが浮かぶ。

 石神が必死に何かを喋っているが、随分遠くの方からしゃべっているみたいで内容が何も入ってこない。
 北原さんも身振り手振りでぴょんぴょん跳ねていて、何かを喋っている。

 鼓膜の間に耳栓でもあるのかってくらい、何も聞こえない。
 石神が近いてきて、見たこともないくらいな必死な表情で何かを訴えている。

 きっと教室は二人の声が響き渡っているのだと思う。
 聞きたくないから、自然と体が拒んでいる。

 次の瞬間、教室から飛び出していた。

「御花!?」

 その声すらも聞きたくなかった。
 全部嫌になって夢中に走って、学校の外まで出る。

 止まると全身から汗が溢れ出す。いきなり走り出したから心臓が激しく暴れて全身が痛い。
 風が冷たくて、体は冷えるのに、顔だけが妙に熱い。

 目頭も熱くて目の中に水が溜まる。昨日と違って今日は目の奥が痛い。
 じんじんと痛み出して、涙が溢れるごとに痛みが増す。

 声にならない嗚咽が漏れて、地面にうずくまる。

「御花ーー!?」

 背後から石神の声、というか叫び声が全身を打ちつける。

 激しい足音が大きくなり、近くに来ると止まる。

「足はやすぎ」
「……」

 顔を上げたくなくて腕を組んで必死に隠す。石神は隣にしゃがむが、無理に覗こうとはしてこない。

「説明させてよ、ちゃんと。なんか、誤解してない?」

 まだ息が上がったままなのに石神はそう言った。
 さっきと違って今度ははっきりと声が聞こえる。きてくれて嬉しいのか、涙はすぐにひっこんだ。
 それでも整理がつかない感情が乱れて、何をどう言ったらわからず言葉が出てこない。

「北原さんとやれば?」

 途中でつまらないように早口になってしまう。
 
「だーかーら、俺は御花とやりたいの。北原さんと話したのは、俺が放課後に御花といるところ結構見てたっぽくて、そのこと聞かれたの。その流れで、委員の仕事、全部押し付けるのはどうなの?って聞いてみただけで、例えば表紙とかー色々言っちゃって。表紙は御花とやるから、他のことやったらどうかなって言ったら、目の色変えちゃって」

 石神がここまで焦ってる様子は今までなかった。

「放課後になったら御花に頼むって一方的に決めちゃって。止めようとしたら、放課後に中庭でもう一度俺と話したらやめるかもって言われて。だから中庭に行ったんだけど全然来なくて。嫌な予感がして急いで教室行ったら、さっきの感じになったんだよ。だから、本当に北原さんが勝手に動いてて、俺が頼んだんじゃない」

 必死に説明する石神の様子から嘘を言っているようには思えない。石神のすがりつくような声は弱々しくて。クラスのイメージの石神と同一人物と思えなかった。

「ごめん、俺は、御花とやろうと思ってた。面倒なことに巻き込んでごめん」
「……昼休み、どこで食べた?」
「え、中庭」

 その言葉に思わず口角が上がる。ゆっくりと顔を上げて石神を見る。
 教室の時の石神とはかけ離れた必死な表情、余裕がなくて幼い子供のようにも見える。

「今からカラオケ行って、表紙やろ」
「っ!! うん……」

 刹那、石神の目から涙が流れた。
 石神が驚く以上に俺は衝撃的で、目が一気に乾いて石神の涙を流す姿を目に焼き付けてしまった。

「見んなよー」

 恥ずかしさで顔面が真っ赤に染まる石神が、可愛い……と思うと同時に、どこか懐かしさを感じた。

 一体どこで……?
 不鮮明な記憶が曖昧に浮かび上がるが、はっきりと思い出すことができない。

 思い浮かんできた記憶は、必死に俺自身が忘れようとしたものばかりで、簡単に鮮明にならない。

 なぜならその記憶は、小学六年生の時にもう二度とピアノを弾くものかと決心した時のものだったからだ。