冷たい目をした誠が、俺の足にまだくっついている脳内お花畑浮気男、颯真くんを見下ろす。

「――これ見てもまだわかんない? お前が入る隙なんてこれっぽっちもないんだよ」

 俺は誠のこの言葉で、なぜ突然誠が俺にキスをしてきたかを理解した。何事かと思ったけど、誠は俺の恋人のふりをして、颯真くんを撃退するつもりなんだ。

 び、び、びっくりしたあー! 演技なのに、思い切り蕩けちゃったよ! うわ、恥ずかしい……!

 俺が誠にされたキスのことで頭をいっぱいにさせていると、颯真くんがまたもや明後日な質問をしてきた。

「ら、来……っ、俺がいるのに、浮気したのか……っ?」

 さも傷付きました的な顔になっているのが普通に腹立たしい。

「……はあー」

 誠が深い溜息を吐く。

「来はとっくにお前を振ってるだろ」
「お、俺は認めてなんかっ」
「最初浮気をしたのはてめえのほうな癖になに選択権が自分にあると思ってんだ? 知能幼稚園児かよ」

 知能幼稚園児と言われた颯真くんはプライドがズタボロにされたのか、目を剥きながら口をぱくぱくさせているだけだ。餌を求める鯉みたいだな。

「――なあ、あんたさ」

 誠は颯真くんの前髪を鷲掴みにすると、颯真くんを俺の足から引き剥がしていった。

「い、痛いっ」

 颯真くんが顔を歪める。

「人の恋人にいつまでくっついてるつもりだよ? 来の顔を立てて大人しくしてやっている間にさっさとどっかに行ってくれないかな?」
「い、痛いっ、痛いからっ」

 颯真くんが頭を押さえる為に、やっとこさ俺の足から手を離す。俺はこの瞬間を逃さず、さっと身体を引いて誠にピタリと抱きついた。

 演技だろうが俺は今この瞬間は誠の恋人だし、ちょっと抱きつくくらいは許してほしい。

 と、誠が口角を上げ、俺のこめかみに軽いキスを落とす。……えっ!? サービス良すぎないか!? ヤバ、う、嬉しい……っ。あまりに嬉しくてニヤケそうになってしまったので、慌てて顔面を誠の胸にぐりぐり押し付けて隠した。

「――二条颯真」
「ひっ、いた、も、やめ……っ」

 これまでモラハラばかりしてきた勝手すぎる男は、自分が受けるダメージには滅茶苦茶弱かったみたいだ。涙声になっている。

 誠が実にひくーいドスの利いた声で、言った。

「これ以上来に連絡したりちょっかい出したりしてきたら、こっちもそれなりの手段に出るから覚悟しておけよな」
「そ、それなりの手段……っ?」
「ああ。警察にストーカー案件として通報――」

 次の瞬間だった。颯真くんはピャッと離れると、顔を思い切り歪めながら騒ぎ始める。

「け、警察っ!? この俺が警察に!? 冗談じゃない!」

 誠が髪の毛から手を離すと、颯真くんがへっぴり腰になりながら立ち上がった。慌てた様子で、俺たちから距離を置き始める。

「お、俺は優秀な人間なんだぞっ!? 警察と関わり合いになるなんて、あっ、あり得ない!」

 そう言うと、くるりと背中を見せて一目散に中庭から出て行ってしまった。

 あっという間に後ろ姿が見えなくなる。誠にしがみついていた俺も、俺を抱き寄せていた誠も、あまりの保身具合に呆気に取られていた。

「……最初から警察の名前をチラつかせてたら一発だったのかも」

 誠を仰ぎ見ながら囁くと、誠もポカンとした顔で答える。

「だな……あまりの変わり身の速さに、ちょっと脳内処理が追いついてない」
「同意しかない」

 抱き締め合ったまま、どちらからともなく頬を緩ませていき。

「……ぷ……っ、見た? あのなっさけない顔!」
「勿論! 笑い出さないようにするので必死だったんだ」
「わかる、俺も……ふふ、あはははっ」

 ハリボテで作られていた颯真くんの虚栄は、全て剥がされて情けないだけの男の姿が浮き彫りにされた。散々怖がらされたのに正体はあれかと思うとなんだかおかしくて、俺は腹が捩れるんじゃないかという勢いで笑い出す。

「ヤッバ……! ひひっ、あはははっ!」

 誠にも俺の笑いが伝染したのか、結局は二人で涙が滲むまで笑いに笑った。

「くく……っ、あー笑った……!」

 目尻に溜まった涙を指で拭いていると。

「……あ、あの、来」

 誠が突然、緊張したような声を出してきた。俺の背中には、まだ誠の腕が絡みついたままだ。

「ん?」

 顔を上げると、そこには思っていた以上に真剣な眼差しをした誠の顔があった。

「さ、さっきのキス……っ、い、嫌じゃなかったか……?」

 ドクンと心臓が飛び跳ねる。

「えっ!? ぜ、全然だよ! むしろ誠ってばキスうますぎ! もうドキドキしちゃっただろっ」

 友達としてでも、ここまでくらいなら許されるかな。変な汗を掻きながら笑顔で答えたけど、誠の表情は真剣なままだ。……あれ?

 俺の愛想笑いが、消えていく。

「ま、誠……?」
「ぼ、僕……っ、その、クソ野郎の件が片付いたらその、伝えようと思っていたことがあって……!」
「伝えようと思っていたこと……?」

 心臓が、期待で高鳴った。今にも口から飛び出しそうな勢いで跳ねていて、息苦しい。

 誠が、意を決したように大きくひとつ頷いた。

「来!」
「は、はいっ」
「僕は来のことが好きです! よよよよければ僕の、こ、恋人になってもらえませんかっ!」

 誠の顔は真っ赤になっていて、瞳は潤んでいる。今すぐ返事をしなくちゃ涙が溢れちゃうんじゃないかと心配になった俺は、頭の中が半分白くなった状態で早口で返した。

「よっ、喜んで! ていうか俺も誠が好きだったっていうか、でも誠は女の子が好きなのかと思ってその、あのっ、俺でいいの!?」

 緊張気味だった誠の顔に、安堵からか笑みが広がっていく。

「や……やったあ……! 来がいい! ていうかひとめ惚れだったし、どんどん好きになっていったし、来は男とか女とか超越してる僕にとって最高の存在だしっ」
「さ、最高って、そんなっ、あは、あははっ」

 その時、誠の親指が俺の下唇に伸びてきた。誠は愛おしそうに目を細めながら、頬を緩める。

「……言っただろ。来と出会った日が僕の人生最良の日だって」
「誠……」
「あ、でもこれから最良の日は日々更新されてく予定だけどな? とりあえず今日は天元突破した。両思いだったらいいなあと思ってたけど、まさか本当にそうだとは……ヤベ、ニヤケが止まらないかも」

 誠が年相応の照れ顔になった瞬間、俺の中で「誠大好き」メーターがガン! と天井をぶち抜いた。

 両手を、誠の頬に伸ばして挟む。

 目を丸くしている誠の顔を引き寄せると、俺自身はできるだけ背伸びをして、顔を近付けていった。

 葉桜が鮮やかな影を落とす、静かな中庭で。

 俺と誠の影はひとつになり、背伸びしている俺のふくらはぎが震えて限界がくるその時まで、ずっとひとつになったままでいた。