「こんなところにいたのか、白梅」
聞きたくなかった声が、した。恐怖の声。白梅が手に入れた、彼女を絶対女王に仕立て上げる究極の道具。

……そんな、まさか。いや……白梅がいるなら、きっとその鬼もいるはずなのだ……!白梅を見つけたその瞬間に逃げるべきだった……っ!

あの恐ろしい鬼に見つかったら、何をされるか分からない……!

脳裏をよぎるのは、やはりあの優しい鬼の顔。どうしよう……。助けを呼ぶべきか。今からでも大声を出すか……っ!?

しかしそんなことをすれば今度はあの優しい鬼が、この鬼に何をされるか分からない……っ!この屋敷のみんなもだ。

「あぁ……!金雀児……っ!」
声を聞き、私の手首をさっと放り出した白梅は、暗闇から姿を見せた美しい鬼に飛び付くように抱き付いた。

「アリスが……っ!アリスがこんなところにまで追ってきたの!あぁぁぁっ!また私を虐めるためだわ……っ!私が鬼の花嫁になって、幸せになるのを妬んでいるのよおぉぉっ!!あぁ……恐い。恐いのおぉぉっっ!!今もまた、私の頬をぶって、手首を強く掴んで締め付けて……っ!ううぅ、血が滲んでるわ……。痛い……痛いわ金雀児、助けてえぇぇ……っ!!!」
それは全て白梅がやったことだと言うのに。白梅の頬も、白くか細い腕には何の跡もない。私の頬や手首は未だヒリヒリする。

だがその鬼が、金雀児がそんな跡が白梅に本当に刻まれているかを気にすることはない。確かめもしないのだ。彼にとっては、白梅が言うことだけが全てだから。……だからこそ。

「この、生意気な人間の小娘が!こんなところまで幸せの絶頂である白梅を追ってきて、さらにまた痛め付け、怪我をさせて虐めるとは!!この悪女め!この私の最愛の花嫁、白梅を傷付けるものは、例え人間であろうが許しはしない!」
金色の髪に鬼角を持つ美貌の鬼が、アメジストの瞳の中の縦長の瞳孔をさらに細く鋭くしながら、怒りの形相を向けてくる。

その腕の中には、ふるふると震えて涙を流す白梅。目からは涙が流れているのに、その唇はほんのりほくそ笑んでいた。

「あぁ……っ。金雀児、きっとアリスはお優しいイグリさまを脅して、騙して、そのお力を不正に使ってこんなところにまで潜り込んだんだわっ!」
目尻に涙を溜める白梅。その涙を先程からどうやって出してるのか……そんなこと知るわけがないが。

だがイグリこと、お兄ちゃんは白梅の現し世でよ祝言のために護衛としてずっと付き添っていたはずだ。そのためお兄ちゃんはずっと不在だった。

私はお兄ちゃんと今日、会ってすらいない。帰ってきてすらいない。そそんなことをできるはずがないだろう。
そして金雀児はお兄ちゃんが私と会えるはずもない矛盾を考えもしない。

その原因と言うか発端は、紛れもないこの白梅であると言うのに。

この女、白梅はーー自分が悲撃のヒロインとして、男の気を引くためには何でもする。

それも面食いだし。金雀児と言う婚約者がずっといたのに、イケメンを見つければすかさず侍らせた。

テレビで見かけるイケメンアイドルがほしいと言い、城と言う名の豪邸に連れ込み豪遊していることを周りに自慢していた。

そのアイドルは突然電撃引退していたから、つまりは白梅のために金雀児が圧力をかけて引退させ、仕入れたのだろう。

それでも金雀児は気にせず白梅を溺愛し、寵愛し、狂ったような愛を注ぐ。


しかしそんな白梅絶対女王制の誘惑と悲撃のヒロイン芝居に唯一靡かなかったのがお兄ちゃんだ。

お兄ちゃんは、私が白梅を虐めると言う嘘を信じるどころか興味も持たなかった。

私がそんなことをするはずがない。躊躇いもなくそう吐き捨てて、すぐに私の元に来てくれた。

私が怪我をすれば白梅から庇ってくれたし、白梅は自分が怪我をさせられたと主張したが、その肌には何の傷もないことを言い当てた。

そんなお兄ちゃんに、白梅は気持ち悪いほどに執着した。
自分に靡かなかった唯一の男の、お兄ちゃんを……。

けれどどんな権力を使おうが、両親をろう絡しようがお兄ちゃんを攻略することは不可能だったのである。

鬼の婚約者がいながら、それに満足せず。世のイケメンは全て自分の物だと手を出した。

とっかえひっかえ男に手を出し、攻略……いや、意思を奪い自我を奪い、人形として囲ってきた白梅が唯一手に入れられなかった男が、お兄ちゃんである。

そしてその鬱憤をぶつけるため、お兄ちゃんを手に入れるために虚言妄想を繰り返した。

しかしお兄ちゃんがそれを信じなかったからこそ、お兄ちゃんがいない時を狙ってこの鬼にチクり、罰を与えた。

白梅はこの鬼の花嫁になる立場を利用し、コネを使って無理矢理仕事を入れさせるなんてことまでしたのだ。
退魔師協会も白梅が鬼を使ってあれこれ要求するのにかなり迷惑していたようだ。

しかし彼らも、現し世の人間を守るために、鬼との関係をよく保つ必要がある。

だからこそお兄ちゃんが無理な依頼に駆り出されないといけないこともあった。

そしてお兄ちゃんへの徹底的な口止めも私に強要してきた。

さらにこの金雀児と言う鬼は……白梅が男に手を出すことも、現し世の人間たちにも愛されている最高の花嫁としか思っていない。

白梅はその美貌とカリスマ性ですべてを自分のものにしてきた。お兄ちゃんと私以外は、両親ですら自分のものにした。

誰にでも人気な愛されるプリンセス。いいや、もはやクイーン・白梅。

中には白梅の異常性を見抜き私の味方になってくれようとするひともいたけれど、ひとり、またひとりと、私の周りからいなくなった。

それもきっと、この鬼の力を使ったのだ。お兄ちゃんだけはなんともできなかったようだが。

さすがに退魔師の居住地を隔り世の鬼がどうにかしようとするのは、行きすぎた行為だったらしい。

金雀児の、吐き気がするような花嫁への絶大なる信頼。自信。寵愛。

――――――なんと愚かな生き物なのだろう。あの鬼ならば、そんなこと……。

むしろあの変態兄をリスペクトしようとした変態である。

助けを呼びたいが、その名を知らない。呼びたくても呼べない。……彼は私の名を知っていたのに。