学生の時に頑張ってアルバイトをして買った、上等の白い革製の肩掛けの鞄に、財布とスマートフォン、それに通帳と保険証、あとは数の足りないトランプを詰めて狭い家に別れを告げた。
鍵はかけないでおいた。死体で見つかった時に自宅を捜索されるかもしれない。だから『どうぞ見てください』と言わんばかりに、入口の床に鍵を寝かせた。
「さようなら」
口角だけを最高に引き上げ、心の中で扉の向こうに挨拶し、錆びついた鉄製の階段を下りた。

まずは銀行。
明日払う予定だった家賃代と、無に近い預金、合わせて数万円。
返ってきた通帳に記載されていた数字は0。
久々に財布が潤った。
今日一日、この財布が痛いと叫び、枯れるまで自由だ。
 生きるための『紙切れ』は、最後の最後に『自由券』へと変身を遂げた。

 朝食は手軽に済ませる。銀行の向かいにあったコンビニで、パンとお茶を買った。
 陳列台におとなしく座っている、物珍しいパン。まだ先だというのに、ハロウィン限定と札を張られた、カラフルなものだった。
 ただの興味本位だった。私には来ないハロウィンを、一足先に味わえる。ほかに比べて少しだけ値段の高いそれは、それだけ価値があるように思えた。贅沢だ。私は幸せだ。
 レジにそれらを持っていく。
「最近はイベントに合った商品の出が早いですね」
 とんでもなく笑顔で言った気がする。もっとも、営業スマイルに近いが。
 客の少ない時間帯のため会話をすることが少ないのか、店員は目を見開いて、「あぁ」と声を漏らす。
「そうなんですよ。まあ、こちらの商品は昨日から発売されたんですがね」
「そうでしたか。いやあ、私今日死ぬので、迎えることのないハロウィン気分が味わえて嬉しいです」
 表情は点だった。一間を置き、聞き間違いだと思ったのか、息のような苦笑いをして商品の入った袋を渡してきた。
 そして典型的なセリフを吐いて会話が終わる。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
『また』なんて私には来ないよ。
 私は終始笑顔だった。
 店を出て、すぐそばのベンチに座り、袋の中身を口に運んだ。
「まっず」
 イベントの先取りができるのは見た目だけだった。それとも、単に私の口に合わなかったのか、舌の機能が終了したのか。
 ペットボトルのお茶で、口内に張り付いた汚い味を流し込む。
 ハロウィンなんて、この先生きる人たちで勝手にやってくれ。私はもう死ぬんだから。
 ゴミ箱に、空になったものたちを投げ捨てる。そして、トランプケースから取り出したハートの3も、一緒に捨てた。
「見て見ぬふり」
 私の下した最初の評価だった。