本家が他のあやかしの襲撃を受けるという衝撃の事件は、先代当主の花嫁の息子──現当主である(せん)()の異母兄弟を捕らえたことで、とりあえず終結となった。

 「今度は前より厳重に張っておくよ~」

 などと言って、千夜によりさらに強固な結界が張られたようなので、一応問題はなさそうだ。

 落ち着きを取り戻しつつある本家で、柚子(ゆず)はひとりにならないように、ずっと子鬼たち──黒髪のアオと白髪のソウを肩に乗せ、さらに(さくら)()が念のためにそばにいてくれている。

 神子(みこ)の素質はあるものの、ただの人間である柚子はあやかし相手に抗う(すべ)を持っていないので、誰かがついている方がいいという判断からだった。

 一応侵入してきたあやかしはすべて捕らえた。しかし、まだ隠れている者がいないとも限らない。

 千夜の結界が張られているので千夜が気付くとは思うが、その千夜の結界を破るという異例の状況だ。

 気付かれず隠れている者がいないとも限らないので、現在調査中である。

 そんな中で、(れい)()にとって唯一の弱みと言ってもいい柚子をひとりにしておくわけにはいかない。

 ましてや、千夜の異母兄弟が今回襲撃してきた理由が柚子をさらうためだったのならなおさらだ。

 本当は玲夜がそばにいたがってはいたが、玲夜も次期当主として事件の後始末をする必要があったので、ゆっくり柚子に付き添っているわけにもいかなかった。

 この時ほど()(りゅう)(いん)の跡取りという立場をもどかしく思ったことはないかもしれない。名残惜しそうにしつつ、玲夜は千夜とともに出ていった。

 そして、残された柚子はというと、部屋の中に大きく開いた穴を前に()(ぜん)としている。

 隣の部屋まで突き抜けた大穴は、アオとソウが柚子を守るため、千夜の異母兄弟を(あお)い炎でぶっ飛ばした時にできたものだ。

 「すごい大穴……」

 「あい~」

 「あい……」

 子鬼はやりすぎてしまったと反省するようにしょんぼりしている。

 「子鬼ちゃんたちが責任を感じる必要ないからね。私を守ってくれた結果なんだし、むしろありがとう」

 そう言って柚子はアオとソウの頭を()でた。

 きっと玲夜も感謝こそすれど、子鬼たちを叱ったりはしないだろう。

 子鬼たちは柚子を守るために玲夜が作ったのだから、本来の役目を果たしたにすぎないのだ。

 必要なら家ごと吹っ飛ばしても怒らないかもしれない。いや、間違いなくそうだ。

 「あい!」

 「あいあい、どういたしまして」

 柚子がお礼を言うと、それまでの暗い顔がぱっと明るくなる。やはり子鬼たちは笑っている方がかわいい。

 ふたりが笑っているのを見るだけでほっこりとし、柚子も襲われそうになった恐怖心が和らぐ。

 子鬼たちの気持ちが浮上してよかったと安堵してから、改めて大穴を見る。

 「それにしても、よく無事だったね、あの人」

 感心する柚子は、事件直後に一度だけ、捕らえた千夜の異母兄弟に会いに座敷牢(ろう)へ行った。もちろん玲夜と一緒である。

 アオとソウの攻撃を受けた直後は気を失っていたが、様子を見に行った時にはすでにぴんぴんしており、大きな怪我を負った様子もない。

 「子鬼ちゃんたちは神様から名前をもらって強くなったみたいなのにね」

 あくまで『みたい』と曖昧な言い方になるのは、柚子ではあやかしの放つ霊力の強さが分からないからだ。

 玲夜と千夜についても、周囲のあやかしから強いと聞かされても、柚子ではさっぱりすごさが理解できない。

 ただ、自他ともに弱小あやかしと認める猫又(ねこまた)(ねこ)()東吉(とうきち)は、玲夜を前にするとぴんっと背筋が伸びるので、なんとなく察する程度だ。

 玲夜の場合は霊力うんぬんの前に、彼自身が近寄りがたい空気を発しているので、霊力の感じない人間でも東吉のように背筋が伸びるだろう。

 玲夜ですらそうなのだから、以前のパーティーで、千夜と撫子(なでしこ)というあやかし界トップに君臨する当主ふたりに挟まれた時はさすがにかわいそうであった。

 千夜はまだ親しみやすさがあるが、撫子はまとう空気からして周囲を圧倒する存在感を発しており、それはあやかしの強さを計れない柚子ですら緊張させる。

 玲夜以上の格を感じさせるのが撫子だ。まあ、玲夜は柚子に対してだけは甘いので、柚子がそう思うだけなのだが。

 それ以外のあやかしとなれば、人間の柚子では教えてもらわねば力量差は分からない。

 しかし子鬼に関しては、神様から名前をもらって以降、清廉な気配を感じるようになった。

 どうやらこれは、逆に玲夜たちあやかしには分からない感覚だったようで、恐らく柚子が神子としての素質があるからこそ気付けたようだ。

 そんな子鬼に攻撃されてなお無事な千夜の異母兄弟は、タフという言葉では片付けられない。

 「腐っても鬼ということでしょう。加えて、彼の話が真実なら、前当主様と花嫁の子ということになります。花嫁との間に生まれた子は、総じて力が強く生まれてきます。それが鬼龍院の当主だった方との間にできた子ならば、なおさら強い力を持っていてもおかしくはございませんよ」

 そう柚子に説明するのは桜子だ。彼女は玲夜に代わり、ずっと柚子と行動をともにしてくれている。

 「そんな鬼を瞬殺した子鬼ちゃんたちとはいったい……」

 子鬼たちに目を向ければ、にぱっとかわいらしく笑った。

 「もう使役獣の(はん)(ちゅう)は超えておりますね」

 柚子は改めて子鬼たちの規格外さに気付かされ頬を引きつらせた。

 「ですが、柚子様をお守りするにはそれぐらいがちょうどよいのではないでしょうか? おかげで玲夜様も子鬼たちがいるなら大丈夫だと判断して、お勤めを果たすことに集中できますし」

 「確かにそうですね。玲夜が安心してくれると、それだけ私も自由に動くのを許してもらえますし」

 玲夜の過保護さを知る柚子と桜子は顔を見合わせて苦笑した。

 すると、そこへ沙良(さら)が入ってくる。

 「柚子ちゃーん、駄目だったわ~。まったくいないのよ~」

 困り果てた様子の沙良の言葉に、柚子も動揺する。

 「えっ、朝霧(あさぎり)君、見つからないんですか!?」

 「そうなのよぉ、どこを捜しても見つからないの」

 「そんな……。お義母様でも捜せないなんて」

 どうしたものか悩んだ顔をする沙良は、桜子と同じく柚子の護衛として一緒についてくれていた。

 沙良は現当主の妻であり、桜子は次期当主たる玲夜の元婚約者だった人だ。

 どちらも一族によって決められたものだが、千夜と沙良はそう感じさせないほど仲がいい。

 桜子の場合は、柚子という花嫁が現れたために破談となった。それでも一族に認められるほど、ふたりは当主に嫁ぐにふさわしい強い霊力を保持している。

 かたやかわいらしく、かたや(はかな)げな美しさを持つふたりの女性は、普段柚子につけられている護衛などよりよほど強いのだ。

 子鬼たちが張りついているおかげもあるが、このふたりがそばにいるからこそ、玲夜も任せて自分の仕事に集中することができている。

 しかし、一時的に沙良は柚子から離れていた。

 それは、本家襲撃の騒ぎ以降、姿が見えなくなっていた朝霧を捜すためだ。

 朝霧はなぜか柚子に異常に懐き、柚子が玲夜の屋敷へと帰る時も必死で引き留めようとするほどだった。

 あまりにも玲夜に似た顔立ちをしていたため玲夜の隠し子疑惑が出るぐらいだった朝霧にすがられると、子供であるのを抜きにしても、柚子は邪険にできなかった。

 玲夜は当然というべきか明らかに不満そうであっても、さすがに子供を威嚇するほど大人げなくはなかったので少し安心した柚子だ。

 そんな朝霧の母親は人間らしく、玲夜には柚子という花嫁がいる以上、他に花嫁が存在するのはあり得ないと、今度は千夜に飛び火して沙良が激昂(げっこう)したのだが、それも違っていた。

 玲夜の祖母であり、先代の当主夫人であった()(らん)により明かされた過去の因縁は、現当主である千夜にすら知らされていないものだった。

 先代の当主には花嫁がいたこと、その花嫁が天狗によって連れ去られたことなど、過去の事件が明らかになり、朝霧はその花嫁の血縁者である可能性が高いとされ、とりあえず玲夜や千夜の子ではないと結論づけられた。

 とはいえ、まだ五歳の朝霧を放置はできないので本家にて預かると決まったものの、間もなく本家の襲撃が起こった。

 今回の事件の犯人を全員捕まえたと聞いて安堵したのも束の間、柚子が朝霧の存在を思い出し屋敷の中を捜し回ったがまったく見当たらなかった。

 あの騒ぎの中だ。怖がってどこかで震えているかもしれない。

 そう思うと早く見つけてあげたいのだが、なにせ本家の敷地は広大である。

 柚子は玲夜の屋敷ですら最初の頃はよく迷子になっていたのに、この本家はさらに何倍もの敷地面積を誇る。

 本家の敷地内には他の分家の屋敷も建てられているため、その分広いということもあるが、純粋に千夜たちが居を構える当主の屋敷の敷地自体が玲夜の屋敷よりかなり広い。大人でも普通に迷子になるだろう。

 「今、何人かで捜させているけれど、騒ぎの後始末に駆り出されていてあまり人手を割けないのよ。ごめんね、柚子ちゃん」

 沙良は申し訳なさそうにするが、襲撃があった直後のこんな時なので仕方がなかった。柚子とて、まだ完全には混乱が収まっていない中、こちらの問題を優先してくれと我儘(わがまま)は言えない。

 「とんでもありません。こんな時ですから」

 理解を示しつつも、柚子の焦りは変わらない。

 柚子の様子を慮ってか、横から桜子が口を挟み、沙良に問いかける。

 「千夜様なら分かりませんか?」

 本家すべての敷地を結界で覆う千夜には、結界内のことは筒抜けだ。

 あえて姿を隠そうとしない限り――それも千夜の目を欺けるほどの実力者でもなければ、迷子ぐらい把握できる。

 「そうしたいところなんだけど、今は大事なお話し中なのよねぇ」

 困ったと頬に手を当てる沙良に、桜子も眉尻を下げる。

 「それならば仕方ございませんね」

 千夜は当主だ。今この時、一族の中心となって一番忙しくしているのはさすがの柚子でも分かる。

 ただでさえ最強とされる鬼の本家が襲撃されるという異例な状況下で、千夜の手を煩わせるわけにもいかない。優先順位を考えれば、本家の問題を片付けるのが先になってしまうのは仕方がない。

 とはいえ、五歳児が行方不明とあっては、柚子も落ち着いてはいられないのも隠しようがない気持ちだ。

 「あの……。私も捜すのを手伝うのは──」

 「駄目よ」

 「いけません」

 ためらいがちに問いかけた言葉は、言い終わるより先に沙良と桜子によって即却下された。

 「ですよね……」

 柚子は、あははっと笑いつつその声は意気消沈している。

 柚子も馬鹿ではないので、当然状況は理解している。自分が狙われていた以上、今は大人しくしていなければならないと。

 「一応言ってみただけです……」

 がっくりと肩を落とす。

 ふたりが許可するとは到底思わなかったが、あの小さな朝霧の姿を思い浮かべると焦燥感に勝てずつい口に出してしまった。

 「小さな子がいなくなって心配なのは私も同じだけど、柚子ちゃんの方が私たちは大事だから、分かってね」

 優しく沙良に諭され、柚子は申し訳なさそうに笑う。

 「はい」

 柚子は玲夜の唯一の弱み。それを柚子自身が自覚しなくては、守る方も守りきれない。

 十代だった頃と違い、少しは成長したと思っている。まだまだ未熟であることに変わりはないが……。

 「もう少ししたら落ち着くでしょうし、そうしたらすぐに千夜君に捜してもらうわ。小さな子の足だから、そう遠くには行っていないでしょう。それに、もしかしたら自力でここに帰ってくるかもしれないわよ?」

 「ですが、結界が張られる前に外に出てしまっているかもしれません」

 さすがに結界の外では千夜も探せないだろうと、柚子は不安そうに問いかける。

 しかし、そんな心配をよそに、沙良に動揺の色はない。

 「結界は破られてすぐに千夜君が新しい結界を張ったみたいよ。入ってきた敵を逃がさないためのね。もっと強力にした結界はまた後で張り直すみたいだけど……。だから、結界が破られて千夜君が張るまでの短時間でこの広い鬼龍院の敷地から出るのは、子供には不可能よ。本家の敷地のどこかにはいるはずだわ」

 「それならよかったです」

 沙良から丁寧に教えられ、ようやく柚子にも安堵の色が浮かんだ。