「大丈夫なんですよ。少しは悲しいし、寂しくも思ったけれど。でも、私たちは、いつか独りになっても大丈夫なように、長い間、ずっと一緒に歩いてきたんです。それまでの日々を目印に、これからも歩いていけるように」
ぬるい風が吹いた。どこからか、優しい匂いもした。
安乃さんの言葉に、強がりはないんだろうと思った。心根からそう感じている。
ひとりになってもひとりじゃない、明るく照らすものがある、これまで歩いてきた道の続き。
「幼なじみだったんです。私と主人は」
「幼なじみ、ですか」
「はい。家が近所で、歳もふたつしか違わなくて、まるで家族のように育ちました」
安乃さんが、ゆっくりと瞼を閉じる。
そこに何が、見えているんだろうって。わからないけど、わたしは、閉じられた白い瞼を、じっと見ていた。
「まだね、結婚をする前よ。私が千世さんと同じくらいの歳の頃かしら。主人がずっと遠いところへ、戦争に行ってしまったの」
「戦争……」
「そのときにはもう、数え切れないほどの人が戦争で亡くなっていました。後からわかったことだけれど、主人が駆り出されたときはもう、日本は随分劣勢に立たされていたときだったんです」
浅く息を吐いた後、安乃さんは少し苦しげに咳をした。
「覚悟はしたつもりでいました。でも、結局は自分に言い聞かせていただけで、本当はこれっぽっちも覚悟なんてできていなかったんですよ。今すぐあの人に帰ってきてほしくて、いなくなるなんて考えられなくて。
だけどあの時代は、お国のために命を尽くすことが名誉でしたから、そんなことを大声で言うことはできませんでした。今思うととてもおかしいですよね。自分や、愛する人の命を大切に思うことが、許されないはずがないのに」
ひとつ、深呼吸をして。それから薄く開いた瞳は、とても遠くを見ているみたいだった。