「私……江里乃に嫉妬してたの……ずっと、羨ましかった……」
「なにそれ。私のほうが希美に嫉妬してたし。私敵も多いんだけど、希美はみんなに好かれるじゃない。あーでも、希美もたまにはガツン! と意見言えばいいのに! とは思ってたけど」
「……私も、江里乃もうちょっといい方変えたらいいのにって、思ってた」
いつの間にか涙も止まっていて、江里乃と笑い合うことができていた。
……さっきまであんなに苦しかったのに。
「でも、ウソつきだって思うなら、それが辛いなら……楽になってもいいんじゃない? 大丈夫だよ、みんな、希美のことわかってるから。少なくとも、私は、そんなことで希美を嫌いになったりしないよ」
「……ありが、とう」
力なく笑って、ぼんやりと前を見つめる。
涙はもう、出てこない。
そろそろ行こうか、と江里乃が腰を上げて、私も同じように立ち上がりスカートを払った。
教室に戻ると、もうすでにショートルームが終わっていて、私と江里乃の姿に優子たちが驚きながら駆け寄ってくる。
「どこ行ってたの? 先生探してたよ」
「わーマジで? ちょっと息抜きしてた」
待っていてくれたのかな。
優子が私を見て、ちょっと首を傾げながら「ま、たまには息抜きも必要よね」と笑顔を見せる。
……きっと、目が真っ赤だ。
優子もきっとそれに気づいた。だけど、なにも言わずに、気づかないふりをしてくれる。
優しいウソが、すごく、嬉しい。
「あのね……」
さー帰ろう! と荷物をまとめるみんなに、小さな声で呼びかける。
振り返るみんなの顔を見て、ごくりと、唾を飲み込んだ。
「ホントはね……お昼の音楽、私の趣味なの」
ずっとウソついてたの。
今思えば隠すようなことでもなかった。笑って言えばよかったのかもしれない。
怖くて、曖昧に笑ってウソをついたから、何度も何度も同じウソをつき続けた。
自分でかってにウソをついたのに、その話題になるのが苦しいとさえ思っていた。
なんて、自分勝手だったんだろう。
「ロックも、デスメタルも、私が、好きだから流してたの……ごめ、ん」
なんてばかなことを。
そう思うと虚しくてまた涙が浮かぶ。
怖くてみんなの顔を見れず俯いていると、優子が「なんでそれ早く言わないのー!」と急に叫び声を上げた。
「え、え?」
「ちょっとバカにしちゃったじゃない! 希美が好きだってわかってたらあんなこと言わなかったのにー! あ、でも私のせいか。余計言い難くなったよね、ごめんー!」
「ぶは、あははははは!」
優子の突然の謝罪に、目をぱちくりさせていると江里乃が豪快に笑い始める。
え、なに。
どういうこと? どういうことなのこれ。
「私は気づいていたけどね。希美の趣味だろうなあって」
「え!? マジで!? なんなの私達が鈍感みたいじゃない!」
「そういうことだけど?」
呆然と立ち尽くす私を置いて、みんなが盛り上がる。
え? こんなので、いいの?
「楽になった?」
クスっと江里乃が私を見て笑う。
ああ、本当だね。
今までなにに怯えていたんだろう。こんなにも、簡単なことだったんだ。
ううん、もしも、好きなことを知った上で否定されていたとしても……気にするようなことじゃないのかもしれない。
いくつかのウソが、すっとなくなって急に体が軽くなった。
・
言ってみてもいいのかな。
大丈夫かな、と不安になる気持ちはなくなったわけじゃない。
……だけど、ウソをつき続けるよりも、今、嫌われたほうがいいかもしれない、と思う。
瀬戸山と、今までやってきたやりとりや会話をゆっくりと思い出す。
ごめんね、交わした言葉も残した文字も……ホントは全部、ウソなんだ。
唇にそっと触れると、瀬戸山とのキスがよみがえる。
どんな理由があっても、あのキスは本物。
そう思うと、あの日が宝物のような気がしてくる。
うん、私——嬉しかったんだ。
——『次はちゃんと言えば? 好きなら好きって。どう転ぶかはわかんねーけど』
どうやったって事実は変わらない。
だったらもう、これ以上逃げたくない。
江里乃や、瀬戸山は、私のことを認めてくれた。流されてふらふらしているだけだって思っていた私に“そうじゃないよ”って言ってくれた。
そう言ってくれる気持ちを、ウソにはしたくない。
嫌われても、もう……話してもらえなくてもいい。逃げちゃダメなんだよね。
机の中からレターセットを取り出して、ペンを握りしめる。
真っ白な、紙に、私の文字を綴っていく。
今までウソばっかりの交換日記だったけど、最後くらいは、ウソのない交換日記で。
・・・‥‥…………………‥‥・・・
5冊目 真っ白な本音
・・・‥‥…………………‥‥・・・
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ごめんなさい
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ずっとウソをついていてごめん
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手紙を最初に受け取って
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返事をして、江里乃宛だって
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知って、言い出せなくなって…
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本当にごめんなさい
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ずっとやりとりしていたのは
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私、黒田希美でした
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謝っても許してもらえないと
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思うけど…
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交換日記、楽しかったです
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ウソばっかりだったけど、
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それでも、楽しくて
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瀬戸山と仲良くなって余計に
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言い出せなくなって
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今までごめんなさい
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嫌われたくなくてウソついて
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傷つけてごめんなさい
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楽しかったです
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瀬戸山のこと、好きでした
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江里乃とのこと、応援するね
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今度は江里乃にちゃんと
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瀬戸山の気持ちが伝わることを
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応援しています
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きっと、うまくいくよ
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ありがとう
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ごめんなさい
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黒田 希美
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・
テスト最終日、ずるいとわかっていながら、この日を選んで瀬戸山の靴箱に入れた。
……ウソ偽りない、最初で最後の、本当の私の返事。
「……1個だけ、ウソかな」
教室に戻りながらぼそっと呟く。
江里乃とのことを応援したセリフは……ウソだ。
うまくいかないで、とは思ってない。だけど、それを応援する気持ちにはまだ、なれない。
最後までウソつきだ、私。でも……このくらいは、許して。
辛いけど、悲しいけど、それでも昨日より体は軽かった。
今日が終わると、終業式まで休みだ。
そしたら冬休みに入って、瀬戸山と顔を合わすのは早くても来年。
だけどきっと、もう、今までのように廊下ですれ違っても声をかけてもらえない。
あの笑顔を向けられることも、ない。
たったひとりの廊下で、歯を食いしばりながら、泣いた。
声もあげずに、拭いもせずに。
テスト最終日。
次第に教室にはクラスメイトでいっぱいになって、テストが始まる。
得意の英語と、家庭科のテスト。
「テスト終わったらカラオケだー!」
江里乃の誘いにみんなが乗った。
今日、ひとりで家に帰らなくていいんだと思うとまた少し気持ちが軽くなる。
もう、好きな歌を歌ってもいいんだ。無理しなくてもいいんだ。
最後のテストの終わりを告げるチャイムが鳴って、思わず笑みがこぼれた。
・
「どこいく? カラオケ混んでるかなー。早く行きたいよね」
「でもとりあえずお腹すいた! カラオケじゃお腹いっぱいにならないしなー」
江里乃と優子がこの後の予定を話し合っていて、私はいつものように意見を言わずに話を聞く。
確かにお腹もすいたけど、早く行かないとカラオケも混んでいるかもしれない。
…どっちがいいのかな。
「駅の反対側のカラオケは? あそこなら駅からちょっと歩くし混んでないかも、そしたらお昼食べてからでも十分かもしれないよ」
「あーいいねそれ!」
決まりー、と優子が声を上げる。
さすがにテストが全部終わるとみんなちょっとテンションが高めだ。
……優子はいつも高めだけど。
「そういえば優子、米田くんとでかけないの?」
「休みに会えるし、今日は友だち優先ー」
……いいなあ。
付き合うと、学校がなくても会えるんだもんね。
瀬戸山を思い出すと、やっぱり切なくなるけれど、それを考えないように「なに歌おうかな」と話題を変えた。
「黒田あぁぁぁぁああ!」
バシーン! と今まで聞いたことのないようなドアを開ける音が教室中に響き渡って、さっきまでうるさかった教室がシン、と静まる。
……っていうか、私の名前、呼ばれた……?
なにが起こっているのかわからず、恐る恐る振り返る。
そこには、誰がどう見ても機嫌が悪い、とわかるような形相で私を睨んでいる瀬戸山がいた。
……おこ、ってる。
手には、私が書いた手紙が握られていて、なにが原因かは一目瞭然だった。手紙……のことで、怒ってるんだ。騙していたのが私だったってわかったから。
全部ウソだったことに、怒ってる。
つかつかと教室に中に入ってきて、私の目の前で足を止める。
……逃げ出したいほど怖かったけれど、ぎゅっと拳を作って、瀬戸山を見つめた。
怒られても仕方ない。
怒られて当然のことを、私はしたんだから。
泣いちゃだめだ。
「お前、これどういうこと?」
私の書いた手紙を目の前でひらひらと見せてきた。
「……それが、あの、本当の、こと、です」
「これが? お前さー、ほんっといい加減にしろよ?」
低い声と冷たい視線が頭上から突き刺さる。
「ごめんなさい」と口に出して頭を下げようと思ったとき、ビリ、と破る音が聞こえた。
見上げると、私の手紙をビリビリに破っている。
——……言葉が、でない。
小さくなったそれが、ひらひらと私の目の前に落ちていく。
「ご、め……」
泣くな。
泣いちゃダメだ。
そう思っているのに涙がじわじわと溢れてきて、声が震える。
クラスの中にいる誰も、言葉を発しようとはせずに、私と瀬戸山を見つめていた。
「もー無理。お前に合わせてらんねえ。付き合いきれねえ。なに勝手に終わらせてんだよ。なんのためにお前に言わすようにしたと思ってんだ」
「……へ?」
意味がわからなくて、目に涙をためながら瀬戸山を見上げた。
「俺が気づいてねえとでも本気で思ってんのか! とっくに気づいてんだよ。っていうかお前ウソ下手くそなんだよ。ごっちゃごちゃじゃねえか。気づかないふりしてたんだよバーカ!」
「な、なん、で……」
呆然とする私を見て、瀬戸山がため息をつく。苛立ちも込められているような。
っていうか、え? どういうこと。意味が……よくわかんないんだけど。
瀬戸山は、私が交換日記の相手だって、わかっていたってこと?
いつから? いや、それより、じゃあどうして知っていて私と話をしてくれていたの? なんで、交換日記をやめようとしなかったの?
だって『誰?』って聞いたじゃない。
「俺がお前のこと好きだってなんで気づかねえんだよ、お前は!」
「は?」
瀬戸山の声に、クラスから「マジで!?」という声が上がった。
冷やかすような声も聞こえてくる。
いや、ちょっと待って。意味が……わからないんだけど……。なんでそんな話になるの。
返事ができなくて、ポカーンとする私を見て、瀬戸山が「ち」と舌打ちをする。
そして、ぐいっと私の肩を掴んで私を無理やり立ち上がらせた。
「最後まで手紙で終わらせんじゃねえよ! 直接言え! しかもなんだよ応援するって。ウソばっかじゃねえか。こんなもんいるか! 好きだって言うなら好きだけで終われよ!」
……間近にある、瀬戸山の顔。
ウソを言っているようには見えなくて、真剣で、必死なその目に、吸い込まれるかと思った。