「ふぅ~~~~」
あたしは長い溜息をついて、自室のベッドにゴロンと寝転んだ。
ナトル防衛戦から数日がたち、先生の宿屋「親父亭」はふたたび活気を取り戻しつつある。
悔しいけどリエナは、人気だし接客もうまい。
魔導人形のセラは、見た目も可愛らしいうえに料理もうまいし、というかなんでも出来る。
あたしはと言えば……
また失敗してしまった……
お客の荷物をぶん投げてしまった。ちょっと横に動かそうしただけなのに。
あと、客室のドアノブをねじり切ってしまった。見知らぬ人前だと緊張して力加減が難しいのだ。
だいぶ慣れてきたとは思う。最初の頃は全てのドアノブをねじり切っていたから。今日は1個だけだ。
でも、先生は褒めてくれる。
―――今日は2組目の客にしたアイサツが最高に良かったとか。あの時のお辞儀の角度が良かったとか。
とにかく褒めてくれる。あの人は褒めることを常に探してくれる。
あたしは8歳のときに先生と出会った。
それまでのあたしの生活は地獄だった。今思い出しても震えが全身をめぐる。
実の両親が死んでから、第二夫人の義母があたしの家を取り仕切るようになった。
第一夫人の娘であるあたしが疎ましかったのだろう。
毎日怒られた。
毎日殴られた。
一度も褒められたことなどない。
ある日、義母が大事にしていた花瓶を割った。というか義母の娘が割ったのだが、あたしがしたことにされていた。
―――そしてその日を境に閉じ込められるようになった。
あたしの顔など二度と見たくないという理由らしい。
まったく日の光が入らない部屋。
完全な闇……
何度も出してくれと泣いたが、無駄だった。
誰も助けに来ない暗闇……泣こうが叫ぼうが誰も来ない闇……
そんな日々が数年続いた。
あたしの精神はズタズタになっていく。
だが事態は急変した。屋敷が火事になり、あたしは奇跡的に助かり外に出ることになる。
トラウマの元凶である義母は火事で亡くなった。
そして、叔父とあてのない旅がはじまり、最終的に先生の宿屋に流れ着くことになる。
叔父はすぐに亡くなってしまったが、先生はあたしを宿屋に置いてくれた。
当初のあたしは人と話すことすらできない本当に陰気な娘だった思う。
しかし先生は常にあたしを認めてくれた。些細な事でも褒めてくれるのだ。
【闘気】の訓練を始めた時もまったくうまくできなかった。でも毎日毎日褒めてくれる先生。
時が経つにつれてある程度、他人と会話もできるようになり、【闘気】も随分と扱えるようになった。
―――だが、「暗闇」だけはどうしてもダメだった。
怖い……
身体が震えて動けなくなる……
16歳の時に騎士団からスカウトされる。当時の副団長が先生の友人で、たまにあたしの訓練を見ていたらしいのだ。
……本当は行きたくなかった。
先生と離れるのは凄く嫌だった。
だけど、このままでは前進できない。だから思い切って騎士団へ入団した。何かが変わることを期待して。
あたしは騎士団でメキメキと頭角を現す。8歳から先生に【闘気】を教わっていたおかげだ。
先生は誰でも使えるなんて言ってたが、そんな人は騎士団には1人もいない。次第に【闘気】をまとうあたしの剣に敵う人はいなくなっていった。
そして、たった1年で騎士団長になり、さらに1年後に史上最年少の剣聖という称号を得た。
……でも
それだけだった。
あたしの本質は変わらない。「暗闇」が怖い。
もちろん剣聖への道のりが楽なものだったわけではない。
なんども挫けそうになったし、騎士団宿舎から逃げ出したこともある。
自分で言うのもなんだが、かなり頑張ったと思う。いや、死ぬほど頑張ったと思う。
それでも……
やはり「暗闇」におびえる日々は続いた。
ひとたび震えが始まると、思考が停止するほどに体が竦む。
団長になってからは、夜間行動は出来る限り避けた。それでもやらなければいけない時は、適当な理由をつけて魔法が使える部下に照明魔法を上げまくらせた。もう昼間かってぐらい。
しかし今回の戦いでは少し前進できたかと思った。
暗闇でも立ち上がることが出来た。全力は無理にせよ暗闇に抗えた。でもそれだけだった。
その日の夜は灯りを消すことが出来なかった。昨日も今日も試したがまったく出来なかった。
今もあたしの部屋には灯りが所狭しと置かれている。他人が見たら異常とも思われるほどの数、いつも通り……
―――結局なにも変わらなかった。
勢いで先生を追いかけてきたが、宿屋の仕事もできない。
「暗闇」に対する恐怖心も変わらない。
今日も煌々と照らされた自室で、うずくまっていると―――ノックの音がする。
「先生……」
「やあアレシア~! じゃ~ん! これをみよ!」
先生が嬉しそうに小さな布袋をあたしに差し出してきた。
なんだろう?
「ふっふ~、給料だぞ! よく頑張った、お疲れさん!」
ええ? 給料? 先生は何を言っているんだろう? あたしはほとんど役に立っていない。
今も教えてもらったり、フォローされてばかりだ。実質、先生とリエナやセラがこの宿屋をまわしている。
「え……でもあたしはみんなとは違って何も役に……」
思わず心の声が漏れ出てしまう。
「ん? どうした? アレシアも立派なうちの従業員だぞ? 賃金を受け取るのは当然だろう」
給料袋を受け取ったあたしは何故か自然と口が開いた。
「先生……あたし、どうしても暗闇に勝てなくて。今回も助けられて……」
何故だろう、こんなことを先生に言うつもりはないのに勝手に言葉が出ていく。
「こんな情けない弟子は嫌いですよね……」
「アレシア? 何を言ってるんだ?」
先生の言う通りだ。あたしは何を言っているんだ。成長できてない事の報告なんか聞かされても、先生は呆れるだけだ。
「いや、あれは頑張りすぎだぞ!」
え? なにを……? 頑張った?
「俺は見てたぞ、アレシアは苦手な暗闇で剣を振るってたじゃないか。もうあれヤバいぞ」
そうなの? いや? え?
でも先生は本気で言っている。目を見ればわかる。
「やはり弟子は見ないうちに成長しまくってしまうものなのか……昔のアレシアではないんだな……」
―――なぜ先生の方が落ち込む!?
「ふふっ……」
あ、なんか笑ってしまった。
「どうした、そんなに初給料が嬉しいのか? 剣聖の時みたいな給与は無理だからな。いくら貰ってたのか知らんけど」
なんの不足があるの……じゅうぶんすぎる……
先生の手を取って、まっすぐに視線を合わせた。
「あたし、ここにいてもいいですか?」
「ええ? いたけりゃ気のすむまでいろ。ここをおまえの帰ってくる場所にしたいならそうしろ。そんな当たり前の事聞くんじゃない」
そして先生はもう一言付け加えた……
それにおまえはもう、宿屋「親父亭」の必要不可欠な立派な従業員だよ―――と。
ああ、やっぱり先生は先生だ。
そうだった、ずっとそうじゃないか。先生は絶対にあたしのことを認めてくれる。先生の事をわかっているはずなのに……
あたしは目頭が熱くなるのを必死にこらえて鼻をすすった。
―――え?
先生! どんな顔してるんですか!?
「まさか……やはり俺、臭っているのか!?」とブツブツと呟きながら絶望的な顔をしている!?
なんのこと?
そういえば先生はやたらと白ティーシャツを気にする。好きなんだろう。
明日は王城にみんな呼ばれている。おそらくは恩賞の話だろう。恩賞金が出たら、今度新しい白ティーをいっぱい買ってこよう。
山のように買うんだ。大好きな先生の笑顔をみるために。
後日アレシアに山のような白ティーを渡されて、「ガーン……臭うから毎日新品を着ろと……」そんな勘違いしたオッサンが本格的に落ち込んだのはまた別のお話。
あたしは長い溜息をついて、自室のベッドにゴロンと寝転んだ。
ナトル防衛戦から数日がたち、先生の宿屋「親父亭」はふたたび活気を取り戻しつつある。
悔しいけどリエナは、人気だし接客もうまい。
魔導人形のセラは、見た目も可愛らしいうえに料理もうまいし、というかなんでも出来る。
あたしはと言えば……
また失敗してしまった……
お客の荷物をぶん投げてしまった。ちょっと横に動かそうしただけなのに。
あと、客室のドアノブをねじり切ってしまった。見知らぬ人前だと緊張して力加減が難しいのだ。
だいぶ慣れてきたとは思う。最初の頃は全てのドアノブをねじり切っていたから。今日は1個だけだ。
でも、先生は褒めてくれる。
―――今日は2組目の客にしたアイサツが最高に良かったとか。あの時のお辞儀の角度が良かったとか。
とにかく褒めてくれる。あの人は褒めることを常に探してくれる。
あたしは8歳のときに先生と出会った。
それまでのあたしの生活は地獄だった。今思い出しても震えが全身をめぐる。
実の両親が死んでから、第二夫人の義母があたしの家を取り仕切るようになった。
第一夫人の娘であるあたしが疎ましかったのだろう。
毎日怒られた。
毎日殴られた。
一度も褒められたことなどない。
ある日、義母が大事にしていた花瓶を割った。というか義母の娘が割ったのだが、あたしがしたことにされていた。
―――そしてその日を境に閉じ込められるようになった。
あたしの顔など二度と見たくないという理由らしい。
まったく日の光が入らない部屋。
完全な闇……
何度も出してくれと泣いたが、無駄だった。
誰も助けに来ない暗闇……泣こうが叫ぼうが誰も来ない闇……
そんな日々が数年続いた。
あたしの精神はズタズタになっていく。
だが事態は急変した。屋敷が火事になり、あたしは奇跡的に助かり外に出ることになる。
トラウマの元凶である義母は火事で亡くなった。
そして、叔父とあてのない旅がはじまり、最終的に先生の宿屋に流れ着くことになる。
叔父はすぐに亡くなってしまったが、先生はあたしを宿屋に置いてくれた。
当初のあたしは人と話すことすらできない本当に陰気な娘だった思う。
しかし先生は常にあたしを認めてくれた。些細な事でも褒めてくれるのだ。
【闘気】の訓練を始めた時もまったくうまくできなかった。でも毎日毎日褒めてくれる先生。
時が経つにつれてある程度、他人と会話もできるようになり、【闘気】も随分と扱えるようになった。
―――だが、「暗闇」だけはどうしてもダメだった。
怖い……
身体が震えて動けなくなる……
16歳の時に騎士団からスカウトされる。当時の副団長が先生の友人で、たまにあたしの訓練を見ていたらしいのだ。
……本当は行きたくなかった。
先生と離れるのは凄く嫌だった。
だけど、このままでは前進できない。だから思い切って騎士団へ入団した。何かが変わることを期待して。
あたしは騎士団でメキメキと頭角を現す。8歳から先生に【闘気】を教わっていたおかげだ。
先生は誰でも使えるなんて言ってたが、そんな人は騎士団には1人もいない。次第に【闘気】をまとうあたしの剣に敵う人はいなくなっていった。
そして、たった1年で騎士団長になり、さらに1年後に史上最年少の剣聖という称号を得た。
……でも
それだけだった。
あたしの本質は変わらない。「暗闇」が怖い。
もちろん剣聖への道のりが楽なものだったわけではない。
なんども挫けそうになったし、騎士団宿舎から逃げ出したこともある。
自分で言うのもなんだが、かなり頑張ったと思う。いや、死ぬほど頑張ったと思う。
それでも……
やはり「暗闇」におびえる日々は続いた。
ひとたび震えが始まると、思考が停止するほどに体が竦む。
団長になってからは、夜間行動は出来る限り避けた。それでもやらなければいけない時は、適当な理由をつけて魔法が使える部下に照明魔法を上げまくらせた。もう昼間かってぐらい。
しかし今回の戦いでは少し前進できたかと思った。
暗闇でも立ち上がることが出来た。全力は無理にせよ暗闇に抗えた。でもそれだけだった。
その日の夜は灯りを消すことが出来なかった。昨日も今日も試したがまったく出来なかった。
今もあたしの部屋には灯りが所狭しと置かれている。他人が見たら異常とも思われるほどの数、いつも通り……
―――結局なにも変わらなかった。
勢いで先生を追いかけてきたが、宿屋の仕事もできない。
「暗闇」に対する恐怖心も変わらない。
今日も煌々と照らされた自室で、うずくまっていると―――ノックの音がする。
「先生……」
「やあアレシア~! じゃ~ん! これをみよ!」
先生が嬉しそうに小さな布袋をあたしに差し出してきた。
なんだろう?
「ふっふ~、給料だぞ! よく頑張った、お疲れさん!」
ええ? 給料? 先生は何を言っているんだろう? あたしはほとんど役に立っていない。
今も教えてもらったり、フォローされてばかりだ。実質、先生とリエナやセラがこの宿屋をまわしている。
「え……でもあたしはみんなとは違って何も役に……」
思わず心の声が漏れ出てしまう。
「ん? どうした? アレシアも立派なうちの従業員だぞ? 賃金を受け取るのは当然だろう」
給料袋を受け取ったあたしは何故か自然と口が開いた。
「先生……あたし、どうしても暗闇に勝てなくて。今回も助けられて……」
何故だろう、こんなことを先生に言うつもりはないのに勝手に言葉が出ていく。
「こんな情けない弟子は嫌いですよね……」
「アレシア? 何を言ってるんだ?」
先生の言う通りだ。あたしは何を言っているんだ。成長できてない事の報告なんか聞かされても、先生は呆れるだけだ。
「いや、あれは頑張りすぎだぞ!」
え? なにを……? 頑張った?
「俺は見てたぞ、アレシアは苦手な暗闇で剣を振るってたじゃないか。もうあれヤバいぞ」
そうなの? いや? え?
でも先生は本気で言っている。目を見ればわかる。
「やはり弟子は見ないうちに成長しまくってしまうものなのか……昔のアレシアではないんだな……」
―――なぜ先生の方が落ち込む!?
「ふふっ……」
あ、なんか笑ってしまった。
「どうした、そんなに初給料が嬉しいのか? 剣聖の時みたいな給与は無理だからな。いくら貰ってたのか知らんけど」
なんの不足があるの……じゅうぶんすぎる……
先生の手を取って、まっすぐに視線を合わせた。
「あたし、ここにいてもいいですか?」
「ええ? いたけりゃ気のすむまでいろ。ここをおまえの帰ってくる場所にしたいならそうしろ。そんな当たり前の事聞くんじゃない」
そして先生はもう一言付け加えた……
それにおまえはもう、宿屋「親父亭」の必要不可欠な立派な従業員だよ―――と。
ああ、やっぱり先生は先生だ。
そうだった、ずっとそうじゃないか。先生は絶対にあたしのことを認めてくれる。先生の事をわかっているはずなのに……
あたしは目頭が熱くなるのを必死にこらえて鼻をすすった。
―――え?
先生! どんな顔してるんですか!?
「まさか……やはり俺、臭っているのか!?」とブツブツと呟きながら絶望的な顔をしている!?
なんのこと?
そういえば先生はやたらと白ティーシャツを気にする。好きなんだろう。
明日は王城にみんな呼ばれている。おそらくは恩賞の話だろう。恩賞金が出たら、今度新しい白ティーをいっぱい買ってこよう。
山のように買うんだ。大好きな先生の笑顔をみるために。
後日アレシアに山のような白ティーを渡されて、「ガーン……臭うから毎日新品を着ろと……」そんな勘違いしたオッサンが本格的に落ち込んだのはまた別のお話。

