「ん……。うぅん、今……何時?」
――――だろうか。ゆっくりと身体を起こせば、お布団の上にはすやすや眠るもふもふ天使ちゃんたちとねゃんこたち。……かわいすぎる。

「おしゃかにゃぁ……」
まふゆくんの寝言がかわいい。
「ねこ……まみれにちてやる……にゃぁっ」
みふゆちゃんもかわいすぎる……!

……それは、ぜひしてもらいたいと思ってしまった。

そして……

「まあぁぁぐろぉぉぉにゃぁぁぁぁ~~~~あぁ~~……っ」
びっくーん。
猫又ちゃんの寝言に飛び上がるほどビックリした。
猫又ちゃんも……マグロ好きなのかな?

さて、時計は……。
きょろきょろと周りを見渡せば……。

「……21時」
枕元のねこ型目覚まし時計は、夜遅い時間を指していた。

少し、お腹空いたな。
今夜は宴だけれど、厨房を覗いたら何か貰えるだろうか。アンズさんとふゆなさんが、あとでお粥を用意してくれるって言ってたし。

「よし……もらいに行こう」
ちびちゃんたちを起こさないようにゆっくりとお布団から立ち上がり、静かに襖を開け閉めする。

「……どっちかな」
よく分からないけれど、誰かには会うだろう。
部屋の外に用意されていた二組のもこもこルームスリッパ。ひとつが黒で、もうひとつがグレーである。

――――――黒、か。何となく黒を選んだ。どうしてか、黒い色に夕焼け色を足したくなってしまう。少なからず、あの鬼を意識しているって、ことなのかな……?

しゅたっしゅたっと冷えた廊下を進む。ルームスリッパの滑り止めの音が、がらんとした日本家屋の廊下に響く。ここら辺は壁にキャットタワーが無いんだな……。

先ほどまでの場所とはちょっと違う……。

暫くすれば、声が聞こえてくる。
宴の、声かな?

そう言えばお兄ちゃんが言っていたな。鬼やら妖怪は宴が好きで、酔っぱらったらたちが悪いと。

なるべく酔っぱらった鬼や妖怪たちに会わないようにしないと。

「厨房は、どこだろう……」
きょろきょろと周りを見渡す。思えば、案内された部屋も数部屋。

屋敷の中のことなどほとんど知らない。その上、上空から見下ろした屋敷は……とんでもない規模だった。きっと中も広いに違いない。迷子になったらどうしよう。

よく知らない屋敷で、ひとりで出歩いて探そうと言うのは、無謀であっただろうか……。

もと来た道を戻ろう……。そう諦めて踵を返そうとした時だった。

不意に……しゃりっ、しゃりっと足音が響く。私のような裸足ではない。足袋を履いているような、布の擦れる音である。

――――――嫌な、予感がする。

「……っ?」
誰?と問おうとした時、暗がりの先からその人物の顔が覗く。

「あんた……アリス……っ!」
「……白梅」
長い艶のある黒髪に、繊細な睫毛が彩るアーモンド型の黒目。派手な刺繍の着物に身を包みながら、長い黒髪は編み込まれ、そこにアクセサリーをいくつもちりばめている。

人間ではあるが、美男美女揃いの鬼に引けをとらない美女である。

そんな彼女は幼い頃からその美しの片鱗を見せつけ、美男美女揃いの鬼に選ばれたそうだ。それも鬼たちを始め、妖怪たちのトップにすら君臨する鬼の頭領の花嫁に。

そしてつい先日、めでたく祝言を挙げた。それは花婿である鬼の頭領がその権力と契約により認めさせたと言うものだったが……。

実はついさっきまで隔り世では16歳で花嫁をこちらに連れて来られるのだった。まぁ、契約や権力も現し世的には必要なのかもしれないが。

そして今夜は隔り世側での婚姻を祝した宴会が行われていたのだ。主役だからこそ、宴会場にいてこんなところに来ないとは思っていた……。

こう言う自分が注目されることが大好きな彼女である。祝言の宴何て言う、自分が主役の大イベントだ。だからこそ自ら出てくることはないと踏んでいたのだ。

でも、甘かった……。
部屋で大人しく待っていれば良かっただろうか。
逆方向に進んでいれば良かっただろうか。

どうしてこう、肝心なところで一番遭いたくない人物と遭遇してしまうのだろう。

「その醜い声で、私の名前を呼ばないでちょうだい!」
ドタドタ足音を響かせながら、遠慮もなく近付いて来た白梅が目を吊り上げ、歯をキリキリと食い縛らせながら、おもむろに手を振り上げる。

――――――来る。

私は目を瞑った。刹那ーー

パシィンッ

頬を鈍い痛みがピリッと駆け抜ける。
逃げれば、もっと苛烈になる。逃げたらどうなるか、分かってる。

何度もやられたから。延々とやむことのない暴力を振るわれたから。

そして彼女の癇癪を訴えても、私の頬がぱんぱんに腫れていても、誰も信じない。

どんなに私の頬が腫れていても、白梅が被害者。私が白梅に意地悪をしたから。白梅の頬を殴った。そう、白梅が告げればみなが信じた。

涙と痛みで何も口が利けなければ、白梅に泣いて詫びることもできないのかと責め立てられる。

白梅のその白磁の肌は少しも傷がついておらず、そして赤みすらない。

ただただどこまでも美しい肌なのに、私に殴られて頬が腫れたと言う嘘を吐き、誰もが信じた。白梅を擁護し、私を責めた。

お兄ちゃんなら私の無実を信じてくれるだろうが、そのシンパたちがお兄ちゃんに言うことを許さないのだ。その中には当然、お兄ちゃんの顔に惚れている白梅も含まれる。

それも、お兄ちゃんが出張の時を見計らい、不在を狙ってやるのだから、たちが悪い。
鬼を使ってストーキングでもしているのだろうか、白梅は。

「何であんたがここにいるのよ!」
そして始まる、理不尽な白梅劇場。
でも私は、ここに花嫁として連れてこられただけで……。いや、待って。今更ながら気が付いた……。

――――――私、あの鬼の名前……知らなくないか……っ!?どうやって、説明すれば。

しかし説明したところで白梅の癇癪はおさまるとは思えない。自分の婚約者……いや、もう夫である鬼を使って、あの優しい鬼を傷付けるかもしれない。何をされるか分からない。あのひとの名前を知らなくて、良かったのかもしれない。

どこかで、胸の奥で何かがズキンと傷んだ。

さらにヒートアップした白梅は、突然私の手首をガッッと掴むと、素早く捻りあげ、ギリギリギリと私の手首に力を込める。

しかも白梅は爪に真っ赤なマニキュアを塗り、刃のよう鋭くカットしており、それが肉に食い込んでくる。

「い……っ、うぅ……っ」
いや、わざと食い込ませているのか。そのために、こんな悪趣味なネイルをして……。さらには、捻り上げられている腕も痛くてぷるぷると震え出す。

「……っ」
痛すぎて悲鳴をあげようとした時だった。

「こんなところにいたのか、白梅」
この世最も聞きたくなかった声が、した。