凛人さんの後ろ姿を見送った後、俺と誠はどちらからともなく顔を見合わせた。

 これまたどちらからともなく微笑み合うと、「あの――」と二人同時に口を開き言葉が重なる。

「あ、誠からいいよ!」
「いや、来からで」

 互いに譲り合っていると、そこに別の声が飛び込んできた。

「――来!」
「え」

 颯真くんが、地面にお尻を突いたままの体勢で俺を見つめている。……あ、すっかり存在を忘れてた。

 颯真くんは四つん這いになって思わぬスピードで俺の足元までやってくると、突然ガバッと俺の右足に腕でしがみついてきた。な、何やってんのこの人!?

「は、離せよ!」
「来っ、やっぱり俺には来しかいなかったんだ!」

 颯真くんが、自分に酔っているかのように頬を俺のジーンズに擦り付けてくる。ゾゾゾッと鳥肌が立った。

「ちょ、やめ……っ、何を言――」
「だって来は俺の為に自分磨きをしてくれたんだろ!?」
「!!」

 それは事実だった。俺は確かに颯真くんにまた好かれる為にどこにでもいそうな高校生から脱皮したくて、頑張った。だけどそれをこの場でそうだと答える気には、どうしたってなれない。

 俺が黙ったのをいいことに、颯真くんが調子づく。

「ほら、来は俺のことがまだ好きなんだよ! な、俺も今度こそ心を入れ替えるから! もう他の奴に目移りなんてしないよ! だって来はもう芋くさい高校生じゃないもんな!?」
「……は? 芋くさい高校生……?」

 嘘だろ。散々人のことを可愛いだなんだ言ってきておいて、俺のことを芋くさい高校生だと思ってたってことか?

 最早こいつに何を言われたところで絶縁一択なんだけど、これはさすがにあの頃の純粋にこいつを慕っていた俺があまりに可哀想すぎないか。

 ブチ……ッと、最後まで残っていた微かな情けの気持ちが、見事に引き千切れる音が聞こえた気がした。

 ……ふ、ざ、け、ん、なあああっ! ありきたりな高校生ファッションだっただけで、芋くさいってほどではなかったからな!? こいつよく本人を目の前にしてそんなことが言えるな!? その神経のほうが芋くさいわ!

 一瞬で怒りの感情に包まれた。だけど颯真くんは失言には気付かないまま、悪びれもせず続ける。

「来は原石だったんだよ! ほら、磨いたら今はこんなに輝いているじゃないか! それもこれも全部俺の為だもんな!?」
「違うし……っ! ああもう、離せよ!」

 足を揺らしても引いても、颯真くんがしがみついてきて離れない。笑顔なのもキモいし、ポジティブシンキング過ぎるのも本当に無理だ。もうマジで今この瞬間絶縁したい。

「来っ、俺はこの先来を大切にすると誓うっ」
「ひ……っ!」

 あまりの会話の通じなさ具合に、俺が泣きそうになった次の瞬間。

 心底呆れたような冷笑が聞こえてきた。

「ふ……っ。――あんたさ、脳内で随分と都合のいいお花畑が咲いてるな?」

 そう言いながら俺の肩を抱いた誠は、声と同じく、冷め切った目つきで颯真くんを見下ろした。

「誠……っ」

 俺は安堵のあまり、よろけてしまった。すると誠が俺を「危ね……っ。こっちこいよ」と抱き寄せる。

 俺との会話に割り込まれたか、お花畑と言われたからか、はたまたその両方からか、とにかく颯真くんはカチンときたらしい。醜く歯茎を剥き出しにすると、言い返してきた。

「お、お前なんなんだよ!? あっ! まさか凛人狙いだったのか!? へっ、あんなお古でよけりゃあいつだって、」

 お古。あまりの言いように、開いた口が塞がらない。そんなことを言ったら、俺だって颯真くんのお古になってしまう。

 ……この人は、自分以外は人間扱いすらしていないんだってことがよーくわかった。こんなのに青春の貴重な時間を費やしたのかと思うと、自分のあまりの人を見る目のなさに悲しくなってくる。

 俺の頭が項垂れた、その時だった。

「――黙れよ」
「え」

 決して大きくはない声だったけど、誠の声には有無を言わさない迫力が込められていた。

「自分の都合のいいようにしか考えられねえ哀れなオツムのあんたにもわかるよう、見せてやるよ」
「な、ななな……っ」

 怒りからか、颯真くんが唇を戦慄(わなな)かせる。

「来、こっち向いて」

 呼ばれたので素直に顔を上げて誠を見上げると、誠は空いているほうの手で俺の顎を軽く掴んだ。

 いつもよりどこか緊張したような誠の顔が近付いてくる。どうしたんだろう? と思った直後。

「――!?」

 俺と誠の唇は重なり合っていた。

「まこ……ん……っ」

 顎にあった誠の手が優しく首に移動してきて、俺の耳と後頭部を覆う。大きくて温かくて、触れられていると気持ちいい。

 ただ重ねられていただけの唇の間から、誠の舌がするりと口の中に入り込んできた。俺は内心「えっ!? ど、どういうこと!?」と大いに焦る。でも誠にキスされていることが嬉しくて、キャンパスにいることも颯真くんに右足を掴まれたままでいることも次第に忘れていった。

 ここだけ切り取られたような静かな空間に、俺たちのキスの音だけが響き渡る。

 誠は何度も角度を変えては俺の口を貪り続けた。……気持ちいい。キスってこんなにいいものだったんだ。颯真くんはキスすら自分勝手だったんだなあと、誠のキスで初めて気付いてしまったよ。

 いつの間にか、とろんとしてして身体を誠に委ねていた。俺を抱き抱えるように上からキスをしていた誠が、ゆっくりと顔を離していく。

 誠の目には見たことがないくらい熱が篭っているように見えた。綺麗な顔が、艶やかに笑う。

「――来、顔真っ赤。可愛い」
「ま……まこ……」

 このキスはどういうことだと、聞きたかった。だけど頭の芯がジンジン痺れたような幸福感に襲われていた俺は、息も絶え絶えに呟くことしかできなかった。

 俺の後頭部を支えている大きな手の親指で、誠が愛おしげに俺の下唇を撫でる。

「――後でな」
「う、うん……」

 誠は目元だけにこりとさせた後、一瞬で温度のない目つきに変わった。