久しぶりに念入りにメイクをしてこのために買った服に袖を通す。部屋の中、鏡の前少し上がる口角。
「まだいけるじゃない」なんて呟いては急に恥ずかしくなり誰も聞いていないのに「なしなし、いまのなし」と両手を揺らす。

 もえちゃんと待ち合わせ当日、もえちゃんにお土産を買った。それは赤と青のパッケージのハンドクリーム、私とおそろい、青をもえちゃんへ。

「今日泊まらない?」と言い出したのは私だった。「家狭いけどよかったら、そしたら夜ゆっくり話せるし」と。

 もえちゃんは「いいんですか?」と喜んでくれた。これで全然違うおじさんとか来たらどうしようと待ち合わせまで不安だったけど、現れたのは二十三歳にしては少し幼く見える可愛らしい今風の女の子だった。すぐに分かった。だって鞄にソウタくんのアクスタをつけていたから。

「もえ……ちゃん?」
「すずねぇ?」

 スマホ片手に探るような会話。会えたことがわかるとふたり同時に破顔した。

「よかった、無事会えて」
「すずねぇイメージどおり!」
「ええ? どういうイメージ?」

 あははとふたりの笑い声が改札口の前に響く。

 敬語禁止と言ったのは私。その方が距離が近くなれる気がしたから。

「これお土産、地元でしか売ってないお菓子! しかも見て! これ、赤」

 そう言ってもえちゃんは弾けるように笑う。

「ありがとうー! あ、私からもこれ、はい! もえちゃんには、もちろん青!」

「うわー、嬉しい」
「しかもこれ私とおそろい、私のはもちろん」

 そこまで言うとふたり同時に言葉が出た。

『赤!』

 楽しくて涙が出るほど笑った。こんなの何年ぶりだろう? 苦しくて辛くて出口の見えない日々が続いた。もうこの先はいいことなんてなくていいから、なるべく悪いことが起きないようにと願っていた。だけどこんなにいいことがあるなんて、この後にまたくる悪いことが心配と言ったらもえちゃんは「もう起きちゃった悪いことの分のいいことがこれなんだよ」と言ってなるほどと妙に納得した。


「でも、私たちの幸せはここからが本番!」
「だね、もうドキドキする、初めてソウタくんに会える」
「私もキョウくんに会えるの初めてだよ、震えてきた」

 会場の前には同じようなファンがたくさんいて、赤、青、オレンジ、ピンク、緑、色とりどりの世界が広がっていた。それは幻想的で異世界に迷い込んだみたいだ。

 赤い太陽が徐々に落ち、青い空がオレンジに変わる。私たちは会場内へ向かった。

 中に入るとこちらはもっと異世界のようにペンライトが黒い空間にまたたいている。もう踏み込んだら戻れない、そんな御伽の世界に踏み込んだような気分になった。そしてもう戻りたくない、とも思った。

 席はよくはなかった。かといってすごく悪くもなかったけど、全体が見渡せるいい席だったと思う。前方の方の席を見る。

「あの通路みんな歩くのかな?」
「えー、やばいね、あんな近くでソウタくん見たら私倒れちゃうよ」
「ね、ほんとだよね」

 なんて話してたけどそんな近くで見てみたい気もした。もえちゃんはそんなにいい席じゃないこの席に気を遣ってくれたのかなと思う。やっぱりもえちゃんに返信をして正解だったと過去の自分を褒めた。

 会場内、ゆっくりと暗転をする、急かすように上がる歓声、焦らすように始まるモニターのカウントダウン。

 私は息をするのも忘れていた。ただ涙が止まらなかった。こんな世界に連れてきてくれてありがとう。そんな気持ちだった。