役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

王城中枢、重臣会議室。
厚い扉が閉じられると同時に、外の気配は切り離された。

長机の中央奥には、国王レオンハルトが座している。
その左右に、宰相、軍務卿、神殿長、外務大臣。
そして、特別騎士団を代表する幹部が末席に控えていた。

空気は静かだった。
だが、緊張がないわけではない。

ここにいる全員が理解している。
今日の議題は、
「訓練の成否」ではない。

この国が、今後どのような判断を積み重ねていくのか――
その確認だ。

書類の音ひとつ、誰も立てない。
重臣会議とは、本来こういう場だ。
感情を交わす場ではなく、
国家として引き受ける責任を、言葉にする場所。

沈黙を破ったのは、軍務卿ローデリヒ・シュタインベルクだった。
背筋を伸ばし、無駄のない動きで前を向く。
声は低く、装飾がない。

「訓練結果について、
 まず、軍の立場から報告する」

それだけで、場の空気が一段引き締まった。

「今回のトリアージ訓練は、
 騎士が負傷し、
 即時に全員を救えない状況を前提として行われた」

言葉を選んでいるようには見えない。
だが、粗雑でもない。

「結論から言えば――
 判断は、容易ではなかった」

一瞬、視線が伏せられる。

「軽傷と見えた者が急変する。
 重体と判断した者が持ち直す。
 そして、
 どう考えても救命の優先度を下げざるを得ないケースも、
 想定に含めて行われた」

誰も口を挟まない。
それが「想定内」であることを、全員が理解しているからだ。

「訓練であっても、
 その判断を下す瞬間の重さは、
 実戦と大きく変わらない」

軍務卿は、そこで一度言葉を切った。

「……正直に言えば、
 騎士たちに、この判断を背負わせ続けることには、
 今も迷いがある」

場が、わずかにざわめく。
だが、ローデリヒは構わず続けた。

「それでも、
 前線に立つ以上、
 判断を避けることはできない」

「実際、
 優先順位をつけられず、
 現場が混乱した場面もあった」

「だからこそ、
 個人に責任を押し付けない仕組みが必要だと、
 改めて確認した」

視線が、国王へ向く。

「今回の訓練は、
 軍としては――
 “必要だった”と、そう結論づけます」

そこまで言って、
ローデリヒは黙った。

ただ、現場が背負った重さを、
そのまま差し出すような報告だった。

数拍の沈黙が、会議室を満たす。

次に口を開いたのは、
神殿長エルヴィーラ・ノルディアだった。

白を基調とした神殿衣。
年齢を重ねた穏やかな表情は、
だが、甘さとは無縁だ。

「神殿の立場から、申し上げます」

声は柔らかい。
だが、その言葉は、いつも核心を外さない。

「今回の訓練は、
 “誰を救うか”を選ぶものではありませんでした」

わずかに間を置く。

「正確には、
 “救えない可能性がある現実”を、
 最初から前提として共有する訓練だった」

視線が、重臣たちを順に巡る。

「それは、
 神殿が長く避けてきた視点でもあります」

誰かが、静かに息を吸う。

「命は重い。
 だからこそ、
 軽々しく扱ってはいけない」

「ですが、
 すべてを同時に救えない場面が存在することも、
 否定できない現実としてあります」

エルヴィーラは、そこで一度言葉を切った。

「今回の訓練で重要だったのは、
 “選ぶこと”ではなく、
 “選ばざるを得ない状況が起きる”という事実を、
 制度として認めることなのだと、私は考えています」

それは、
神殿長として、
決して軽い言葉ではなかった。

「神殿としては、
 この訓練を否定しません」

そう告げて、
エルヴィーラは口を閉じた。

次に、宰相マティアス・フォン・グレイヴが、
静かに書類へ視線を落としたまま言った。

「制度の話をしましょう」

感情は、ほとんど乗っていない。

「今回の訓練で明らかになったのは、
 判断の遅れではなく、
 判断が集中する場所です」

指先で、紙を一枚、裏返す。

「医療担当騎士。
 現場医師。
 王宮診療所」

「役割は整理されている。
 だが、
 “誰が最終的に判断を背負うのか”は、
 まだ曖昧です」

淡々と、だが容赦なく続ける。

「それは、
 善意で埋めてきた空白とも言えます」

「今回の訓練は、
 その空白がどこにあるのかを、
 可視化しました」

宰相は顔を上げた。

「今後は、
 判断基準の文書化、
 権限の段階化、
 記録と検証の仕組みが必要になります」

「それは、
 現場にいる人間を、
 守るための制度です」

視線が、国王に向く。

「国家が判断と責任を引き受けるとは、
 そういうことだと、私は考えます」

最後に、
外務大臣アルト・ヴァルハルトが、
ゆっくりと口を開いた。

眼鏡越しの視線は、
すでにこの場の外を見ている。

「外交の立場から言えば、
 今回の訓練は――
 確実に、外へ影響します」

誰も驚かない。

「ゼフィーリアは、
 “極力殺さず”を国是として掲げている」

「その国が、
 トリアージを制度化し、
 公に訓練しているという事実は、
 必ず他国に伝わるでしょう」

肩をすくめるような仕草。

「評価は、二極化します」

「理性的だと見る国もあれば、
 冷酷だと切り取る国もある」

「だからこそ、
 隠すべきではありません」

アルトは、はっきりと言った。

「中途半端に伏せるより、
 理念と責任を、言葉として揃えるべきです」

「命を選んでいるのではない。
 命を守るために、
 国家が判断と責任を引き受けているのだ、と」

その言葉は、
この会議の核心に、静かに触れていた。

重臣たちの意見は、出そろった。
あとは――
王が、それをどう束ねるか。

国王レオンハルトは、
肘掛けに置いた手をゆっくりと組み直した。

「――皆の意見は、よく分かった」

声は低く、穏やかだった。

「今回の訓練は、
 成功だったか、失敗だったか、
 そういう単純な話ではない」

視線を、会議室全体に向ける。

「現場は迷った。
 判断は揺れた。
 だが、それは想定通りでもある」

一拍置く。

「迷わずに下せる判断など、
 本来、命を扱う場には存在しない」

神殿長へ、宰相へ、
そしてアルトへと、順に目を向けた。

「神殿が言った通りだ。
 これは命を選ぶ訓練ではない」

「宰相の言う通り、
 判断と責任を、
 個人に背負わせ続けるわけにもいかない」

「外交の視点も重要だ。
 我々は、
 何をしているのかを、
 自分たちの言葉で説明できなければならない」

国王は、静かに息を吸った。

「ゼフィーリアは、
 守るための判断から、
 逃げない国でなくてはならない」

「だから、私はこう考える」

少しだけ、声に力がこもる。

「今回の訓練は、
 継続を前提とする」

誰かが、小さく頷いた。

「ただし、
 現場任せにはしない」

「訓練で出た課題は、
 軍務卿と宰相で整理する」

「神殿には、
 言葉と理念の部分で、
 引き続き関与してもらいたい」

「外務には、
 対外的な説明の骨子を整えてもらう」

指示は明確だった。

「判断も責任も、
 国が引き受ける」

はっきりと、そう言い切る。

「それが、
 現場で迷う者たちを、
 少しでも守ることになるのなら」

国王は、最後にこう結んだ。

「完璧な制度には、なりえないだろう。
 だが、
 だからこそ、
 修正し続けることが必要だ」

その言葉で、
会議はひとまず、区切られた。

国家としての判断は、
まだ途中経過の段階だ。

だが――
進むべき道筋は、見えた