担任に伴奏者を伝えることを説明した後は、すぐにキーボードを教室に運ぶことになった。
各クラスは練習用にキーボードを音楽室から借りて、教室に置くことができるのだ。
伴奏者は休み時間に弾いてもいいし、放課後に弾くこともできる。
放課後は学校のどこからか、吹奏楽部や軽音楽部の生徒たちの演奏の音が聞こえるため、一人が教室でピアノを練習をしていてもそこまで目立つことはなかった。
キーボードを教室に置くなり、すぐに練習に取り組んだ。
このクラスの選曲は「花は咲く」だ。女子たちの票が多くすぐに決まった曲だ。
そこまで難しいと思えないし、ちゃんと練習をすれば問題ないだろう。
あの時の曲じゃなくてよかった……
「御花ちゃんー」
声と同時に扉が勢いよく開いた。そこにいたのは石神だった。相変わらずだらしなく服を着ていて、ネクタイなんて信じられないくらい緩く結んであった。本当にこいつが指揮者でいいのだろうか。
「何怖い顔してんの?」
「いや、指揮をする時は、ちゃんと制服を着るのかなって」
「あー、これ? 本番はちゃんとするってー」
そう言いながらゆっくりネクタイを解いていく。行動に説得力が感じられない。石神はキービードの隣に椅子を引き寄せて座った。そして嬉しそうに微笑んだ。
「これから練習の時は二人きりだね」
「は? いるの? まだ何も弾けないけど」
「別にいいじゃん。曲も覚えたいし、指揮の練習だってたまにしたいし」
「最初は全然弾けないんだから、全く参考にならないと思うから帰ったほうがいいと思うけど」
「……わかんない?」
すっと手を伸ばすと、俺の頬に手を添えてきた。
その時、昼休みの光景が頭によぎる。頬に手を添えた次には……
「やめろっ」
石神の手を掴んで顔から離す。それでも片方の手で俺の唇に優しく触れる。
まるで壊れ物を扱っているかのような手つきだった。だから全然痛みとかはない。不快でもない。
ただ、単純に恥ずかしい。
一歩後ろに下がり距離を取るしかなかった。石神は残念そうに俺のことを見つめてくる。
「恥ずかしいの?」
「恥ずかしいだろっ、大体なんで男の唇なんか触ってくるんだ? ふざけてるのか?」
「ふざけてないよ、好きな人の唇ってなんか触りたくなるじゃん」
「っ!? はあ?? いい加減にしろっ、邪魔するならどっか行け。俺は練習するんだ」
一瞬言葉に詰まるが勢いに任せてしまった。
不服なのか、もう一度手を伸ばしてきたが今度は掴まず叩いてしまった。
驚いた様子だったが、もう邪魔されたくないから何も言わない。
キーボードの電源を入れて、石神の方に背を向けて座りさっさと一音目を確かめた。
弾き始めると、石神の声がすっかり止んでしまった。
気にせず弾き続けているとすっかり夢中になり、徐々に石神のことを意識しなくなっていった。
西陽が校舎の影に隠れて、教室の中が人工の光でいっぱいになった時、やっと時計を確認した。教室についてから約1時間経っていた。自分でも驚くほどの集中力だった。
電源を切り、キーボードの蓋を閉じる。
その時、やっと石神のことを思い出す。
振り返ると、石神は口を閉じてじっと俺のことを見ていた。
まさか、1時間もそこにいて俺のことを見ていたのだろうか。それって疲れないか?
「お疲れ様」
先に口を開いたのは石神だった。優しく微笑むと自分の鞄を手に取り、俺の鞄も机のフックから外して持ってくる。
「はい、御花の鞄」
「ありがと、ずっとそこで聞いてたのか?」
「うん、一番はもうすんなり弾けるようになったんじゃない?」
「全然だよ、まだ雑だし、音も結構外すし。久々だからだと思うけど、楽譜を見ながら指を思うように動かせない。練習が必要だよ」
「じゃあ教室で毎日練習するの?」
「うん、そのつもり」
「じゃあ毎日俺もここにくるね」
は? 意味がわからなくて言葉が詰まる。
今日みたいに1時間黙って俺のことを見ているのか?
そんなの俺も嫌だし石神が疲れるだろう。どういうつもりなのか分からずただ呆れた。
俺の考えていることが見通しなのか、石神は「大丈夫大丈夫」と言いながら俺に鞄を渡す。
「邪魔しなければいいんでしょ」
「石神が暇だろ」
「御花見てるの好きだから」
「なっ……」
こいつ、本当に何考えてるんだ? 冗談を言っているように見えない。
いつもみたいにヘラヘラしてからかっておけばいいのに、時折見せるこの真剣で揺るぎない石神の目。
本気で言ってるように聞こえるだろうが。
好きとか言われたら、どう反応すればいいかわからない。前みたいに冷たく見放せばいいのに、そうできないのは……
昼からこいつのペースに流されて、勝手に緊張するからだろうか。
今だって昼休みのことがまだ忘れられないし、さっき唇に触れられた時の感触が残っているんだ。
じんわりと耳が熱くなるのを感じる。本当にどうしちゃったんだよ……
「御花、帰ろ」
「うん」
満足そうに石神は微笑んで廊下の方へ出ていく。すぐに後を追って教室から出た。
***
帰り道、石神は至って普通だった。
高校生らしい会話というか、授業の話、先生の話、特に盛り上がることもなくつらつらと会話が延々と続いていった。
ヘラヘラしてこない石神と普通の会話をするのは初めてのような気がした。彼は至って普通の高校生だった。
急に近づいてきたりしないし、前みたいに頬を触ってきたり、唇を触ってきたり……
また頭の中にさっきのシチュエーションが蘇ってくる。石神の手の柔らかさ、ひんやりと冷たい指だった。
「御花?」
「っ!!」
心臓が跳ねる。また、顔が近い。俺のことをじっと見つめて足を止めた。
何もかも見透かされたような彼の目にすぐに反応することができない。
「話、聞いてる?」
「聞い、てた」
「嘘」
ばれた、それも全部わかっているかのようだった。石神はふっと笑うと歩き出す。
今、絶対触れてくると思った……
期待して裏切られた気分だった。
その時、自分の理性が強く頭を殴ったみたいな衝撃を受けた。
期待って、なんだよ? 今俺は何を求めた?
一歩先を歩くこの男は自分よりも身長がかなり高くて、雰囲気がかっこいい。
そりゃ女子は頬でも唇でも触れられたらドキドキする。
でも、俺は男だから、こんなに心臓がうるさいのは変だ。
たった今日1日しか話ていないのに、どうしてこんなに頭の中がゴチャゴチャしていて冷静でいられないんだろう。
「みーはな?」
「なんだよ」
「明日からも俺、放課後教室いるから」
「え、いやだからー」
「邪魔しないから」
断る理由はない、けどなんだか少しモヤモヤする。
石神のいう邪魔は、最初のスキンシップのことだと思う。俺が邪魔するなって言ったから、何もしてこないんだ。
「練習中だけ邪魔しないで、それ以外は……」
言ってからすぐにしまったと後悔する。
思わず石神の方を見る。石神は悪戯っぽい顔でこちらを見ると、足を止めて耳元に顔を寄せた。
「それってどういうこと?」
「……」
二人は道で立ち止まった。口も開かない。
遠くでカラスが鳴いている。それくらいこの場所は静かだった。沈黙の時間がゆっくりと過ぎていく。
風の音、少し離れた場所にある大通りの人や車の音、どこかの家から聞こえるシャワーの音。
はっきり聞こえるのは、石神の息遣いだった。
俺の耳元のそばで直で感じられる。
石神の吐息が耳に触れるたびに心臓が一段と大きくなった。
片側の耳だけ異常な熱さになっていた。
きっと、石神は俺のことをさっきみたいにまっすぐ見ている。
顔が近いから目を合わすのが恥ずかしい。
「泣いてる?」
「え」
頬に一筋涙が流れた。気がつけば視界が涙で滲む。
急いで目を擦る。焦りと羞恥心で雑に擦り目が少し痛い。
石神はやっと離れる。一気に緊張の糸が切れたようだった。
全身の筋肉が何かから解き放たれたように、軽くなる。反動でその場にしゃがみ込む。
「御花って、クラスのイメージと違って、泣き虫だね」
「うっさい」
正直、自分でもびっくりしている。昼休みは怖くて泣いたけど、今は緊張で泣いてしまった。
泣き虫にも程があるだろ。絶対引かれた。
「男がこんなに簡単に泣くなんてかっこ悪い……」
「そう? 俺はいいと思うけど。むしろ泣くの可愛いと思うよ」
「こっちは真剣なんだぞ」
露骨に嫌な顔をして見せると、わざとらしく怖がるふりをしている。
やっぱりこいつは嫌なやつかもしれない。うんざりして石神を置いて早歩きをする。
「みーはな、怒んなよ」
後ろから呼ぶ声がするけどお構いなしに歩いていく。
だが、ほんの数秒で大股の石神に抜かされた。
「お、お前、足長いんだよっ。隣歩くんじゃねぇ」
「それは辛辣すぎー、御花ちっちゃいから絶対俺から逃げらんないよ」
「ちっちゃい言うな!」
俺だけ一人騒いでいて、石神は楽しそうに屈託なく笑っている。
本当に訳わからない、こいつも、今の自分のことも。
こんなに振り回されるの嫌なはずなのに、どうして突き放せないんだよ。
「これから毎日帰ろうね」
「……大股だからやだ」
「それも辛辣っ…わかった、小股にする」
そう言ってリスみたいに素早く小股で歩いて見せる。
「馬鹿にするんじゃねーー!!」
「あははははは」
腹を抱えて笑う石神。無邪気に笑うその姿が、一瞬誰かと重なった。
遠い昔の、、鮮明にはまだ思い出せない。
けれど、今確かに誰かの面影があった。
こうやって会話をしていけば、いつか自分でも思い出せるだろうか。
そんなことを考えながら、石神に突っかかる。
やっぱり、忘れてしまったのは申し訳ないから、自分で思い出したい。
それまでは、石神とたくさん話そう。
いつかきっと思い出す。
そこで一つの疑問が思い浮かぶ。
仮に思い出したとしたら、俺は石神になんて言えばいいのだろう。
各クラスは練習用にキーボードを音楽室から借りて、教室に置くことができるのだ。
伴奏者は休み時間に弾いてもいいし、放課後に弾くこともできる。
放課後は学校のどこからか、吹奏楽部や軽音楽部の生徒たちの演奏の音が聞こえるため、一人が教室でピアノを練習をしていてもそこまで目立つことはなかった。
キーボードを教室に置くなり、すぐに練習に取り組んだ。
このクラスの選曲は「花は咲く」だ。女子たちの票が多くすぐに決まった曲だ。
そこまで難しいと思えないし、ちゃんと練習をすれば問題ないだろう。
あの時の曲じゃなくてよかった……
「御花ちゃんー」
声と同時に扉が勢いよく開いた。そこにいたのは石神だった。相変わらずだらしなく服を着ていて、ネクタイなんて信じられないくらい緩く結んであった。本当にこいつが指揮者でいいのだろうか。
「何怖い顔してんの?」
「いや、指揮をする時は、ちゃんと制服を着るのかなって」
「あー、これ? 本番はちゃんとするってー」
そう言いながらゆっくりネクタイを解いていく。行動に説得力が感じられない。石神はキービードの隣に椅子を引き寄せて座った。そして嬉しそうに微笑んだ。
「これから練習の時は二人きりだね」
「は? いるの? まだ何も弾けないけど」
「別にいいじゃん。曲も覚えたいし、指揮の練習だってたまにしたいし」
「最初は全然弾けないんだから、全く参考にならないと思うから帰ったほうがいいと思うけど」
「……わかんない?」
すっと手を伸ばすと、俺の頬に手を添えてきた。
その時、昼休みの光景が頭によぎる。頬に手を添えた次には……
「やめろっ」
石神の手を掴んで顔から離す。それでも片方の手で俺の唇に優しく触れる。
まるで壊れ物を扱っているかのような手つきだった。だから全然痛みとかはない。不快でもない。
ただ、単純に恥ずかしい。
一歩後ろに下がり距離を取るしかなかった。石神は残念そうに俺のことを見つめてくる。
「恥ずかしいの?」
「恥ずかしいだろっ、大体なんで男の唇なんか触ってくるんだ? ふざけてるのか?」
「ふざけてないよ、好きな人の唇ってなんか触りたくなるじゃん」
「っ!? はあ?? いい加減にしろっ、邪魔するならどっか行け。俺は練習するんだ」
一瞬言葉に詰まるが勢いに任せてしまった。
不服なのか、もう一度手を伸ばしてきたが今度は掴まず叩いてしまった。
驚いた様子だったが、もう邪魔されたくないから何も言わない。
キーボードの電源を入れて、石神の方に背を向けて座りさっさと一音目を確かめた。
弾き始めると、石神の声がすっかり止んでしまった。
気にせず弾き続けているとすっかり夢中になり、徐々に石神のことを意識しなくなっていった。
西陽が校舎の影に隠れて、教室の中が人工の光でいっぱいになった時、やっと時計を確認した。教室についてから約1時間経っていた。自分でも驚くほどの集中力だった。
電源を切り、キーボードの蓋を閉じる。
その時、やっと石神のことを思い出す。
振り返ると、石神は口を閉じてじっと俺のことを見ていた。
まさか、1時間もそこにいて俺のことを見ていたのだろうか。それって疲れないか?
「お疲れ様」
先に口を開いたのは石神だった。優しく微笑むと自分の鞄を手に取り、俺の鞄も机のフックから外して持ってくる。
「はい、御花の鞄」
「ありがと、ずっとそこで聞いてたのか?」
「うん、一番はもうすんなり弾けるようになったんじゃない?」
「全然だよ、まだ雑だし、音も結構外すし。久々だからだと思うけど、楽譜を見ながら指を思うように動かせない。練習が必要だよ」
「じゃあ教室で毎日練習するの?」
「うん、そのつもり」
「じゃあ毎日俺もここにくるね」
は? 意味がわからなくて言葉が詰まる。
今日みたいに1時間黙って俺のことを見ているのか?
そんなの俺も嫌だし石神が疲れるだろう。どういうつもりなのか分からずただ呆れた。
俺の考えていることが見通しなのか、石神は「大丈夫大丈夫」と言いながら俺に鞄を渡す。
「邪魔しなければいいんでしょ」
「石神が暇だろ」
「御花見てるの好きだから」
「なっ……」
こいつ、本当に何考えてるんだ? 冗談を言っているように見えない。
いつもみたいにヘラヘラしてからかっておけばいいのに、時折見せるこの真剣で揺るぎない石神の目。
本気で言ってるように聞こえるだろうが。
好きとか言われたら、どう反応すればいいかわからない。前みたいに冷たく見放せばいいのに、そうできないのは……
昼からこいつのペースに流されて、勝手に緊張するからだろうか。
今だって昼休みのことがまだ忘れられないし、さっき唇に触れられた時の感触が残っているんだ。
じんわりと耳が熱くなるのを感じる。本当にどうしちゃったんだよ……
「御花、帰ろ」
「うん」
満足そうに石神は微笑んで廊下の方へ出ていく。すぐに後を追って教室から出た。
***
帰り道、石神は至って普通だった。
高校生らしい会話というか、授業の話、先生の話、特に盛り上がることもなくつらつらと会話が延々と続いていった。
ヘラヘラしてこない石神と普通の会話をするのは初めてのような気がした。彼は至って普通の高校生だった。
急に近づいてきたりしないし、前みたいに頬を触ってきたり、唇を触ってきたり……
また頭の中にさっきのシチュエーションが蘇ってくる。石神の手の柔らかさ、ひんやりと冷たい指だった。
「御花?」
「っ!!」
心臓が跳ねる。また、顔が近い。俺のことをじっと見つめて足を止めた。
何もかも見透かされたような彼の目にすぐに反応することができない。
「話、聞いてる?」
「聞い、てた」
「嘘」
ばれた、それも全部わかっているかのようだった。石神はふっと笑うと歩き出す。
今、絶対触れてくると思った……
期待して裏切られた気分だった。
その時、自分の理性が強く頭を殴ったみたいな衝撃を受けた。
期待って、なんだよ? 今俺は何を求めた?
一歩先を歩くこの男は自分よりも身長がかなり高くて、雰囲気がかっこいい。
そりゃ女子は頬でも唇でも触れられたらドキドキする。
でも、俺は男だから、こんなに心臓がうるさいのは変だ。
たった今日1日しか話ていないのに、どうしてこんなに頭の中がゴチャゴチャしていて冷静でいられないんだろう。
「みーはな?」
「なんだよ」
「明日からも俺、放課後教室いるから」
「え、いやだからー」
「邪魔しないから」
断る理由はない、けどなんだか少しモヤモヤする。
石神のいう邪魔は、最初のスキンシップのことだと思う。俺が邪魔するなって言ったから、何もしてこないんだ。
「練習中だけ邪魔しないで、それ以外は……」
言ってからすぐにしまったと後悔する。
思わず石神の方を見る。石神は悪戯っぽい顔でこちらを見ると、足を止めて耳元に顔を寄せた。
「それってどういうこと?」
「……」
二人は道で立ち止まった。口も開かない。
遠くでカラスが鳴いている。それくらいこの場所は静かだった。沈黙の時間がゆっくりと過ぎていく。
風の音、少し離れた場所にある大通りの人や車の音、どこかの家から聞こえるシャワーの音。
はっきり聞こえるのは、石神の息遣いだった。
俺の耳元のそばで直で感じられる。
石神の吐息が耳に触れるたびに心臓が一段と大きくなった。
片側の耳だけ異常な熱さになっていた。
きっと、石神は俺のことをさっきみたいにまっすぐ見ている。
顔が近いから目を合わすのが恥ずかしい。
「泣いてる?」
「え」
頬に一筋涙が流れた。気がつけば視界が涙で滲む。
急いで目を擦る。焦りと羞恥心で雑に擦り目が少し痛い。
石神はやっと離れる。一気に緊張の糸が切れたようだった。
全身の筋肉が何かから解き放たれたように、軽くなる。反動でその場にしゃがみ込む。
「御花って、クラスのイメージと違って、泣き虫だね」
「うっさい」
正直、自分でもびっくりしている。昼休みは怖くて泣いたけど、今は緊張で泣いてしまった。
泣き虫にも程があるだろ。絶対引かれた。
「男がこんなに簡単に泣くなんてかっこ悪い……」
「そう? 俺はいいと思うけど。むしろ泣くの可愛いと思うよ」
「こっちは真剣なんだぞ」
露骨に嫌な顔をして見せると、わざとらしく怖がるふりをしている。
やっぱりこいつは嫌なやつかもしれない。うんざりして石神を置いて早歩きをする。
「みーはな、怒んなよ」
後ろから呼ぶ声がするけどお構いなしに歩いていく。
だが、ほんの数秒で大股の石神に抜かされた。
「お、お前、足長いんだよっ。隣歩くんじゃねぇ」
「それは辛辣すぎー、御花ちっちゃいから絶対俺から逃げらんないよ」
「ちっちゃい言うな!」
俺だけ一人騒いでいて、石神は楽しそうに屈託なく笑っている。
本当に訳わからない、こいつも、今の自分のことも。
こんなに振り回されるの嫌なはずなのに、どうして突き放せないんだよ。
「これから毎日帰ろうね」
「……大股だからやだ」
「それも辛辣っ…わかった、小股にする」
そう言ってリスみたいに素早く小股で歩いて見せる。
「馬鹿にするんじゃねーー!!」
「あははははは」
腹を抱えて笑う石神。無邪気に笑うその姿が、一瞬誰かと重なった。
遠い昔の、、鮮明にはまだ思い出せない。
けれど、今確かに誰かの面影があった。
こうやって会話をしていけば、いつか自分でも思い出せるだろうか。
そんなことを考えながら、石神に突っかかる。
やっぱり、忘れてしまったのは申し訳ないから、自分で思い出したい。
それまでは、石神とたくさん話そう。
いつかきっと思い出す。
そこで一つの疑問が思い浮かぶ。
仮に思い出したとしたら、俺は石神になんて言えばいいのだろう。



