「・・・・・やられたわ」
 私は目の前でボロボロにされた小袖を見下ろしながら、苦々しく呟いた。小十郎様から賜った、村では絶対に手に入らない高価な西陣織の衣を、こうも無残な形にされるとは。
 苦手な裁縫を頑張りながら、この衣で小袖を作っていたのに、直に完成するはずだったのに。こんな風になるなんて。
 ギリッと歯がみし、ズタズタになった小袖にそっと手を伸ばす。
 厠にと離れた隙にやられるとは思わなかったわ。つい数分前には、まだ小袖の形を保っていたのに。これではもう、小袖としては使えない。頑張ってきたが、これは捨てるしか道がないわ。
 落胆し、ズタズタになった小袖をかき集める様に自分の方に引き寄せていた時だった。
 突然「りん姫?」と可憐な声が障子の向こう側からかかる。私は小袖を握りながら「おりまする」と答え、その声の主を迎え入れた。
 障子をカラリと開けて、私の部屋に入ってきたのは伊予姫様だ。伊予姫様は、私の手にある小袖に目を落とすと「あ」と悲痛な声を漏らした。そして苦悶に満ちた顔つきになり、私を悲しげな目で見つめる。
「また、東姫様達が?」
 囁く様に尋ねられ、私は正直にコクリと頷く。
 すると伊予姫様は急いで障子を閉め、私の前に淑やかな所作で膝をついた。
 彼女は、私を妹の様に可愛がってくれる。私も、伊予姫様を「伊予姫姉様」と呼び、実の姉の様に慕っている。
 先に輿入れした妻達の中では、伊予姫様が一番の優しさを持っているが。小心翼々とされている方で、上三人の誰か一人でも居ると縮こまってしまい、時には虐めに加担する事もあるのだ。
 けれど私は一度だって、伊予姫様のそれに怒りを覚えた事はない。伊予姫様は、とても優しい方だと知っているから。加担する時だって、苦悶の表情をいつも浮かべていらっしゃるのだ。そしてその後には必ず私に謝り、慮ってくれる。伊予姫様がいらっしゃらなければ、早くに心は潰れ、抗おうとしなかっただろう。
 それほどに伊予姫様は、私の心の支えだ。
 伊予姫様は、持ち前の優しさにつけ込まれているだけ。だからその優しさにつけ込んでいる東姫様達には、怒りを覚えざるを得ない。そしてその怒りが、私の闘志の糧となり、負けるものかと燃えてくるのだ。
「伊予姫姉様は、なぜこちらに?」
 私は目の前で悲しげな表情を浮かべている伊予姫様に尋ねると。伊予姫様は「昨日、櫛を折られたと言っていましたでしょう?」と、小袖から牡丹の花が刻まれ、黒い漆が塗られた櫛を取り出した。
「私のお古ですが、受け取ってくれますか?」
 遠慮がちに櫛を私の方に向ける伊予姫様に、私の顔は段々と綻んでいく。小袖を無残にされたと言う悲しみは頭の中から放り投げ出され、「まことに、私がいただいてもよろしいのですか?」と、顔を輝かせながら尋ねる。
 すると伊予姫様はフフッと口元を綻ばせながら「勿論よ」と答えてくれた。
「貴方に使って欲しいのです。でも年頃の貴方には、古くさい櫛やもしれないわ」
 肩を竦めて告げる伊予姫様に、私はすぐにぶんぶんと首を横に振り「そんな事ございませぬ!」と口早に答え、差し出されている櫛に恐る恐る手を伸ばす。
「かたじけのうございます、伊予姫姉様」