“好きだ”
この3文字に、どれだけの勇気を込めたんだろう。
どんな気持ちで、返事を待っていたのだろう。
誰かに告白なんてしたことない私には想像もつかない。
自分の思いをこんなにも分かりやすい文字にして人に伝えるなんて……。
矢野センパイとだって告白されたから付き合っただけだった。別れるときですら私は自分の意見を言うことができなかった。
友達に突っ込まれるほど気を落とした瀬戸山。
それほど真剣だったのなら……受け入れることはできなくとも、誠実に向き合いたい。
取りあえず、なんとか返事を書いて……近いうちに返事をしなくちゃ。
ポケットにラブレターを直しながらそう決意すると、ふと大事なことに気がついた。
そう、返事を書く。
つまりそれが瀬戸山の手に渡らなくちゃいけないわけで。
「……どうやって返事を渡すの」
クラスが違うどころか、校舎も違う。
理系コースの校舎に足を踏み入れるなんて、移動教室のときくらい。
なにもないときにひとりで行くには目立ちすぎる。
机の中に返事を入れるなんてとてもじゃないけどできそうもない。
手渡しなんてとんでもない。自分から目立ちに行ってどうする。
どうしよう、全く方法が思いつかない。
一週間待てば、移動教室で瀬戸山の机に返事を入れることはできるけれど、それまで待ってくれるだろうか……。
今日みたいに顔を合わせてしまったときに話しかけられるかもしれない。
それに、それまで瀬戸山は落ち込み続けるかも。
……なんで……こんなことに……。
思いがけない大問題に、返事の内容よりも頭を抱えた。
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ありがとう
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ごさいます
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・
……よし!
きょろきょろと周りを見渡して、人がいないことを確認してから瀬戸山の靴箱に紙切れを突っ込む。
そして瞬時に立ち去った。
悩んだ末に靴箱という安易な方法に落ち着いた。
人に見つからないよう、8時40分からホームルームだっていうのに8時前に学校に来る羽目になったのだけれど。
それでも誰かが見てしまうかも、と自分の名前は書かなかった。
全速力で廊下を駆け抜けて、誰もいない教室に入った瞬間にずるずると床に腰を下ろす。
走ったせいなのか、それとも、緊張からなのか、心臓がものすごい勢いで血液を体内に巡らせる。気持ち悪いくらい。
「渡しちゃった……」
……渡してしまった。渡してしまった!
自分の顔がまっ赤に染まっていることが自分でも分かるくらい熱を感じる。
すーはーと何度か深呼吸を繰り返し、自分の書いた返事をもう一度思い返してみる。
あんな返事とも言えないものだけれど、よかったかな。
やっぱりもっと考えた方がよかったかな。
でも、あの一言を書くまで費やした時間は、3時間。“気持ちは嬉しいけれど……”みたいな返事も書いたけれどどうもしっくりこなかった。
そもそも“好きだ”ってなんなの。
それを言われてどうしたらいいのよ!
“付き合ってくれ”とか書いていれば返事のしようもあるって言うのに……。言われてないのだから断るのもおかしい気がして、結局あんなバカみたいな返事に落ち着いてしまった。
「あーもう……!」
あんなに考えたのに、まだもっといい返事があったんじゃないかと思ってしまう。
今ならまだやめることもできる。まだ誰も学校には来てないだろうし。
頭を抱えて暫く考えてから「もういい!」と声を出して諦めた。
これ以上悩んでも結果は一緒に違いない!
床からすくりと立ち上がって自分の席にどかっと腰を下ろす。
昨晩ずっと手紙と向き合っていた上に、早起きまでして寝不足だし、みんなが来るまでちょっと休もう。
机の上に頭を乗せて、目を瞑る。
まだ胸がどきどきとうるさい。
……あの返事を見た瀬戸山は、どんな反応を示すだろう。
がっかりするかな、それとも、嬉しいとか思ったりするのかな。
そしてまた……返事を書いたりして。
くすっと笑みが浮かんだ。
まるで、私が瀬戸山にラブレターを出したみたいだ。“ありがとう”って書いただけの紙を渡しただけなのに。
しかも瀬戸山のことを好きなわけでもないのに、なんでこんなにたくさん悩んで、瀬戸山のことばっかり考えて、緊張してしまうんだろう。
告白じゃないけど、自分の気持ちを、自分の言葉で、相手に伝えたからだ。
こんなこと、初めてだから。
瀬戸山も、こんな感じだったのかな。
あんまり関わりたくない人には違いないのだけれど、瀬戸山が落ち込んでいるって知ってからほんの少し、ほんの少しだけど、親近感がわいた。
心拍が落ち着いてくると、ああ、渡しちゃったんだな、と改めて思って、大仕事を終えたような達成感に満たされた。
同時に、すうっと意識が遠のいていく感覚が私を襲う。
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それ、どういう意味?
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・
何事もなく1週間を過ごしたから油断した……。
机の中に入っていた1枚のルーズリーフ。
そこに書かれた一言。
差出人は書かれていなかったけれど、相手はひとりしかいない。この机の持ち主、瀬戸山だ。
頭を抱えて「なんで……」と小さくつぶやく。
私が瀬戸山の靴箱に手紙を入れて1週間。
その日と次の日くらいまでは顔を合わせたらなにか言われるんじゃないか、なにか起こるんじゃないかと落ち着かなかった。
けれど幸いにもそんな気配もなく、3日も経てばいつも通り。
あの返事でよかったんだ、とほっとしていたっていうのに……。
がっくりと肩を落としてから、改めて瀬戸山からの返事を読み直した。読み直すほどの文章でもないけど。
……どういう意味かと言われても……。
私がこの返事に対して同じ言葉を返したい気分だ。
頭を抱えつつ、ペンを右手に持つ。疑問系で書かれているなら返事をしなくちゃいけないだろう。
……返事、と言われても……。
ペンは一向に動かない。
こうしてまた手紙を受け取って思うのは、やっぱり、なんというか、瀬戸山とは合わないだろうということ。
先週の手紙で、思ったよりも、素直というか、まっすぐな人って言うだけだったのかな、なんて思ったけど。
“好きだ”と言われて“ありがとう”と返した。
正直なところ、そこにはそれ以上の気持ちはない。私が瀬戸山のことを好きだったら“私も好きでした”と返すだろう。
そうしなかった。
つまりそういうこと、なんだけどなあ。
私だったら“どういう意味?”なんて聞いたりしない。
こう、ガンガン言い寄って来るというか、気持ちを口にして相手に迫る、みたいなのは、苦手。こっちの気持ちを少しは察してほしい。
っていうのは、欲張りかなあ……。
とりあえずなんて返そうか。
“書いたままの意味ですが”とか返しちゃおうか。いや、でもそれは感じが悪いかな。
“どういう意味ですか?”って素直に聞き返す?
でも疑問系にしたらまた返事をもらうってことだよね。それはできたら避けたい。けど……どう返事をしても、なにか言ってきそう。
毎週こんな手紙をもらうと、ただでさえ不得意な数Bが手に負えなくなりそうなんだけど。
先週今週と、授業どころじゃない。
テストも近いって言うのに……。
かといって……直接返事を渡しにでも来たら困る!
一週間前の悩み再び。
頭が痛くなってきた……。
結局今日も数学の選択授業は全く頭に入ってこないまま終わってしまった。
「……行ってくるー」
「行ってらっしゃいー」
今日も荷物を江里乃に任せて席を立つ。ルーズリーフはポケットに忍ばせて。
ひとりでゆっくり考えることができるんだと思うと、放送室に行くことはよかったな、と思いつつも、瀬戸山が教室に戻ってきてどんな反応をするのか見てみたい気持ちもある。
……返事は書いてないけれど。
いつものように放送室に向かって、放送を始める。
さりげなく最近はやりのJ−POPを流しつつ、途中で私の個人的に趣味のロックもかけた。
その間ももちろん、瀬戸山の返事に頭をかかえる。
「あーもう、めんどくさいー」
なんで私なんかに好きとか言うんだろう。
瀬戸山だったらいろんな女の子がそばにいるのに。待っていればいろんな女の子から告白だってされているのに。
何度も同じ疑問が浮かんでは、今更だと自分に言ってルーズリーフを見つめる。
とりあえず、とりあえずだ。返事を書かなくちゃ。
なんて書こうか……いや、待て待て。書いたところで返事をどうするかも考えておいた方がいいんじゃないか?
一週間後の移動教室まで待ってくれればいいけれど、そうじゃない可能性もある。一週間どきどきして過ごすのも疲れるし……。
一週間後にお返事で、なんて書いてもいいかな。
話しかけないでくださいとかは……さすがにひどいよね。
でも、意味を聞かれても……。返す言葉が見つからない。ここは素直に伝えるしかないのかもしれない。
“それ以外に言葉が見つからなくて”
“ほかになんて言えばよかったですか?”
“気持ちはうれしいです”
……どれも感じ悪いような気もしてしまう。
かといって、調子のいいことを書いたら期待させてしまうかもしれない。
お弁当もろくに食べることもできないまま、お昼の放送時間が終わって、とりあえず腰を上げた。
また明日、朝早くこなきゃいけないのかー。
それまでに返事を受け取る方法もちゃんと考えなくちゃ。
憂鬱な気分で放送室を出て、ふと入り口の隣にある箱に気がついた。
滅多に手に取らないそれ。
多分、誰も中を確認することはないだろう。
前に私が手にしたときは、2ヶ月前のものが入っていた。
……これで、受け取ればいいんじゃない?
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あなたのことを、私はあまり
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知らなくて。
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どうして、私なんですか?
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P.S.返事は放送室前の相談
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ボックスに入れてもらえますか?
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